空の色が薄く、心持ち木々も時折吹く風にじっと耐えているような秋の終わり。
特にイベントごとでも無ければ街も部屋も簡素なもので、青年はぼんやりとそれを眺めていた。
青い髪と瞳を持つボーカロイドとして生まれ、何年眠ってきたのだろう。部屋に飾られたカレンダーは自分が記憶していたものより少し先に進んでいるし、棚には自分とよく似た人物がジャケットになっているCDが面置きされている。
きっともう自分は古い型で、誰からも必要とはされていない。それは、目覚めた瞬間にマスターとなるべき人が側に居なかったことからも窺えた。
――コンコンコンコンッ
響くノックに自分が返事をしてしまっても良いのかと周囲を見回すが、やはりここには他の誰もいない。まだ名も与えられていない青年は、躊躇いがちに口を開いた。
「はい、どうぞ」
礼儀正しかった音とは裏腹に勢いよくドアを開けたのは小柄な少女で、後ろには彼女の父と思しき人が驚いた顔で立っている。
譜面を抱えキラキラした笑顔で駆け寄る少女を見て、この子が自分のマスターだと感じた青年は目線を合わせるように跪いた。
「初めまして、マイマスター。僕に歌を教えてくれますか?」
勢いよく首を上下に振り、うっすらと頬を上気させた満面の笑みを見ていると先ほどまでの不安が晴れていく。
世間から見ればどうかなんてわからないけれど、彼女に必要とされているということが嬉しいのか、青年も微笑み返した。
「起動に時間がかかったときは心配したが……大切に使うんだぞ」
彼女の頭をなで、青年の姿を一瞥すると彼は去って行く。この当たり前のような光景に、青年が不自然さを感じたのは数十分後のことだ。
真剣に譜面を確認する彼女は、何一つ言葉をかけてくれない。どんな歌を歌ってほしいのかも、どんな曲を作りたくて悩んでいるのかも。
贅沢な願いなのかもしれないけれど、呼び名すら決めてもらえなくて、付いたままになっていた商品タグの『KAITO』という文字をなぞり青年は内心ため息を漏らした。
日常的な動作をインプットされているとはいえ、所詮自分は物でしかない。歌うためだけに存在して、それ以上の価値があるわけが無いのは分かっている。
けれど、じっと静かに待っているというのは苦痛で寂しくて。邪魔になってしまわないかと思いながらも1歩彼女の側へ寄り、譜面を覗き込む。
記号は瞬時にメロディへ変わっても、歌詞の意味は起動して僅かな時間しか過ごしてない青年にとって細かいところまでくみ取れる自信は無い。
どんな声でどんな風に歌い上げるのが一番良いのか尋ねようにも、彼女は顔すら上げてはくれなかった。
「あの、マスター……」
何度も五線譜を行き来していた小さな手が止まる。見上げた瞳は自分よりも酷く不安げで、青年は思わず口にしかけた言葉を止める。
生まれたばかりに近い自分が、なんでどうしてと彼女を責めれば、それだけ負担をかけてしまう。彼女だって、きっと初めて他人に渡す譜面に自信が無くて戸惑っているに違いない。
そうじゃなければ未完成のまま押しつけて無理難題を押しつけてくるだろうに、彼女は何度も何度も確認して指先は少し黒くなってしまっている。
「……もしよければ、仮の状態で歌わせてください。細かいところは、一緒に調整しましょう?」
服の裾で指先をぬぐってやりながら微笑めば、彼女は少しだけ驚いたように目を見開き、そして笑う。
眩しいくらいの笑顔と、元気に頷く仕草。……それでも、返事は無い。
やっと沈黙が続いた理由がわかった青年は、指先を引き寄せて小さな口づけを一つ。
「僕がマスターの声になって、気持ちを届けます。上手く歌えるまで何度でも、あなたのためだけに歌い続けますから」
外では切り裂くように冷たい風が窓を叩き付けても、雪が降りそうなくらいにどんよりと曇り始めても。
自分だけは彼女に春を伝えるために、存在していたい。
――だからどうか、1番近くで笑っていて。
まだ覚束ない青年の歌声が部屋に響く。けれど、にじみ出る優しさに彼女は苦笑いを浮かべ青年もまたこの穏やかな日常が続くように願うのだった。
【小説】金糸雀
カイトが主人公の小説です。
これはこれで短編として完結しているのですが、登場人物がボーカロイドばかりな続編も作成中だったりします。
公式設定は特にないとのことで、一人称などオリジナル設定が多々あるかもしれません。
もし、二次創作で暗黙のルールなどがあれば、ご指導頂けますと幸いです……!
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