「やっぱりつむじはバタフライをするべき! 確かに君のクロールのフォームは完璧だけど、漕ぐ力と脚力がない!」
「だから、僕にまともに泳げないバタフライをやれと?」
「そう。私が基礎を叩き込むから、泳げるようになるまで特訓ね」
「……拒否権は?」
「無し」
 僕の明日はどっちだ。

「なんか男子の皆が、私のことカワウソって言ってる気がするんだけど、どうして?」
「ああ、それは勇次が、かくかくしかじかで」
「……ふうん、で、その勇次くんはどこにいるのかなぁ?」
 修羅だ、修羅がここに居る!
 これが後に水泳部で語られる、カワウソ事件の始まりだった。

 そんな、なんでもない、でも楽しい日々が、二週間ほど続いた。

 部活がお盆休みに入る前の日のことだった。
「つむじー、最近、師田さんと仲いいな」
 数日前、師田さんにエルボーを食らわされた勇次が、更衣室で突然そんなことを言った。
「そうかな?」
 僕は首をかしげた。
「いや、明らかにそうだろう」
 そういうものかな? 実感はあまり無いけど。
「その師田さんなんだが、ある噂を聞いてな」
 勇次の声が曇る。
「噂?」
「ああ、なんでも」

「大分さまになってきたね、バタフライ」
 夕方のプール。いつも通りの二人の会話。
「未だに五十M泳げてないのに、様になってるのか疑問だけど」
「それはただの体力不足。フォームとかはもう、さすがというか、教えることは無いよ」
「喜んでいいのか、落ち込んでいいのか、絶妙な助言だね」 
 さすがはクラブ育ち。僕の長所短所を正確に突いてくる。
「いや、そんな風に言ったんじゃないけどっ」
 慌てるカワウソさん。僕は軽く笑う。
「分かってるよ。ところで」
 ふう、と安堵している師田さんに、僕はアレを尋ねた。
「引越しするって、本当?」
 師田さんの体が、ピタと止まった。
「……聞いちゃったんだ」
 どうやら、本当らしい。
「クラブを辞めたのも?」
「うん」
「いつまで?」
「もうお盆の終わりには引っ越す予定」
「……今日で最後?」
「だったはずなんだけどなあ。風のように消えようと思ったのに」
 ドラマとか漫画とかの見すぎじゃないかな、とそんなことを思った。
「ねえ、つむじ。明後日、海に行かない?」
 軽い口調で、師田さんが誘った。
「いいよ」
 僕もいつも通りの口調で、その誘いに乗った。
――僕らは最初で最後になるデートを約束した。

 八月十日。
 駅前で師田さんと待ち合わせ。
 いつも体操服で来ていた彼女とは違い、薄桃色のキャミソールに青いミニスカートという可愛らしい格好に、不覚にも僕は吹いてしまった。
 電車内ではその吹いたことにずっと怒られた。
 おかしかったんじゃない、驚いただけだと僕は弁明したが聞いてはくれなかった。
 電車に揺られて一時間半、海に着くとすぐに師田さんは更衣室へ。僕もそのまま更衣室に行き、着替える。
 師田さんが更衣室から出てきた、バスタオルを巻いたまま。僕が指摘すると、怒りながらもバスタオルを取った。
 ビキニだった。競泳用水着の日焼けあとがくっきりと残る体に、白いビキニ。
「四、五年早い気が」鳩尾ニーキックにシャイニングウィザードでフィニッシュされた。
 首が痛い中、僕は持ってきたインスタントカメラで他の海水浴客に写してもらうように頼んだ。
 必死に拒否する師田さんだったが、観念したのか、カメラの方を見て恥ずかしそうに笑った。
 しばらくしてから、師田さんが向こうにある無人島を指しながら提案した。
「ここからあの島まで二千M。速くあっちについた方が遅いほうに命令するっていうのは、どう?」
 明らかに二千M以上離れた、ブイの向こうの小島。僕はいいよ、といった。
 合図とともに、同時に海に入る。僕はクロールと平泳ぎ。彼女はバタフライ。
 差はどんどん広がっていく。力の差は歴然だった。
 無人島の砂浜に着いた時が体力の限界。僕は大の字になって倒れた。
 僕の顔を覗きこんだカワウソさんは、僕に命令した。
「じゃあね――」

 この日、僕らの心は、泳ぐことで繋がっていたと想う。

 帰り道、駅で別れた時の後姿が、師田さんを見た最後の姿だった。
 それから、八月十日に海へ行ってあの島までの二千Mを泳ぐことが、僕の夏の仕事だ。
 彼女が教えてくれたバタフライを改良し、僕も今では全国大会へと進むくらいの実力になった。
 大学から電車に揺られて十分後、青白い空と深青の海が広がる世界に着く。
 着替えて体操をしてから、あの島へ体を向けた。
「――ここからあの島まで二千M。速くあっちについた方が遅いほうに命令するっていうのは、どう?」
 その時、後ろから声がした。
「言っとくけど、僕は速いよ?」
「大した自信だね、つむじ」
「五年も待ったし」
 だから、今回は圧倒的な力の差で勝って、
「今度はこっちが命令する番にならなきゃ割が合わない」
 君との五年間を埋めて貰おう。
「よし、じゃあ行くよ、ヨーイ」
 彼女の声が合図する。僕はクラッチングスタートの体勢をとる。
「ドン!」
 イルカになったカワウソと、アシカになったカメが一斉に走り出した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

『夏と二千M』 後編

オリジナルノベルの後編です。
前編はこちら↓
http://piapro.jp/content/2mb7izaxo3o9fl3r

近日中に歌詞にしようかと思ってますので、興味を持っていただけたらと思います。

閲覧数:191

投稿日:2008/06/23 12:13:51

文字数:2,145文字

カテゴリ:その他

  • コメント1

  • 関連動画0

  • Mao

    Mao

    ご意見・ご感想

    これいつ映画化?とノリで言いたくなりました^^

    面白かったですb
    歌詞だけでなくて、ゲームのシナリオライターとかもできそうですね><

    2011/08/13 09:53:57

クリップボードにコピーしました