マスターは思ったより元気だったよ。右手は麻痺が残っているみたいだけど笑い顔はいつもどおりだ。ぼくたちのプレイに左手だけのシンバルで合わせてくれたけど、リズムがだんだんズレて、しまいに裏に入ったのにはみんな笑った。
 ナツミもユナもレイもいた。昔のメンバー勢ぞろいだ。君の曲も二曲やった。ボーカルはギターのケンだ。予想通りサビで声が裏返った。
 それからベースのトモの曲とドラムのモッチのでマスターとナツミが踊ってテーブルにぶつかり、コップが割れた。あの頃みたいだ。
 ぼくの新曲もやった。テル、君のアドバイス通り歌詞は直したよ。確かにユルイけどそこそこ受けたと思う。泣いてる娘もいたけど、それは町でただひとつのこのライヴハウスが無くなるのとダブったからだろう。
 君が送ってくれたマスターの似顔絵はみんなに大受けだ。あの鼻の大きさ! マスターはひでえひでえって言ってたけど、実はちょっと泣いていた。

 ぼくらはあの店に育てられたんだ。小さい頃からあんな店があることは知っていて何度も前を通ってたけど、初めて入ったときはブッ飛んだ。
 あの細くて汚くてベタベタした階段、落書きだらけの壁、タバコのヤニが染みついた天井、黒い扉の上の豚のイラスト。ケンは怖い怖いって何度も言ってたけど、中から漏れてくる音楽がぼくらを吸い込んだ。
 あのとき演ってたのはリュウさんのバンドだ。世の中にこんなカッコいい人たちがいるのかと思った。女の子はキャアキャアだし。ああなりたいと思った、今考えるとおかしいよ、ぜんぜんなりたくない路線だ。
 でもとにかく熱い夜だった。店を出たら雪が降っていて、そんなことにも感動した。ぼくらは幼かったし。あのあと公園で朝までしゃべったよな。で翌日ケンが熱出して寝込んだのには笑った。
 君とモーリは何度も喧嘩したな。モーリは譲らないし、君は君で……、まあ色々あった。いずれモーリも入れてどこかで演れないかな。無理か。それは無理か。モーリは今お父さんの店で油にまみれてる。でもしょっちゅう親子喧嘩だからいずれ飛び出すかもな。音楽はあきらめてないらしいよ。メジャーとかじゃなく、ひたすら一人でやりつづけるつもりだ。あいつらしいよ。

 きみが抜けてもう三年か。ぼくらのバンドは休止中なだけだってモッチはずっと意地張ってたけど、店がなくなってこれでメインの場所もなくなったわけだからこのさい正式に解散しようって話し合った。それでいいんじゃないかな。みんな生活もあるし。
 あすこで最後の演奏が終わったとき、やっぱりみんなここにテルがいてくれたらって言ってたけど、ぼくは君が中途半端な自分を見せたくない気持ちは判る気がした。だから何も言わなかったよ。
 詳しくは知らないけど一度契約を切られたからってそれで終わりじゃないんだろ? また次のチャンスもあるんだろ? 素人のぼくが言ってもしょうがないけど、テル、君の歌は最高だ。いつか世の中に鳴り響く。絶対だよ。
 プロの世界のしきたりは判らないから簡単に頑張れなんて言えないけど、君はやる奴だ。そう信じてる。

 おぼえてるかい? あの凍った湖、一人が尻もちをついたらみんなつられて転んだこと。全員で幹を揺すって雪を落としたこと。並んでつけた人型のくぼみ。今ではあんな想い出がぼくらの勲章だ。
 テルが今の自分を中途半端だと言うのなら、ぼくら全員も中途半端だ。いっそのこと「中途半端軍団」ってバンド名に変えてまたみんなで集まろう。来年の冬か再来年の冬か、それが無理なら5年先か10年先か判らないけど、またみんなでめちゃくちゃな、中途半端でどうしようもない演奏ができたら最高だ。モーリは嫌がるだろうけどどうでも良いよ。
 テル、そのときのための曲を作ってくれよ。中途半端だけど最高だった、ぼくたちの曲を。

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君のいない冬に

歌詞の元にするためのストーリーとして書いています。

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投稿日:2020/09/19 16:28:56

文字数:1,578文字

カテゴリ:小説

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