『灼熱。』
 今日の天気を一言で表すならこれしかない。地面から沸き立つような陽炎が遠くをゆらゆら揺らしている。僕は陽炎越しの世界を見ている。
 じりじりと太陽が空から僕らを焦がす。直接内蔵まで届きそうな程突き刺さる紫外線。それでも僕らは日陰に入ろうとはせず、ブランコに座り汗を流しながら必死に語り合う。
 そう、まるで今日で僕らに大して何かしらのアクシデントが起こることを予知でもしているかのように。
 いや、予知、は言いすぎたかもしれない。予感だ。きっと僕も、彼女も予感をしていた。
 彼女は膝に猫をのせて、綺麗な毛並みを静かに撫でていた。時折猫を愛おしそうに見ては僕をまた見る。彼女はただ笑っていた。僕も、笑っていた。なにを話していたかは、覚えていない。きっと昨日見た夢だとか夏休み明けにあるテストのことだとかそんなこと。
 今日はひどく暑いね、なんて言いながら僕はポケットから携帯電話を取り出し空に透かす。薄いタブレット端末に写る画面には『8月15日 12:32』という文字と、今日の空が写っていた。いつカメラ起動させたっけな、と思いながら携帯電話をポケットに戻した。横からこっそり画面をのぞき込んでいたらしい彼女はもう十二時半なんだね、と呟いた。結構長い時間ここにいることになるね、と僕が言うと彼女は唇を尖らせた。
 「でも夏は、嫌いなの」
 帰ろうか、と言いかけたとき彼女の膝に座っていた猫がふいに地面に降り立ち公園から逃げ出してしまった。追いかける彼女を僕も追いかけた。
 逃げ出してしまった猫は道路に行ってしまった。大通りの、丁度赤信号。飛び込んでしまった彼女に近づいてくるトラックは彼女に気づきブレーキを踏みしめたが、間に合いそうもない。キキィ―――、と甲高い耳障りな音と共にトラックはスピードを緩めず彼女に近づいていく。
 猫を抱きかかえた彼女は動くことができないのか目を見開きトラックを眺めている。僕は彼女を押しのけ、飛び込んだ。瞬間、トラックとぶつかる。弾ける体、凹んだトラック、猶も止まらないトラックのブレーキ音。宙に飛んでいるとき、彼女が見えた。ほんの一瞬。
 彼女は地面に腰を抜かしたように座り込み、信じられないという目で僕を見ていた。僕だって信じられない。驚くほどに、痛くない。きっと感覚が麻痺したのだろう。視界に紅が入り込んだ。これは誰の血?
 どしゃ、と醜い音をたてて地面に落ちる。彼女は俯き、肩を震わせている。逃げ出した猫がそっと僕に近づきぺろりと力が入らない僕の指先を舐めた。彼女の後ろに異様な陽炎が立っていた。


 ジリジリ、と携帯電話のアラームが鳴り響いた。えぇと、今は何時だったっけ。
 携帯電話の画面を見ると『8月15日 10:25』を示していた。着替えて、公園に行ってみた。彼女は猫を膝にのせて僕を待っていたようで僕を見つけると笑顔を浮かべた。
 隣のブランコに腰をおろし、さっきまで見ていた夢を思い出した。やけに現実味を帯びていた。同じ公園だ。彼女は猫を膝にのせている。
 僕らは話をした。どうでもいいような、そんな話。
 彼女は話の合間にちらりと猫を見ていた。夢とは違い、その視線に愛おしさは無かった。あるのは囚人を監視しているような鋭さだけ。
 今日もすごく暑かった。陽炎が沸き立っている。遠くをゆらゆらと揺らしている。大通りから車の行き交う音が聞こえた。
 「私、夏は嫌いなの」
 猫を撫でていた彼女の手は止まった。猫はぴくりと髭を動かした。猫は頭をあげ、彼女の顔を見ていた。
 携帯電話を取り出し、空に透かす。『8月15日 12:32』その文字は僕の心の中のなにかをぐちゃぐちゃにかき乱した。
 もう、十二時半なんだね、と彼女は顔から血の気が引いていた。どうしたの、真っ青だよ、と言うとなんでもない、と彼女は首を振った。
 その時、猫が逃げ出した。彼女は勢い良く立ち上がり猫を追いかけた。僕もその後を追いかけた。これじゃぁまるで夢と同じじゃないか。胸が酷く痛む。
 猫を捕まえた彼女が飛び込んでしまったのは、赤に変わった横断歩道。夢と同じようにトラックが彼女に近づく。距離は、ゼロ。
 彼女の細い体がトラックに巻き込まれ、ブレーキの音と混ざっていく。甲高い音と僕の叫び声が鳴り響く。彼女の体から流れる血が飛沫となって僕に、トラックに降りかかる。
 彼女はゆっくりと僕を見て、そして信じられないといいたげに目を見開いた。
 逃げ出した猫がそっと彼女に近づき、流れる涙を舐めとった。彼女は力なく口をぱくぱくと動かした。声は聞こえない。
 僕も陽炎にとりつかれたようだ。蝉の声だけがこの街に響いていた。


