「遅かったか…!」

 そう搾り出したのは、一体誰だっただろう。
 しかし、それがその場にいた人全ての思いだったのは間違いなかった。噛み締めた唇に、血の味が滲む。

 …くそ…!

 俺達は、警戒していなかった訳じゃない。この会が狙われることなんて簡単に予測できた。だから事が起きればすぐに対応出来るように俺達がしっかりと会場の上の階に待機していたし、数人は普通の護衛として会場に紛れ込ませていた。

 でも、それを嘲笑うかのように―――

「駆け付けるまで数分、たったそれだけだった筈なのに…」

 香る血臭。先程まできらびやかに輝いていたパーティー会場は、暗く凄惨な死体置き場と化していた。
 明るければまだ客観的に状況分析が出来るだろうが、部屋の暗さがやけに不吉な雰囲気を醸し出している。さながらモルグだ。

 監視カメラの映像を見張っていた俺達の目の前でブレーカーが落とされ、暗く闇に沈んだ会場。
 そして響き渡った、―――あの笑い声。
 一度聞いたら忘れられるはずがない。狂気と狂喜をまぜこぜにした、いびつで不気味で、耳を浸食するような華やかな笑い声。
 その場にいた全員が動いていた。
 それが何を意味するのか、間違いなく理解して。

「潜入部隊は」
「…確認終了。全滅です」

 全滅。
 その言葉を舌に乗せる。
 数分でこの会場にいた百人余りとその護衛、更には特別警察の人員までを殺害、逃走。考え得る状況ではなかった。まさしく一秒に一人を殺すようなレベルの話だ。俺自信が現場に際していなければ、とても信じられない。

「…酷い有様」

 今回の現場のトップはカイト指揮官ではなく、ルカさんだ。ぬかるんだ足音を立てながら血の水溜まりの中を躊躇いなく歩き、折り重なる紳士淑女の亡き殻をじっくりと検分する。
 彼女はどちらかと言うなら現場型の人ではないが、それがつまり現場で無能だという事にはならない。

「早くあの娘か後ろの組織か、どちらかを叩かないといけないわね。でなければ、この国の根幹が揺らぐ。…取り返しが付かないほどに」
「組織?」

 散らばる他の特警達を視界に捕らえながら、俺は眉をひそめる。
 アレが組織犯罪?今までそんな事は考えてもみなかった。
 携わって日が浅く、資料も不足していたのは否めないけれど、アレの飛び抜けた異常性に目を奪われていたという事か。
 俺に対し、ルカさんは一つ頷いた。多分、釈然としない思いがそのまま顔に出ていたんだろう―――丁寧に説明してくれる。

「今回の事だけでも、それは簡単に分かるわ。一つ目、彼女一人ならパーティーに潜り込むことさえ出来ない筈。無理に入ろうとしていたなら、騒ぎはもっと早くに起きていた。次に、ブレーカー。自然なものじゃないわ、彼女の仲間が落としたんでしょうね…タイミングを打ち合わせて。でなければあんなに効率よく動けはしないでしょう。最後に、路上待機組からの連絡。『ターゲットの姿は見かけない』」
「え?」
「変装か、或は何かに隠れて出たか…支援がなければ無理でしょう。勿論まだこの建物にいる確率は高いけれど、賭けてもいいわ。ターゲットは見つからず仕舞いよ」

 はあ、とルカさんが溜息をつく。
 そこに確実に含まれている苛立ち―――当然だ。
 俺達がいかに無力か、思い知らされたようなものなのだから。

「というか大体、相手の顔形をきちんと把握しているわけでもないのだから当然といえば当然。そこの隠蔽の上手さにも作為を感じるわね。…まあ、私達は会場のカメラ映像でも確認しに行きましょうか。レン、出席者の顔とボディーガードの顔、ウエイター・ウエイトレスの顔の記憶は出来ている?」

 つい、と階段に向かって歩き出すルカさん。俺は後を追いながら頷いた。

「はい、大丈夫です」
「なら良いわ」

 セキュリティルームに戻り、残していた人員から映像に異常のないことを報告される。何台ものパソコンがある中、一つだけ人が操作していないパソコンがあって―――

「これが会場のカメラ映像ね。コピーは取った?」
「いえ、まだ」
「なら見ながら複製を…」

 かち、と長い指がエンターを押す。停止されている映像を、再生するために。
 その途端、画面が暗転した。

「…なに、これ」

 虚を突かれたようなルカさんの声。
 俺も、思わず目を疑う。だってつい数秒前までは、確かに人で溢れた会場の景色が映っていた。
なのにこんな…故障?まさか!

