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「光秀奇譚(みつひできたん)【重音テト】」の創作に利用した作品

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光秀奇譚(みつひできたん)【重音テト】

ないとう

ないとう

明智光秀はとても妻に優しく、あばたができても妻に娶り、城を追われた時には妻を背負って急な油坂を越え、妻もそれに応えて歌会で饗応の金がない時に自分の髪を切って金に換えて酒と肴を買いました。

本能寺の変についてはいろいろいわれていますが、大正時代に茶道の家元が利休が明智光秀あったということを告白しており、これを聞いて記録していた人がいます。

本能寺の変を興した理由としては、いろいろ語られてはいますが、光秀のような人格者で教養人が私憤だけで事を起こす事は考えにくく、土岐の一族といってもとは清和源氏につながる勤皇の家系であることから考えると、織田信長が、朝廷を自分の支配下に置こうとしたためではないかと考えられます。また謀反を興したものが長く天下を治められるなどということは考えておらず、あえて秀吉に勝を譲ったとも言われています。その後変わり身を藪にしかけて、光秀は利休に転身して、秀吉のブレインとなって軍略に加わっていたといわれています。

しばらくして利休が光秀とばれそうになり、切腹という芝居をうって光秀はまた身をかくしたのではないかと思われます。

 その後の消息は天海となって家康のブレインとなったという説があります。春日の局を家光の乳母として呼び寄せ、教育をほどこしたのではないかといわれています。
 春日局があれほど力をもっていたのは天海がいたせいではないかともささやかれています。また家光は家康と春日局の子ではないかとも言われています。春日の局は光秀の家臣斎藤利三の娘で、斎藤利三は謀反にとしてさらし首にさらされていますが、なぜかその娘は徳川では権力をもっていたのは説明が付きにくいでしょう。