闇の中では目には何も映らない。しかしエレベーターの中には、低くお腹のそこに鳴り響くような機械音が鳴り響いていた。
 私を閉じ込めたまま黙り込んだエレベーター何分か経った後、息を吹き返した様に突然動き出して、私がいくらボタンを操作しようと全然反応しないまま、ひたすら上へ上へと登っていた。
 <<ミク、大丈夫?>>
 携帯から博貴の声が聞こえる。その声の向こう側からは、大勢の人々が騒ぎ立てている声が聞こえた。
 「ああ、なんとか上に上がってる。でも、全然止まってくれなくて、勝手に上がってるんだ。」
 <<一体、どういうことなんだろう……ごめんね、ミク今の僕には何も出来ないんだ。救助隊の人達も、手の施しようがなくて……>>
 「大丈夫。上に上がってるから、きっと出られるよ。」
  <<うん。そうなることを願ってるよ。あ、ちょっと待って……>>
 博貴の言葉が突然途切れた。博貴は電話を切ったのではなく、さっきから鳴り止まない騒ぎの声に耳を傾けているようだった。
 「博貴、どうかした?」
 私が訊ねると、博貴の吐息が耳元に聞こえて来た。でもその息づかいはどこか不自然で、興奮でも動揺でもないような様子だった。
 <<いや……ミク、よく聞いてくれ。さっきのエレベーターの故障や地下研究所のセキュリティの異常なんだけど……どうやらそのクリプトンタワーの中全域、それどころか、この市街地中に、似たような現象が起こっているみたいなんだ。それに、他のアンドロイドも、テレビに出ていたボーカロイドも、君と同じように突然……に……あれ? ねぇ、ミク……どうし……>>
 博貴の声に雑音が入り始めたと思った瞬間、怒り狂った砂嵐のような音が携帯から流れ出し、私は思わず携帯を放り投げた。闇の中で、硬いプラスチックが床にぶつかる音が、虚しく響き渡った。
 「一体……一体何が……博貴、ひろき……!」
 私はその場に座り込むと両手を床について、肩を震わせた。もう私には、今を理解するほどの気力がない。
 私を閉じ込めたエレベーターは、黙々と上がり続けている。
 
