「・・・・・・これから、どうするの?」
「どうとは?」
何事もなかったように襟元を正しながら、青年が首を傾げた。
掴み掛かられたことを気にした様子はない。鷹揚というよりも無関心に近い、手ごたえのなさだった。
「国を挙げて動けないあなたが、ここまで密かに私達を支援してくれたことには感謝するわ。でも・・・」
その先の言葉を一瞬ためらい、すぐに思い切ったようにメイコは続けた。
「この先はどうなるの?あなたの国はこの国を攻めるの?ミクを、・・・人質の公女を殺したこの国を」
相手を案じる心とは別に存在する、強い警戒を込めて慎重に問い掛ける。
蒼い瞳が興味を引かれたように、メイコを見つめた。
それを見返す刹那、彼女は構えるように深く息を吸った。
この男。
カイザレ・ボカロジア。
『ボカロジア』――死と栄光の血脈。数多の疑惑を孕む死の影を纏い、眩き栄華を誇る優艶の一族。
常に穏やかで優しげに見えるこの男が、見た目よりもずっと恐ろしい相手だと、メイコが漠然と理解するようになったのはいつのことだっただろう。さほど時の経った話ではない。
王と王妃を一度に失い、そこに重なるクリピアの侵攻に窮したシンセシスは、同盟国であるボカリアへと援助を求め、これを受け入れてボカリアは国軍の派遣を行った。クリピアへの敵対行動には当たらないとして、シンセシスの国境から先へは越えることのない、あくまで護衛の為の兵として。
公女誘拐の報に一度は本復した身をまたも崩した大公に代わり、公子であるこの男の名においてそれは行われた。
その上、両国に敵意のないことを証明するためとして、戦争が終結すれば直ちに兵を引き、以後の王家なきシンセシスの首都を自由交易都市として、商人達による自治を認めることまでも、彼ははっきりと宣言したのである。
話を聞くだけなら美談のようだ。
特にメイコたちのように、王政を打ち倒して自由を勝ち取らんとしている者たちにとっては、自分たちの先例となるだろう王政に寄らぬ自治区の存在は画期的で好ましく、彼の采配は諸手を挙げて歓迎された。
だが、それは結局のところ物事のほんの一面に過ぎないのだと、メイコに教えたのは彼女の片腕――白銀の髪の相棒だった。
未だ国内に少なからず存在しているシンセシスの貴族達を差し置いて、商人による自治を彼自らの名において認めたということは、彼がその自治区の後ろ盾であり、また実質上の支配者であると暗に宣言したも同然のこと。戦に身を削がれ王という主柱を亡くした王国は、たったそれだけでこの男の統制化に置かれた。たったそれだけで、彼は瞬く間に国ひとつを解体し、残された民と領土、そして潤沢な市場を手に入れたのだ。一滴の血も流さずに。
かつては何も知らなかったそういうことを、メイコはこの革命という戦いの中で否応もなく知ることになった。
ただ表面だけをなぞるなら、耳に心地よい美談であるものが、その影に様々な利益や権力というものを隠し持っているのだということを。
この戦いを終えたなら、この男は戦争の終結という朗報に、公子自らが妹を助けるために単身で革命軍へ加わっていたというエピソードを添えて凱旋するだろう。
それは民の関心と支持を集め、いずれ来る彼の即位をより容易なものとし、その地位を安泰させるのにきっと役立つはずだ。
そして、彼が身を賭けて助けに向かった妹を、この国が殺したのだと、そう言って糾弾したのなら、この革命は一夜にしてたやすく崩されるだろう。この国の命運とともに。
メイコが抱く懸念に気付かぬはずもないだろうに、けれど彼は知らぬ素振りで笑っただけだった。
「革命が起きた以上、ボカリアがこの国を攻めるだけの理由はなくなったな。しばらくは動向を伺う形になるだろう。それに僕自身はこの国がどうなろうと興味はない。滅びようと、改革されようと、そんなことはどうでも良い。・・・ただ、彼女に手出しをした人間さえ、殺してやればそれで良い」
そう口にした瞬間だけ、瞳の奥に冷たい影が過ぎり。
それも、すぐに幻のごとく掻き消えて――後には、常と変わらぬ穏やかな笑みを湛えた青年がいた。
