視界を取り戻せたのは、あれから半日以上も時間を開けたあとだった。いや、視界だけでなく、聴覚、感覚、それどころか意識まで混濁させられた挙句、全てがはっきりと自分に帰ってきたとき、僕はただ一人白い檻の中に佇んでいた。目を開けた瞬間眼の前に現れた何も無いという空虚と、同時に感じた悪寒は今でも慣れることはない。ここは一体、どこなのだろうか。まず僕はそれを考えた。白い空間に目が慣れてきたのか、寝具、机、ソファー、テーブルなど、ホテルの一室のように生活に必要なものが一通り揃っている。
 時々、何処からとも無く轟音が響く。ゴーッというその音で、部屋中に微かな振動が這う。幾つも幾つも、轟音は何処からとも無く飛来し、空虚の中でいつの間にかソファーに凭れ掛かった僕を、小さく揺らすのだった。
 ふと、誰かが部屋の壁を叩く。いや、壁ではなくて、白い壁だと思っていた白い扉だった。
 立ち上がり、弱々しく扉を開くと、薄暗い通路の向こう側で紺の制服を着た将校二人が待ち構えていた。
 「お迎えにあがりました。網走博貴博士。実験棟にて世刻大佐がお待ちです。」
 僕は小さく頷き、彼等の背を追い始めた。
  僕とミクが意を決して丁度二日後。僕達は、機密保持のために目隠しと耳栓をされながら、軍の重要施設へと移送された。この施設で、僕が何をやらされるか、まだ明確な話はされていないが、僕には既に全てを知っていた。
 君に手足を、そして翼を。ミクに取ってはどれほど聞こえのいい言葉か分からない。だが、実際は軍が望むままにその被験体を舐め回され、解剖されつくし、最終的には軍用の改造を受けるものだと僕は理解していた。無論そんなことが許せるはずがない。ミクが実験動物と同等の扱いを受けることを半ば予想出来ていながら大佐の提案に賛成したのは、ミク自信が行くことを決意したことと、なにより僕にとっては、ミクが自由な四肢を手に入れられたら、という夢が叶うチャンスでもあった。
 苦痛や屈辱は刹那なもの。だが、手足という自由は永遠だ。だからこそ僕は、これから何が起ころうとも、耐えぬくという決意も抱いていた。
 「こちらです。中で世刻大佐と被験体がお待ちです。」
 将校達はそれだけ言い残し、目の前から姿を消していた。既に目の前には、第一機密室という札がついた、物々しい扉がそびえ立っていた。僕が前に立つと扉はひとりでに開かれ、僕の進入を拒むかのように、一寸の光もない闇の中から冷たい空気を吹いた。
 「ようこそいらっしゃいました。網走博士。さぁ、こちらへおいでください。」
 仄暗い闇の奥から、世刻大佐の声が響き渡った。僅かな寒気を覚え、僕は足を踏み出した。
 その奥では銀色に輝く鉄板が照明に照らされていた。いや、これは鉄板ではなく、何かの実験台のようだった。この銀色の台が・・・・・・。
 「ひろき!」
 その時、背後からミクの呼ぶ声がした。振り返ると、拙い歩みでミクが僕に抱きついていた。
 「ああ、ミク! よかった・・・・・・無事で・・・・・・!」
 僕も安堵の余り、我を忘れてミクを抱き返した。ミクとは、施設に到着と同時にとある事情で隔離されていたのだ。僕にはその理由さえ知らされず、不安の余り胸の奥が焼けるような苦痛を感じていた。だが、ミクが僕の名を呼び、再びその温もりを感じた瞬間、胸の中の苦痛も不安も、全てを忘れたように消え去っていた。 
 「ミクさんの件につきましては失礼いたしました。網走博士。」
 闇の中から這い出るように現れたのは、世刻大佐だった。
 「当基地において、アンドロイドの荷物扱いとなるため、立ち入る際には検閲が必要だったのですよ。尤も、今までに類を見ないほど精密精巧に造られたミクさんが安全と判断されるには、かなりの時間を要しましたがね。」
 「ミクに検閲など必要ありません。」
 「それは基地警備隊の方に仰ってください。」
 僕の不満気な言葉を流暢に聞き流すと、大佐は銀色の台座に腰をおろし、微かに鼻で笑った。
 「さて博士、ではあなたの具体的なお仕事をご説明しましょうか。ご存知のとおり、当施設は軍事施設です。防衛省の管理下ではありますがね。これから貴方達は我々が計画しているプロジェクトの要となって協力していただきます。ここまでは先にお伝えしたとおり。」