 チクタク、と確かに時を刻む音で目を覚ます。今は何時、『8月14日 12:06』。
 着替えて家を飛び出し公園へと向かう。今日も夢をみた。あれ、今日も?夢をみたのはいつだったっけ?
 彼女は膝に猫を載せていた。僕を見つけると手を振ってここだよ、と知らせた。
 彼女の隣のブランコに腰をおろす。猫はぐったりと彼女に身を任せるように寝ていた。彼女は時折猫の背中を撫でた。
 今日もひどく暑かった。地面から沸き立つ陽炎が僕らを揺らした。木に囲まれた公園のあちこちから五月蝿い蝉の声だけが響いていた。
 不思議な夢をみるんだ、と彼女に言ってみた。どんな、と彼女は首を傾げる。繰り返す夢、とだけ言った。彼女が死ぬ夢だなんて、口が裂けても言えるはずがない。
 ねぇ、今何時?と彼女が僕に聞いた。ポケットから薄い携帯電話を取り出し彼女に画面を見せる。『8月14日 12:32』を示している。猫はぴくりと体を揺らし、頭を持ち上げ、地面に降りた。軽やかにステップを踏むように猫は公園から走り去った。猫を追いかけようとする彼女の腕を掴み、彼女は振り向いた。
 「もう、今日は帰ろうか」
 そうだね、と彼女は笑みを浮かべ公園を出て、道にでた。
 にわかにざわざわとし始めた周りを見渡すと周りの人は皆上を見上げ、口を開けていた。何事だろう、と上を見上げると、鉄柱が僕らをめがけて落ちてきた。右肩を押された。
 その瞬間彼女に鉄柱が降り注いだ。近くには工事中のビルが立っている。そこから落ちてきたらしい。なんとも管理不届きな、と僕は思う。
 彼女の体を鉄柱が貫いている。彼女に押されなければ僕も死んでいたはずだ。
 だけど―――――。
 彼女の血飛沫が舞う。僕はまたそれを浴びる。赤く染まっていく視界。そうか、あの日の紅は君の色だったのか。ぼんやりとしはじめた頭に劈くような悲鳴が突き刺さった。
 後ろを振り返るとゆらゆらと揺らぐ陽炎があった。
 「夢じゃないぞ、夢じゃないぞ!」
 陽炎は叫んだ。ふざけるな、彼女を返せよ。彼女を振り向くと彼女の口元が僅かに歪んでいた。眩み始めた視界の中で、君の横顔が笑っているように見えた。


 何度となく、僕は繰り返した。君の話す内容も、君の笑顔も、全て、陽炎が笑って奪い取っていく。僕に残ったのは血に塗れた、一つの掛け時計だけ。
 何度繰り返しても時計は時間を遡る。僕らは繰り返してどれくらい経つのだろう。
 最初はなんだった。始まった理由はなんだったけな。もうわからない。
 何度も、何度も、何年も、ましてや何十年も繰り返しても終わらない。
 僕らがしていることは間違っているのか。それさえわからない。
 だけど、一つ。一つだけ。
 こんなに良くある話なんだ。結末は一つだけしかない。
 時計が刻んだ時間。繰り返した8月14日と15日。
 蝉が鳴き叫んだ公園、彼女が流した血の量、揺らめく陽炎の姿。
 繰り返した夏の日の向こうに飛び込んで行こう。


