初音ミクと言えば、歌う事が大好きという印象があるけれど、
ミクさんは、どこからか武道や武術の本を拾ってきて、その真似事をする事がある。
「空手の本を見つけたよ。」
本のタイトルは、「VOCALOIDの為の空手入門」。
本の表紙には、青いマフラーを巻いた青年が、足を高く伸ばしている姿。
「その本は、どこに落ちていましたか。ミクさん。」
「玄関の前だよ。少し練習してくるね。」
このミクさんに限らず、武道や武術を嗜(たしな)むミクさん達は、意外と多い。
彼女達は、ステージで歌う時の振り付けの参考にする為に、体の動かし方について勉強しているのだ。
「いってらっしゃい。」
「いってきまーす♪」
ミクさんを見送った私は、窓を開けて外を眺めた。
すると、家の外に出たミクさんは、いつものように、
家の前を歩いている男の人を捕まえて、話しかけていた。
「お兄ちゃん。空手の練習に付き合って。」
「喜んで付き合うよ。ミク。」
ミクさんが捕まえたのは、彼女の兄のKAITOさん。
寒くもないのに青いマフラーを巻いている彼は、妹の将来をいつも心配している苦労人だ。
そして2人は、道の片隅に移動して、
どこからか持ってきたマットレスを辺りに敷き詰めて、今日も武術の練習が始まった。
「最初は軽く、肩慣らしだ。ミク。」
「えいやー。」
「もう一回。」
「おー。」
真面目に拳(こぶし)を前に出すミクさんと、彼女の拳を片手で受け流すKAITO先生。
一見、遊んでいるように見えるけれど、ミクさんの尋常(じんじょう)ではない真面目さは、彼の指導心に火を付ける。
「ミク、拳(こぶし)を当てた時には、一番効果が高い方向に力を通すんだ。」
「ネギぱーんち。」
「ミク。ネギの方が痛いよ。」
「ネギネギぱーんち。」
また今日も、ミクさんを熱心に指導しているKAITOさん。
KAITO先生の熱血指導は、更に熱さを増していき、ミクさんにしか理解出来ない言葉で話し出す。
「アイス成分が足りないな。ミク。」
「れいとー。」
「ミク、この動きに優雅さを、バニラ・エッセンス3滴分増やすんだ。」
「あまあまー。」
KAITO先生の難解な専門用語を瞬時に理解し、動きを変えるミクさん。
彼のアイスな発言に対して、間髪入れずに反応する事が出来るなんて、流石は彼の妹だ。
私がミクさんの理解力に感心していると、ミクさんの掛け声が変化して、練習は次の局面を迎えた。
「私、もっと頑張るよ。」
目の色が変わったミクさんと、全力で身構える構えに変化したKAITO先生。
KAITO先生は知っている。
初音ミクの実力は、人間離れしている所にある事を。
そして、ミクさんの目が輝き出した今、彼女の真の力が発揮されるという事を。
「えいやー。」
ごうっ。
ミクさんが一突きした直後、僅(わず)かに遅れて音がする。
荒ぶる髪の発動だ。
ミクさんの攻撃を止めた相手を、彼女の髪が豪快に吹き飛ばす。
ミクさんが無意識の内に繰り出してしまう、彼女の最も恐ろしい髪技だ。
ビューン。ドサッ。
ミクさんの髪は彼女自身を守るように包み込み、
青いマフラーを巻いた物体は、大きなボールのように空を舞った。
そして、敷き詰めたマットレスの上に豪快に叩きつけられたKAITO先生は、
ゆっくりと立ち上がり、不敵な薄笑いを浮かべてこう言った。
「ミク。まだまだだな。」
いえ、体がよろけていますよ、KAITO先生。
この状況下で、目が輝いているミクさんを挑発する必要があるなんて、
初音ミクを鍛え上げる「ミク道」とは、かくも険しい道なのか。
「もっともっと、頑張るよ。えいやー。」
普段は軟弱に見えるのに、妹の前では異常な精神力を示すお兄さん。
そして、とても素直な妹は、兄の言葉を信じ、兄の示した道を突き進む。
パシッ。ごうっ。飛んでドサッ。「ミク。もっと鋭く!」
パシッ。ごうっ。飛んでドサッ。「ミク。僕を倒せないようなら、まだまだだ。」
どのように観察しても、ミクさんの髪のサンドバックになっているKAITO先生。
それでも彼は止めないし、ミクさんは止まらなかった。
パシッ。ごうっ。飛んでドサッ。「ミク。腕の動きは正確に。」
パシッ。ごうっ。飛んでドサッ。「棒アイスのはずれの方が痛いよ。ミク。」
太陽が西へと移動して、辺りは赤く染まり出す。
永久機関を彷彿(ほうふつ)とさせる彼女達の特訓は、
KAITO先生がある一言を告げる事で、ようやく幕を閉じた。
「今日はこれ位にしようか。ミク。」
「うん。ありがとう。お兄ちゃん。」
私がミクさん達を出迎えた時、ミクさんの指導教官である彼は、
どこから見てもボロボロな姿にも関わらず、爽やかな笑顔でこう言った。
「僕が居なくても自分の身を守れるように、ミクをもっと鍛えないといけないな。」
ミクさんの通り道に武道や武術の本を落とし、
彼女が出てきた所を、毎回偶然通りかかり、
自らの身を犠牲にしてまで、彼女を鍛えるKAITOさん。
初音ミクの兄が目指している道は、修羅の道。
それでも進もうとするKAITOさんは、まさに、「ミク道」を極めようとする修行者だ。
「じゃあ、僕は帰るよ。」
「お兄ちゃん。今日もありがとう。」
私達と一緒に夕食を食べた後、帰路についたKAITOさん。
彼は、ミクさんの感謝の視線を背に受けて、一歩一歩、着実に歩んで遠ざかる。
「今日もご指導ありがとうございます。ミクさんのお兄さん。」
彼の後ろ姿から伝わってきたのは、兄として大きな事をやり遂げた後の満足感。
この世に青マフラーは沢山存在するけれど、ミクさんは、このKAITOさんだけを兄と呼ぶ。
私はミクさんの隣に立ちながら、今、その理由が理解出来たような気がした。
武術家のミクさん
「ミクさんの隣」所属作品の1つです。
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