 そして大佐の視線がミクに傾き、細められる。
 「計画の内容とはもう気づきかもしれませんが、我々は貴方の開発されたミクさんの肉体構造を、軍事用アンドロイドへ転用するために、その全てを網走博士の手によって公式的にデータ化していただきたいと思います。元々、博士がクリプトンでミクさんの開発を行っていた時点で、我々はその画期的な技術に目を付けていました。」
 その時、僕の脳裏に一年以上前の映像が蘇っていた。
 ミクが目覚めたあの朝。開発チームの仲間達や社長、鈴木君と共に記念すべき未来への目覚めを祝福していたとき、突如研究室に踏み入った、二人の青年。その一人が、世刻大佐だったのだ。
 何故軍人がこんな場所にいるのか、凡その推測は出来ていたが、その目的は最終的にこんな闇の深くまで続いていたと理解したとき、僕は大佐の存在に恐怖にも似た奇妙な感情をいだいていた。
 もしかすれば、ボーカロイド計画の途中であの二人がエラーを起こしたのは・・・・・・と、恐ろしい想像すらしてしまう。なぜなら、大佐は今この時を、あの目覚めの朝から待ち望んでいたかも知れないのだから。そのためであれば、大佐は如何なる手段さえも躊躇しないはずだ。
 僕は平穏を保ってはいられなかった。胸の奥で血液が止めどなく濁流し、無意味にミクを抱き寄せていた。しかし、そんなことはお構いなしに大佐の説明は続く。
 「そしてもう一つ、ミクさんには我々の提供するアンドロイド技術と、新型強化殻兵装のテストモデルとなっていただきます。その過程で、ミクさんに腕部、脚部を差し上げましょう。」
 大佐の言葉が途切れた。僕には、言い返す言葉もない。
 逃げることはできない。拒否権もない。こんな檻の中で、僕は彼等に従うしか無い。ならば、もいい。言われるままにするしか為す術がない。全てが終わるのを待てばいい。絶対に開放されるときが来る。
 「ミクさんの本格的な改修は、明日から早速行っていただきます。データの分析は、その過程でも十分可能です。本日は長旅でお疲れのようですから、ミクさんとゆっくり、体を休めてください。」
 「・・・・・・分かりました。」
 僕が短く答えると、何処からとも無く飛来する轟音が鼓膜に触れた。
 「では、私はここで失礼します。」
 あの音が聞こえるなり、大佐はいそいそと台座から立ち上がり、足早に研究室の闇の中から姿を消した。自動ドアが閉まる音は一寸の余韻も残さず、僕とミクを闇と無音の中に閉じ込めた。
 狭く台座を照らす明かりの下で、僕達は沈黙に身を委ねた。台座に腰を降ろしてミクを膝に乗せると、無性にその身を抱きしめてしまう。
 無意味な望みが次々と生まれては消えていく。不安定になった感情が激しく体の中を躍動して、微かに、震えていた。
 「ひろき・・・・・・。」
 「なに?」
 「こわいのか?」
 その言葉に、流れる感情が塞き止められた。
 「・・・・・・そうかも知れない。ミクがこれからどうなるのか、いや、これから僕自身が君をどうしてしまうか分からない。逃げられなくて、どうしようも無いから、すごく怖いよ。」
 「わたしは、こわくない。」
 「えっ。」
 ミクが振り向いて、僕の瞳を優しく見据えた。まるで不安に駆られた僕を励ますかのようで、その瞳の輝きは、僕の胸中にある不安を掻き消し、照らし出す光明だった。 
 「わたし、今の話をすこしだけ分かったんだ。でもこわくない。だって、ひろきがずっとそばにいる。何があっても、ひろきとならこわくない。ひろきが好きだから。」
 「ミク・・・・・・。」
 「そろきは、わたしと一緒にいてもこわい?」
 ミクに始めて問いかけられたとき、僕は自分の考えていたことが、余りにも馬鹿馬鹿しいことだったと気づく。
 怖がることなんて無いじゃないか? ミクがこうして僕と共にあるのに今更何を恐れる? ミクは僕よりも遥かに賢かった。如何わしい事情を理解していながら全く不安も恐怖も抱かなかったのは、僕が共にいるからだ。ならば、僕もミクが共にいれば、臆することなど何も無い。
 「いいや。もう、こわくない。もう全然怖くないよ。ミクが一緒にいるからね。」
 「そう・・・・・・よかった・・・・・・。」
 ミクは緩やかに笑を浮かべて、僕の体に身を委ねた。
 僕もまた、その体温に安らぎを感じた。
 