 …まさか。

 はっと息を飲んだ瞬間、パソコンのスピーカーから声が流れ出して来た。横で作業をしていた他の人達も、異常に気付いて手を止める。



『こんにちは!』



 機械的な声。
 何かの装置で変えられているのか、或いは何らかのソフトを使っているのか。それはわからない。
 ただそれでもその声の響きはひたすらに無邪気で、明るくて―――暗い映像画面からは掛け離れた声だった。その得体の知れない気味の悪さに、背筋が一斉に粟立つ。


 まさか…!


『これを見ているのは特警のひとなんだよね?ええと、捜査に使われるのは困るので画像は消させて頂きます!』

「…やられた!」

 ルカさんが唇を噛む。
 指をキーボードに走らせては目を険しくする。ルカさんの専門は肉体的戦闘というより機械操作などの情報戦。生半可なプログラムであれば復帰は簡単だ。
 しかし、それができていない。
 ―――組織犯罪、か…!
 ルカさんと張り合うだけの天才、それが向こうにもいる。
 俺は頭が痛くなって来た。混乱、困惑、不安、そして…





 ―――許さない。





 やはり、憎悪。





 その組織とやらが何を考えているのか、俺には知る術がない。それに、どんな理由があろうと俺は結局納得できないと思う。
 人殺しをそれと知って庇うのは、同罪だ。しかもアレには情状酌量の余地すらない。
 化け物を飼って破壊を撒き散らす、その組織とやらがやっているのはつまりそういう事だ。そんな存在をどうして容認できるだろう。
 顔を歪めてうなだれる俺達の前で、声は言葉を続ける。

『本当はこんな音声も残すはずじゃなかったの。でも、…えー、友達が許可をくれたので、お手紙がわりに言わせて頂きますっ!』

 声のトーンが上がる。
 そこで確信する。これは肉声だ。肉声を処理したものだ。それは、この犯人を特定する手掛かりの一つになり得る。
 でも。
 俺は嫌悪感を押し殺し、暗いだけの画面を見つめた。
 …もしかしてこれは、肉声からでは絶対に辿り着けないという自信の現れじゃないか?

『カイト、さんと青い目の男の子。どっちでもいいから、その、いつか私と一対一で戦おうね!二人とも強いよね?絶対強いよね!この間の読みはすごかったなあ、でも次は私が切り刻む番だからね!泣いて命乞いしてよ、断末魔の痙攣も見せてね!二人とも割と細身だったから、断面は筋肉が大半なのかな?白い脂肪もぷにぷにしてそうで嫌いじゃないけど、筋肉の色の方が好きだからすっごく楽しみだなあ!あんまり消化器の周りにも脂肪がなさそうだし、手応えもすっきりしてそう!骨の硬さもしっかりしてるだろうし…ゆっくりばらばらにしてみたいな。意識のあるまま中身を引きずり出てみたりして。貴方達みたいな人って少ないから、すぐ死なせちゃ勿体ないもんね!』

 はしゃいだような声が、堪らない嫌悪感を呼び寄せる。
 何なんだ、こいつは。一体どんな思考回路をしているんだ?「戦う」ことが好きなのか?或は、より強い相手を「殺す」のが快感なのか?
 どちらにしろ、こんな…まるで誕生日プレゼントを前にしたみたいな声で話す内容じゃない。おまけに、本人の前で断面がどうの、内臓がどうのと話すなんて…異常だ。
 分かっていたけれど、吐き気がする。こいつの目には、この世界がどんな風に見えているんだ!?