◆◇◆◇◆◇

 多分、四十分ほど前になると思う。エレベーターから落下して、次に目がさめたのは。私が床に叩きつけられて粉々にならずに澄んだのは、何かが私のバッグに引っかかって私を引っ掛けていたからだった。
 闇の中からゆっくりと、感覚と音が蘇ってくる。すると、脇に物凄い力が掛かっていることが分かった。ひも状の何かが私の腕に食い込んでいるんだ。
 何だろう。何秒か経ち、意識が完全に戻ってくると、それが私の持っていたトートバッグであることを思い出した。確か、博貴とエレベーターの上に出た時も、私は肩からこれを下げていた。だから、落下した時に、これがどこかに引っかかったのだ。
 とりあえずこの宙ぶらりんのまま待っていても仕方がない。片手でジーンズのポケットから携帯電話を取り出し、開いてみる。さっき調子が悪くなっていたのは知っていたけれど、灯りがなくてはどうすることもできない。
 電源ボタンを押すと、とりあえず画面が点灯し、うっすらと辺りを照らされた。見る限り、もうかなり下の方へ降りてきてしまっているようだ。足元に携帯電話の画面を向けると、微かにエレベーターのワイヤーが繋がれた機械と、僅かな足場がある。
 「よし……やってみよう……。」
 床までは10メートルぐらい。私なら、飛び降りれない高さじゃない。
 すうっと深呼吸した後に思い切り右腕に力を込めると、バッグのベルトは破裂するような音を立てて引きちぎれ、私は、冷たい風を切って下に落ちる感覚に包まれた。それと同時に両足を抱えて体の重心を前に倒すと、私の体は自然に宙を回転し、そして一回転すると同時に両手両足に強い衝撃が加わった。金属音が頭の上へと逃げる様に響きわたっていく。
 顔を上げると、どこからか微かな光が漏れていることに気がついた。見上げると、エレベーターの扉が数センチほど開いて、中から青白く不気味な色の光が差し込んでいる。
 扉に手を伸ばすと、後もう少しの所で届かない。足に弾みをつけて一気に宙へ飛び上がると、指先が扉の足元にある縁を掴まえた。そして両腕に力を込めて私は40キロの自重を軽々と上に持ち上げ、扉の隙間に両手を潜りこませた。
 「フゥーッ……。」 
 一呼吸入れる。今度は楽じゃなさそうだ。
 両足で縁の上に立ち上がり、数センチ開いた扉を、両側へと無理やりこじ開けていく。
 その時、また頭の上でアラームが鳴ったかと思うと、力を込めていた両手から消えるように扉の感触が消え、目の前に青白い光の空間が広がった。どうやら、今度は扉が勝手に開いたみたいだ。
 どうやら施設は停電しているのだろう。上の蛍光灯は消えて、足元に小さく青白い非常灯が点いているだけ。この薄暗さといい、それに肌寒さといい、消毒液の匂いといい、見慣れた研究施設が、不気味と思わずにはいられないような、異様な姿に見える。
 「どうすればいいんだろう……とりあえず、無事なエレベーターか、非常階段を探さないと……。」
 とりあえず、というか、そうする以外ここから出られる方法はないと思った。私は足元を、携帯電話の液晶画面の光で照らしながら、その異様な世界の中に入り込んでいった。
 まるで人気が感じられない。宿直の人はどうなったんだろう? 私一人では、こんな広い研究施設から出られるわけがないから、出来ることなら非常用の出口や階段を知っている人に出会いたい。
 歩き続けている内に、突然どこからとも無く館内放送のサイレンが響き渡り、頭のすぐ上から録音のアナウンスが流れだした。
 <<警告。セキュリティが有害物質の漏洩を探知。セクター1、セクター3、セクター5を封鎖>>
 「え……?」
 何のことだか理解出来ない内に、どこからかシャッターの閉まる音が聞こえ、私の周りでも幾つかのシャッターが締め切られ、私の正面にある通路だけが、果てしない暗闇の奥底へと続いている。
 <<退避通路を確保。早急に施設内から退避せよ。非常電源起動、一部回復>>
 次の瞬間、目の前が真っ白い光に照らされ、私その眩しさに顔を伏せた。数秒経ってから顔を上げると、そこには目を見張る光景が広がっていた。
 入り組んだ施設内の中で、閉鎖されていない通路の上の灯りだけが点灯している。まるで、道しるべのように。
 <<ハシレ……イソゲ……>>
 そして物凄い衝動が私の中に生まれた。鳥肌、耳鳴り、鼓動、痙攣。この場に呆然と立ち尽くしているだけの私の体が、激しく揺れ動いている。もう、一秒でも、指先でもそのままにしていられない。
 何も理解できていない。この先に何があるのかも分からない。それでも私は、居ても立ってもいられず全力で走りだした。
 研究施設の通路を駆け抜け、立ちふさがる扉を蹴破り、見たこともない知らない場所へと猛スピードで近づいていく。そして目の前に現れた巨大な鉄の扉の前で一度立ち止まると、扉は私を誘うかのように、自動的に開かれた。何故? そんな事までは考えられない。
 そこは今までの研究施設とは違い、天井が高く、周りには所狭しと貨物用の大きな箱が並べられている。どうやら倉庫のようだ。
 いつの間にか、私をここまで走らせた衝動は、私の中から消えていた。私は一度深呼吸すると、大きな箱の合間を縫って、倉庫の奥へと足を踏み入れていく。もしかしたら、と思った。
 倉庫の奥で、緑色のランプが暗闇に潜む獣のように、二つ並んでいる。
 「やっぱりあった。貨物用エレベーターだ。」
 ランプの下を見ると、車が二台並んで入れそうなほど広いエレベーターが目に入った。横の操作盤も光が点いているところを見ると、どうやら動いてくれそうだ。
 「よかった、これで……。」
 私は安心してエレベーターの中に入ったが、その瞬間、何も操作していないのにもかかわらず背後で柵が出口を塞ぎ、上へ向かって登り始めた。
 「まただ……何もしていないのに動きだした。研究所の灯りといい、まるで、誰かに見られているような……。」
 でも、だとしたら何だろう、あの衝動は。あれはまるで私の中で、別の意志が生きているような気がした。そしてあの声も、どこから聞こえたわけでもなく、私の頭の中から、私に語りかけてきたようで……。
 暫く考えると、次第に目の前がぼやけ始めた。無事に地上に出られるという事が分かると、急に全身から力が抜けて、その場に座り込んだ。そうして、次第に微睡みの中に意識が溶けこんでいった。
 そしてまた聞いたんだ。あの声を。私へ語りかける呼び声を。
  
 ◆◇◆◇◆◇

 眠りについたはずなのに、誰かが私を呼んで、引き寄せている。声でも音でもないもっと曖昧な感触が、暗闇の中から私に向けて発せられてる。これは何の夢なんだろうか。ただ私を呼ぶ、それだけの夢。意識は朦朧としていて、その感触が何なのかとか、ここがどこなのか、自分が何者であるかすら理解出来ない。ただあの感触を感じるためだけの存在にでもなったように、暗闇の中、外の光が差し込むまで、私はそれを感じつつける。恐怖や不安は不思議なほどに感じない。それどころか、この夢すらもあまり不思議には思えなかった。まるで私を呼ぶ何かの正体を、自分がよく理解しているかのように、魂だけの私は、ただ感じ続ける。
 もう一ヶ月も前からこんな夢を見ている。私は、何かおかしいんだろうか。いや、考えてみれば、私は十分異常なのかも知れない。
 <<……ミク、ミク! 聞こえるかい?!>>
 その時、しっかりと私の名を呼ぶ声が耳に飛び込んで、私を夢の世界から引きずり下ろした。それでもまだ、私の周りには闇しか無い。

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THE END OF FATALITY第一話「闇から見上げる兆し」中編

欲張り過ぎた。次は短いはず

閲覧数:170

投稿日:2011/09/21 20:07:56

文字数:4,006文字

カテゴリ:小説

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