僕はあなたを裏切った―――
<王国の薔薇.9>
紙切れ一枚を渡され、僕は緑の国に渡った。黄の国の軍が緑の国に渡る少し前の事だ。
僕の役目は「彼女」を見つけ出し、「消す」こと。
唇を噛んでももう遅い。今更出来ませんと引き返したら即刻解雇、悪くて刑罰だ。最悪死刑。大逆罪だのなんだの、理由ならいくらでも付くだろう。
多分、僕自身への処罰は僕にとってそんなに大きなものではないのだろうと思う。
でも、リンの側にいられなくなるのは辛い。
ただ一つ、それだけは耐えられない。
自分でもおかしな気がする。
だってリンのどこがそんなに僕の気を引くのかわからない。
普通の女の子と変わらないような笑顔で暴君の言葉を紡ぐ。
ギャップがいいとか?・・・まさか!
それともこれは、血の絆とでもいうものなんだろうか。
どれだけ変わってしまっても、それでも信じて傍にいたいと思う、この気持ちは。
腰に隠した短剣が異様に重く感じる。
「彼女」の名前は、ミク。
カイトさんの言った通り、割と名のある商家の娘。ただし家は質素で使用人もなにもなし。加えて親も留守がち。
こんなの、襲撃してくださいと言っているようなものだ。
仮に彼女に戦闘能力があったとしても、正直負ける気はしない。これでもそういう類の訓練は分かたれたあの日から怠っていないし。
だから殺すのは簡単だ。
そう、とても簡単。
「ミクちゃん?」
道を聞いた女性は気弱げな表情で僕を見た。
「ミクちゃんは確かにそこに住んでますよ」
「ありがとうございます」
僕が社交的な笑顔で応えると、彼女はすこしぼんやりとした笑顔を浮かべた。
「お友達、なんですか?」
「え?」
意外な質問に思わず間の抜けた声を出してしまった。
いけない。変な対応をしては不審に思われる。慌てて笑顔を取り繕う。
「・・・は、はい!ミクさんというか、ミクさんの恋人の友人と言った方が・・・合っていますけど」
「ああ、じゃあカイトさんの?」
「そうです」
「そう。・・・よかった。あんまりミクちゃん、お友達連れてこないから」
しみじみとした声で言われて、話を切り上げるタイミングをなくす。
というか、単純に気になる。ミクさんはそんなに友達が少ない方なんだろうか。
疑問を口にすれば、白く長い髪を揺らして彼女は答える。
「ミクちゃんはあちこちで慕われてますけど、対等に『友達だ』と言ってくれる人は少ないらしいですよ。・・・まあ私も分かりますけどね。ミクちゃん、とても立派な人だから気後れしちゃうんです」
「・・・なるほど」
それはあるのかもしれない。
僕は短く唸った。
まあ判断を下せるほど彼女を知っているわけではないから決め付けることは出来ない。
けれど。
―――今は、知らない方がやりやすいのかもしれない。
教えてくれた女性に御礼を言い、道を進む。
『本当は兵が確実に殺してくれればそちらの方がずっといいのよ』
記憶の中でリンが笑う。
『そうすれば戦争に巻き込まれた死になるわけでしょう?事件を疑われなくてすむとてもいい状況だわ。でもそれだと確実性が不安なの。・・・だから、ね?』
確かにそうかもしれない。
暗澹とした気持ちで、足を運ぶ。
一般市民が巻き添えで死ぬなんて良くある話、というか必ずあることだ。
それは誰も策謀を疑ったりしないだろう。便利というなら便利に違いない。
でも、彼女が「大勢のうちの一人」として殺されるのは嫌だった。
成就はありえないと諦めていたって、彼女への想いはまだこの胸にある。
僕にとって間違いなく特別な人。
リンが殺すと決めた以上、いずれ確実に彼女は殺される。
だったらいっそこの手で――――
そう思ってしまう自分が嫌だ。
でもその暗い誘惑に抗うのは、とても難しいことだった。
家の前まで来てみると、ミクさんは庭に出ていた。
あの日見た姿と変わらない。
綺麗で優しそうで・・・やっぱり目を惹く。
聞こえてくる鼻歌に胸が締め付けられるような気がした。
この人を、僕は。
唇を噛む。
それでも僕が取るべき道は一つだ。
「ミクさんですか?」
掛けた声に彼女は顔を上げ、軽く笑った。
「どなたでしょう?」
「えっと、カイトさんの知り合いでレンと言います」
「ああ!」
きらりと瞳が輝き、ミクさんは満面の笑顔を浮かべた。
それを真正面から見てしまい、頬が熱くなるのがわかる。
お、落ち着け僕。こんなことだけでこの反応ってどれだけウブなんだ!
「あなたがレン君?カイトさんから何度かお話を聞いていたけど、イメージ通り!」
どんな話をしたのか少し気にな、いやいやいやそういう事を考え始めちゃいけない。
上がって、と促されるままに玄関をくぐる。
確かに名のある商家としては質素だ。周囲の家と比べても差は見受けられない。
わざと質素に見せているのか、あるいは贅沢に興味がないのか。多分後者なんだろうな。
「お茶に好みはある?コーヒーの方がいい?」
うきうきと部屋から台所に向かおうとするミクさん。
その日常的な空気に、頭の奥で警報が鳴った。
これ以上彼女と関わってはいけない。
そうしたら間違いなく殺せなくなる。
リンの命令か、ミクさんの命か―――今、選ばなければ。
思いつめることで酸欠のように狭まっていく思考回路。
天秤の片側には恋した女性の命が乗っている。
果たしてもう片側に乗る「命令」は、それよりも重いのか?
吟味する。
果たして僕は本当に、「リンの為」に「ミクさんを殺す」事が出来るのか?
―――殺せないなら、それはリンに対する裏切りだ。
そして、殺したなら・・・・
「レン君?」
考えに沈んでしまったことに気付く。
しまった。ミクさんに心配させてしまう。
大丈夫です、何でもありません―――そう言おうと顔を上げた瞬間、ミクさんの心配そうな顔が目に入った。
考える前に動いていた。
僕は彼女を独りにしたくない。
暴君であれ、何であれ、構わない。
人殺し?人でなし?
それでいい。
どんな誹りだって、受けてやる。
記憶の中でカイトさんが微笑んだ。あの、優しい笑顔で。
『恥ずかしながら一目惚れで。・・・すごく綺麗な人なんだ』
彼との間には友情があった。少なくとも僕はそう思っていた。彼を尊敬していた。
記憶の中でミクさんが笑った。あの、温かな笑顔で。
『カイトさんから何度かお話を聞いていたけど、イメージ通り!』
僕は彼女に恋していた。叶わなくてもいい、幸せに生きていけるのを願う・・・それだって嘘じゃない、本当の気持ちだった。
ごめんなさい。
謝ってもしかたがない、わかっているけれど謝らずにはいられなかった。卑怯だとわかっているけれど、どうしようもなかった。
広がる血溜まりに短剣が落ちる。
びしゃりと嫌な音を立てて短剣が血にまみれる。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
泣くつもりなんてないのに涙が溢れて頬を伝う。
僕はリンの言葉を裏切らずに済んだ。
でも。
僕はあなたを、あなたたちを、裏切った。
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■1A_1
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