『逃げたりしないのは分かってるよ。他の人がそうじゃなくても、貴方達二人は私と同じ存在だもん!』

 声は徐々にフェードアウトしていく。録音源から遠ざかって行っているのか、小さな足音が音声の中に潜り込んでいた。

 数秒の沈黙。

 終わりか?
 そう思った瞬間に、ふと思い出したような台詞が空気を震わせた。
 言わなくても分かる当たり前の事だけど、一応言っておかなきゃ。そんな軽い響きで。

『だって貴方達、人をヒトとして見てないでしょ?』

 凍るかと思った。
 世界が、自分が、凍り付くかと。それ程までに、それは衝撃的な言葉だった。
 何の躊躇いもなく信じきった口調で告げられた言葉が寸分の狂いもなく俺の胸を刺す。
 何故だか分からない。でもその言葉は確実に俺の胸を抉った。

 眉を寄せたルカさんが、冗談なのか本気なのか分からない口調で俺を見る。

「…随分熱烈なファンレターね。いえ、ラブレターかしら?」
「…気持ちの悪いことを言わないで下さい」
「実は、美人かもしれないのに?」
「だとしても異常者―――化け物だ」

 当たり前の事。あまりに馬鹿らしいルカさんのざれ言に、俺は硬い声で応じた。



「化け物を愛せる人が、何処に居ますか?」



 いるわけがない、そんな人間。
 いたとしても、俺は認めない。
 人間の世界に化け物は不必要だ。それは世界の秩序を乱し、涙を流させる。

 それは摘むべき異端の芽。


 愛するなんて―――論外だ。












「…化け物は愛せない、ね。まあ分かるけれど」

 コーヒーを啜りながら、ルカは小さく呟く。あの現場から寮に戻り、自室に篭っているため誰に聞かれている訳でもない。そして、だからこそ口にできる思索。

「古来より、化け物や怪獣を救うのは真実の愛と相場が決まっているわ。それで救えないことも、逆に救おうとした方が破滅することもあるにしても」

 ぶー、と音がする。机の上で、携帯電話がメールの着信を告げていた。
 差出人を確認し、ルカは微かに目を見開く。上官からの呼出しだった。
 時間はいつでもいい、そんな言葉に「今から伺います」と返信し、溜め息と共に席を立つ。
 温かなコーヒーからゆるりと上る湯気。しかし、呼出しから戻って来たときには、室温と同じ程度まで冷めてしまっていることだろう。

 ―――つまり、こういう事ね。

 扉を開きながら、ルカは続く言葉を頭の中で考える。
 それが果たして彼にとってどんな意味を持つのかは分からない。意味などないのかもしれない…何せ、ルカの思考の遊びのようなものなのだから、どうでもいいと言えばどうでもいい。
 ただ、確実なのは。





 ―――少なくともレンは、「彼女」の王子様にはなれないんだわ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

異貌の神の祝福を 4.L

長くてもあと4、5回くらいで完結する筈です。でも予定は未定…どうなることやら。

あと毎回思うんですが、これ、規約的にどうなんでしょうかね…?

閲覧数:847

投稿日:2011/01/20 23:04:31

文字数:4,421文字

カテゴリ:小説

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  • なのこ

    なのこ

    ご意見・ご感想

    おれはリンたんを愛せr(おめーはいい ブクマもらいます

    2011/03/16 20:40:41

  • 翔破

    翔破

    コメントのお返し

    コメントありがとうございます!
    大丈夫だといいのですが…一応自分としてはセーフな範囲にとどめているつもりでも、たまに自信がなくなる時があるんですよね。怖い、規約範囲外怖い…

    ルカさんですか!あんまり細かく考えてませんでした。
    この後にもレギュラー出演しますが、レンの上司、カイトの部下程度の認識です。でもこの設定で鏡音の話の続きを書くなら絶対にミクちゃんとの絡みを入れたいです!

    2011/01/22 02:30:33

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