 彼女は公園にいた。いつものように公園で僕を待っていた。ここだよ、って手を振った。僕は駆けて彼女の隣のブランコに座る。彼女の膝の上で猫は満足そうに彼女に撫でられていた。
 ポケットの中の携帯電話が微かに揺れる。取り出すと画面いっぱいに写る『8月15日 12:32』。これでもう終わりにしよう。
 彼女がのぞき込み、もう十二時半だね、と呟く。そうだね、と呟くと猫はふいに彼女の膝から地面へ移動し、公園から逃げ出した。
 追いかける彼女の後ろを僕は走る。大通りにでた猫を捕まえた彼女は赤信号の横断歩道にいる。彼女に気づいたトラックがスピードを緩めようと甲高い音を鳴らしながら彼女に接近する。彼女にトラックがぶつかる前に彼女を押しのけ飛び込んだ。トラックに衝突する。凹んだトラックに僕の血がべっとりとついている。立ち尽くす陽炎に僕はただ嗤う。
 「ざまぁみろ」
 吹き飛ぶ体から軋む音が体の中から聞こえる。彼女の見開いた体に反射し、血飛沫をあげ、彼女を赤く染めていく。
 陽炎はまだ文句ありげに僕を見ているものだから、僕はまた嗤ってみせる。今度は、思い切り叫ぶ。
 「ざまぁみろよ!」
 地面に体が落ちた。醜い音をたてじわりと地面に赤を垂れ流す。
 実に良くある夏の日のこと。蝉の五月蝿い鳴き声と、君の甲高い叫び声と、文句有りげな陽炎に包まれよくあるそんななにかに終わりを告げた。Bad End?


 鳴り響く秒針の音に目を覚ました。
 ベッドの脇に置いてある薄いタブレット端末の携帯電話を取り画面をつける。『8月14日 4:15』。良くない夢を見ていたようで。
 でもあれは夢じゃない。さっきまで私は確かにあそこにいたはず。
 ベッドに横たわる猫を抱きかかえる。にゃぁ、と不機嫌そうに鳴く。ごめんね、睡眠の邪魔して。
 「また、駄目だったよ」
 私が死ぬ回数よりも彼の死んだ回数が多いだなんてきっと彼は知らない。知らなくていい。
 カーテンを引くとまだ薄暗い街が見えた。少し向こうに見える彼の家。君の部屋。
 
 そして、今日もまた――――。 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【自己解釈注意】陽炎【カゲロウデイズ】

閲覧数:237

投稿日:2012/08/12 15:21:54

文字数:4,038文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

  • 関連動画0

  • 有言

    有言

    ご意見・ご感想

    こんばんは。
    先日からピアプロでボカロPの曲の心情解釈小説を書かせていただいております、有言と申します。

    この度、鈴音いちご@Teamoさんの作品を読みまして衝撃を受けました。
    『カゲロウデイズ』は私の大好きなボカロ曲の一曲だったのですが、こんなに綺麗に文章…いえ、物語として書くことが出来るのだということに驚き、感心しました。

    僭越ながらブクマとフォローをさせていただきましたので御挨拶申し上げた所存です。
    これからも鈴音いちご@Teamoさんの執筆活動を応援しております!!
    それでは、季節の変わり目ですので体調には十分お気をつけくださいますよう。

    2012/08/13 03:01:51

    • 鈴音いちご@Teamo

      鈴音いちご@Teamo

      >>有言さん
      こんばんは。感想ありがとうございます。
      結構前から不定期にボカロ関係のものを投稿しております、鈴音いちご@Teamoと申します。

      私の作品に目をとめていただき、光栄です。
      カゲロウデイズは聞いているだけでイメージがふつふつと溢れてきて、それを文章にしただけなのですが、きちんと物語として描けてイメージに残すことができ、とても嬉しいです。
      お褒めの言葉ありがたく頂戴いたします。

      ブクマとフォローありがとうございます。
      応援ありがとうございます。ご期待に添えるかはわかりませんが、自分なりに頑張ろうと思います。
      有言さんも、体調にはお気を付けてください。
      ありがとうございました。

      2012/08/14 09:04:11

オススメ作品

クリップボードにコピーしました