仮面のようなその笑みは、もう崩れることはないのだろう。
メイコはぼんやりとそう思った。
「それより、君こそ、これからどうする。劇場には戻らないのかい?」
「・・・少なくともシンセシスには戻らないわ。あの国に戻っても、もう、あの子はいないもの。それにまだ、この国のこれからを考えないと」
「惜しいな」
青年が呟いた。本心からとわかる一言だった。
「・・・そうね」
それにメイコも素直に頷く。
目の前の青年がこの先、二度と浮かべることはないだろう、本当の笑顔を思って。
そして、彼と自分と、かの少女とで、三人で過ごす時間をついに持てなかった、そのことにも。
自分と彼との縁を繋いでいたのは、いつだってたった一人の少女の存在であったのに、その三人が一同に揃うことがなかったのは、どんな皮肉な運命の采配だったのか。本当に惜しいことだった。
彼女を思い出せば、メイコにとって、それはそのまま異国で過ごした日々に繋がる。
毎日を友人と笑いあい、叶いかけた成功への足がかりの中で、幸せな未来を夢見ていられた、短いけれど眩しかった時間。
つかの間描いていた夢は、剣を握って過ごした戦いの中で、いつの間にか過去の幻になってしまった。
賑わう港の市場、波音の響く部屋、華やかな劇場の喝采も、全て。
全てが、もはや過去だった。
それなのに何故だろう。
あの港で、初めて足を下ろした見知らぬ異国の地で、忘れえぬ碧の瞳と目が合った瞬間のことは、まだ昨日のように思い出せるのは。
――こんにちは、素敵な歌ね。
素直な賛辞と好奇心を乗せて、真っ直ぐにメイコを見つめた瞳。友達になってと無邪気に強請る笑顔。
世間知らずの貴族のお嬢さんは、けれど、天と地ほども違う身分を気にも留めず。歌が上手くたって、仕事にはならないのよ。メイコの何気ない言葉に、碧の瞳が悪戯に煌めく。
――あら、そう思うの?
「・・・どこでだって歌は歌えるわ。この国が立ち直って、平和になればきっと」
波となって押し寄せる過去を仕舞い込む様に、メイコは瞼を閉ざした。
歌が生業になり得ると、かつて道を示してくれたのは、彼女だった。
けれど、生業にしなくても歌は歌える。どこで生きようと。どんな道を行こうとも。
だから、これから先もメイコは歌い、歌うたびにひとりの少女を思い出し、少女の存在した証を刻むように歌い続けるだろう。
「そうしたら、きっと・・・、またいつか、会えるわよね・・・」
胸のうちの面影へ向けて、祈りのように呟く。
そこへ、遠くから湧き上がる歓声が届いた。
「王女が見つかったようだね。行くといい」
「カイト――・・・いいえ、カイザレ・ボカロジア」
改まって名を呼ばれ、青年がメイコを見返す。
冴えた輝きを放つ蒼い瞳は、記憶の中の深い碧の瞳にどこか似ているようで、全く似つかぬようでもあった。
そう思って胸に落ちたのが、失望だったのか安堵だったのかはわからない。
メイコにわかるのは、ここが決別の時だということだった。
「今まで力を貸してくれて、ありがとう。・・・・・・さようなら」
短くそれだけを告げ、返事を待たずメイコは踵を返した。
彼女は彼女のやるべきことだけを見て走り出す。
忙しない別れを振り返るのは、ずっと後のことで良かった。
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「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第25話】中編
というわけで、やむにやまれぬ中編です。
ストーリー的には、次の後半だけで十分だったはずですが、個人的にめーちゃんも補完しておきたかっただけです。愛ゆえに。
うっかり第0話を飛ばすとさっぱり分からない内容になってしまいました。首をひねった方は、ついでに目を通してみて頂けると嬉しいですv
次は後編、これで物語はラストです。
http://piapro.jp/content/4dxxwr1e4ugakyh4
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