 ◆◇◆◇◆◇
 
 指揮所から双眼鏡で望む蒼天の先、陽炎の揺らぐアスファルトの彼方より、大地をも揺るがす振動が響き渡り、全ての音という音を切り裂いて、聴覚に激しく叩きつけられる。
 その巨体と爆音、そして、この大地に伏す者総てを圧倒的する、絶大な力を持つからこその風格。天空を支配する灰色の猛禽どもが、荒涼とした滑走路に次々と舞い降りる。全長約20メートル、総重量27トンを誇る鋼鉄の塊が地上に降り立つその姿は、見る者に否が応にも畏怖の念を刻み込む。
 戦術教導隊、通称アグレッサー。日本防衛空軍の中でも卓越した能力を持ち、搭乗機であるF-15改の性能を限界まで引き出せる猛者達が集められた空軍最強の部隊である。
 新兵に空戦の術を叩き込むための彼等が、何故このような辺境の実験基地にいるか。それは皮肉にも、最強を誇る彼等が餌となるためであった。 
 「にしても、少々酷とは思いませんか?」
 隣の若い士官に声を掛けると、彼は少し動揺の色を見せた。上官に気安く話しかけられたことなど、これまで無かったのだろう。
 「例の機体とパイロットからすれば、いくら戦術教導隊と謂えどもただの的に過ぎません。」
 最初の反応に反して得意げな言葉が帰ってくると、私は思わず苦笑した。
 四機のF-15改が全機、誘導路から駐機場に入った時、滑走路先の彼方から、陽光を鋭く反射する白い物体が現れた。
 双眼鏡の倍率を上げると、流線型を描く形状と前進翼という、特異なフォルムをした純白の機体がランディングコースに進入しようとしていた。
 「あの機体です。」
 「X/AF-49ブラックソード・・・・・・この私も始めてお目に掛かりますが、なんと美しい機体なのでしょう。」
 「いいえ、あの機体はブラックソードではありません。」
 「ほう・・・・・・?」
 よく見れば、例の機体はその名の通り漆黒の塗装であったはずだった。しかし、この機体は純白の塗装がなされている上に、機体各部にも微妙な違いが見られる。
 「X/FA-49の技術実験型です。先に開発された四機とは違い、実戦には投入されずに新技術の実験用としてこの基地に配備されることとなりました。」
 士官は、まるで自分の物の用に自慢げに解説する。
 「私どもでは、あの機体を『ホワイトソード』と呼んでいます。パイロットは、強化人間としては最高齢、検体番号SG-1です。」
 「なるほど・・・・・・。」
 ホワイトソードは滑走路に接地いる寸前に空中でバウンドし、速度を急激に緩め、まるで押さえつけられたかのようにその場に静止した。そして、誘導路を緩やかに降りながら駐機場で停止した。
 甲高い独特のエンジン音がその強烈な呼吸を鎮めると、ポリカーボネートではなく、センサーの散りばめられた装甲のキャノピーが持ち上がり、中から一人のパイロットが現れた。 
 特殊Gスーツに包まれるのは、まだ体格的に熟していない肉体。ヘルメットから現れたのは、あどけなさの残る表情。最強の機体を駆るパイロットとは、若干、十代半ばの少年だったのだ。しかし、そんな彼こそが仮想訓練にて日本最強のアグレッサー達を赤子同然に葬り去った、強化人間なのは紛れもない事実であった。この彼こそ、黒き天使と翼を交えるにふさわしい存在だということに誰も異論を唱えはしないだろう。
 白い翼を持つ彼の、深海の如く蒼いその瞳は、指揮所に居座る私の姿を捉えていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Eye with you第二十二話「その瞳に宿すもの」

この期に及んであの機体の派生が登場。
すごい展開が待ってたり・・・・・・。

閲覧数:118

投稿日:2010/09/11 22:39:26

文字数:5,005文字

カテゴリ:小説

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