「帯人ー?まだ着付け終んないのー?」

ひょこり、と凛歌が部屋のドアから顔を覗かせる。
いつものような愛想もそっけもないジーンズ姿ではなく、小手鞠柄の藍色の浴衣を着て、赤い帯を蝶々のように結んでいる。
小柄で華奢、スレンダーな体つきの凛歌に、よく似合っていた。
髪を前の方にやや多めに梳き下ろしており、やや目元が隠れている状態だ。

「それがさ、姉。肝心なこと忘れてて・・・。」

涼が、パッと見爽やかな笑顔で応対する。

「着付け方、忘れちゃった。」

語尾にハートや音符がつきそうな声音である。
対する凛歌は、ひきりと音が立ちそうなほどこめかみを引き攣らせた。

「・・・・・・つまり、今まで無駄に時間を過ごしていたわけか?」

「あははっ、ゴメンって。」

全然謝ってない。その口調では全然謝ってることにならない。
凛歌も、その辺は慣れてしまったのか、嘆息一つ落としただけで終わらせる。

「ならいるだけ邪魔だ。あっちで叔父さんを手伝ってきな。」

しっしっ、と涼を追い払う凛歌。
涼は、ひらひらと手を振って部屋を出て行った。

「あの馬鹿垂れ流しが・・・。自分の垂れ流した馬鹿で環境が汚染されたらどうしてくれる・・・。」

ぶつぶつ言いながら、墨色に水浅葱のラインが入った浴衣を手に取り、僕の方に近寄ってくる。
ひたり、と何かに気づいたように止まった。

「・・・・・・帯人。」

呻くように呟く。

「何故、下を、穿いてない?・・・と、言うより、何故全裸なんだ?」

視線が明後日の方向を向いている。
悲鳴を上げなかったあたりが流石介護の女と言うべきか。

「・・・・・・?涼が、浴衣を着るときはズボンを穿かないものだって。上半身も何も着ない方がいいって言ってた。」

「そういうことじゃない。私が言ってるのは何故下着を着けていないかということだっ!」

とうとう叫び出す凛歌。
小首を傾げる僕に、ひきりと顔が引きつる。

「まさか、今まで穿いていなかった・・・のか?」

こっくりと頷くと、頭を抱えてしゃがみこんじゃった。

「下着はキチンと着けろ!ちゃんと買ってあっただろ!!」


しまった、最初に拾った時に来ていた服の中に下着がない時に気づくべきだった。
あるいは、着換えさせた時に脱衣所に下着が残ってなかったかキチンと確認するべきだった。
いや、だって有り得ないだろう普通。その点で落ち度はないと思う、多分。
今の今まで、ノーパンだった、なんて。
いや、気づいても良かったのかもしれない。
拾ったときに洗濯したものが、コートとズボンだけだったのを見たときにしっかり気づいておくべきだった。
って言うか、涼もとっとと言え。
あの野郎、気付いても絶対に面白がっていただけに違いない。
ずぶずぶと自己嫌悪の深みにはまる。

「凛歌?」

「うわぁっ!?」

ぐるぐると思考の中を周回していたところに、間近で顔を覗かれた。
間近で顔を覗きこめたってことはつまり物理的に至近距離にいるわけで程よく筋肉がついた綺麗な身体がすぐ目の前にあってわぁ結構好みの身体つきってそんなことが言いたいわけじゃなくて要するに身体の下半分もくっついてくるわけで・・・!
今度こそ悲鳴をあげる。
反射的に、持っていた浴衣を被せるように着せかけた。

「とりあえず下着買ってきてもらうからそこで待ってろっ!・・・叔父さーん、叔父さーんっ!!」

とりあえず、逃げた。
逃げてしまった。


凛歌に頼まれた叔父さんが車を飛ばして下着を買ってきて、凛歌が涼に問答無用で殴りかかったり、涼がそれを名前のとおり涼しい顔して回避していたりと色々ドタバタがあったが、気を取り直して凛歌が僕の着付けに入る。

「まったく、男性用の着物は女性用と違い身丈にぴったり仕立ててあるから、ただ着せて紐を結ぶだけだというのに、何が忘れただ。・・・今のうちに聞いておくが、お前絶対楽しんでいるだろう。楽しんでいるよな?」

「ほら、左右どっちが前か忘れちゃってさ。帯の結び方とか。」

「聞きに来ればいいことだろうが。ってか、質問に答えろ。」

先程の動揺ぶりが嘘のような仏頂面で凛歌が僕に浴衣を着せかける。
そのまま、右の身頃を身体にフィットさせるように巻きつけ、続いて左の身頃をその上から巻きつける。
そして、紐でしっかりと腰のあたりを結わえつけた。

「帯人、苦しくないか?」

「ん・・・平気。」

続いて帯を拾い上げる凛歌。

「いいか?ここをこうして、こうする結び方を『貝の口』という。よく時代劇で使う結び方だな。『貝の口』の場合は、結び目を背中心よりも少し左寄りに持ってくるといい。こういう結び方をすると、『神田結び』になる。解けにくいから職人が愛用していたことから、『職人結び』ともいう。『神田結び』のときは、結び目を背中の中心に持ってきた方がいい。ここを、こうして結ぶと『片ばさみ』になる。この結び方は結びコブが出来ないから、寝ころぶ時に楽だぞ。」

僕の腹のところで3通りの帯の結び方を、結んでは解いて教えてくれる。
最後に、もう一度『貝の口』を作ってから、結び目をくるっと背中にまわした。

「男が浴衣を着るときは、衿は首に添わせて、その分胸元はゆったりと合わせるといい。・・・これで、次から自分で着れるな?」

こっくり頷くと、笑顔で頭を撫でてくれた。

「よし、じゃあ収録行くぞ。」

・・・・・・忘れてた。
僕たちは、『かこめかこめ』のPV撮影のためにこの廃墟の木造保育園に来ていたことを。
なんでも、交通の便が悪すぎるところに立っていたため、すぐに潰れてしまったんだとか。
もともとパステルカラーで塗装されていたのであろう木の棚が、くすんだ色に退色していて、そこはかとなく不気味だ。
一室には、大量の玩具が放り込まれ、置き去りにされたまま、ほこりを被っている。
着付けが終わって部屋を出ると、叔父さんとクロックが背景用の映像をカメラに収めていた。
今日、PVに出演するのは、凛歌と僕、それにアリスと涼だ。
クロックは、耳のこともあり、世界観にそぐわないから叔父さんと一緒に裏方に回ることになった。
配役は、廃墟を訪れる犠牲者が涼で、凛歌と僕とアリスの3人が施設で暮らす死ねない子供たち。
歌は事前に録ってあるけれど、曲の一部を口パクに合わせたいとのことで、一部収録しながら歌うことになる、と。


「「色気が足りない。ってか、エロさが。」」

収録も終盤に近付いてきたころ、涼と叔父さんが口をそろえて言った。

「そんな『逃げられぬように』じゃあ、すぐに逃げられちまうぞ?迫力は及第点なんだから、ちょっと色気をプラスしてくれ。ずっとずっと手に入れたいと思ってたものが今、目の前にあるんだぞ。今この瞬間を逃しちまえば、もう永遠に手に入らないかもしれないって気でやれ。」

「帯人、犠牲者が僕じゃなくて姉だと思えばいい。ほら、叔父さんの工房で姉に迫ったときみたくさ。」

「見てたのか!?」

半ば悲鳴のように叫ぶ凛歌。
その顔は『穴があったら入りたい、むしろ自分で地球の裏側まで掘り進めたい』と如実に語っていた。

「ってか、後で編集して映像を差し替えればいいじゃん。ちょっと姉、僕の立ち位置に立って。」

凛歌を引っ張ってきて今まで自分がいた場所に立たせる涼。

「はい、じゃ、スタートっ!」


冗談じゃない。
帯人に変なスイッチを入れてどうする気だ。
しかし、時既に遅し。
スイッチは、バッチリ入っていた。

「『かぁこめ、かぁこーめー』・・・。」

ゆらり、と手が伸ばされて、頬に触れる。
じりり、と逃げる私を、逃げる分だけ間合いを詰める帯人。

「『逃げられぬよぉに』・・・。」

頬に伸ばされた手が、首筋を撫でて肩に到達。
そのまましっかりとホールドされる。

「はい、OK。」

肩を引き寄せられ、腕の中に閉じ込められた。

「じゃ、収録は全部終わったから後は好きにやってくれ。じゃー皆の者、撤収っ!!」

その『お邪魔虫は退散するから』みたいな顔やめてくれ。ってか、行かないでくれ。アリスもにこにこしながらついていくな。ちょっとスイッチ入れるだけ入れといてそれはないだろう。

「凛歌。」

耳に触れる唇。
ぞわ、と首筋が粟立つ。
果たして、無事に帰宅できるのか。

「ねぇ、凛歌。二人だけでいるのに、考え事?」

なんか・・・無理っぽい。
帯人の腕に『かこまれ』て、逃げることは到底不可能だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

欠陥品の手で触れ合って 日常編 『Cercio Lei』

日常編『Cercio Lei(チェルキオ レイ)』をお送りいたしました。
副題は英訳で『Circle You』。『君を囲む』ですね。
『PV・かこめかこめ編』。またの名を『ノーパン編』。
やってしまった・・・orz
いや、だって、本家さんのところで『帯人はノーパン』って言ってたからつい・・・。
萌神様が降臨して一言、「自重・・・ダメ、ゼッタイ。」。
この後、凛歌が無事に帰宅できたのかは・・・ご想像にお任せします。

ここまで読んで下さりありがとうございました。
それでは、次回もお付き合いいただければ幸いです。

閲覧数:381

投稿日:2009/05/25 02:46:24

文字数:3,501文字

カテゴリ:小説

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