8
 引き出しをあさってようやく出てきたピックを使い、弦をはじく。
 チューナーの針が振れる。それは、音が低すぎて、正確な音にはほど遠いことを知らせていた。
 やっぱな、なんて思いながら弦を張るが、何年も前の弦なんて、本来なら交換して当然くらいのモノだ。まともに使えるわけがない。
「……」
 チューニングを早々にあきらめて、俺はうろ覚えのコードをいくつか押さえて鳴らしてみた。
 久しぶりのわりに、やってみると意外に覚えてるもんで、苦もなく一通りのコードを鳴らすことができる。
 ――メーデー。僕と判っても、もう抱き締めなくて易々んだよ 。
 ――メーデー。僕が解ったら、もう一度嘲笑ってくれるかな。
 彼女の歌声が、脳裏にこびりついて離れない。
 今さらになってギターなんて引っぱり出したのも、そのせいだ。
 ずっと、あの歌にどんな音を合わせたらいいかばかり考えている。
 彼女の歌声を思い出しながら、コードを合わせて弦を鳴らす。
『――ちがうちがう。そこはマイナーだよ。メジャーコードじゃダメ』
「うわっ!」
 急な声に飛び上がりそうになる。
「っきなり出てくんなよ。心臓に悪リーだろーが」
『お? あ、ごめん。出てきちゃってた?』
 俺のリアクションに、逆に意外そうに聞き返してくるみくが、そこにはいた。
「いやそりゃ、そこにいるじゃねーか」
『そっかー。いたんだねぇ。……で、ここどこ?』
 ……なんだそりゃ。
 話が噛み合わなくて、わけがわからん。
「どこって、俺ん家だっつの。なんだよ、知っててついてきたんじゃねーのか?」
『いやーそれがさぁ』
 みくは頭をかきながら苦笑いする。
 その姿は、薄れそうにも見えて、ぼやけているようにも見える。
『誰か僕のこと考えてくれる人いるかなーって思って、その感覚をたよりに出てこれただけでさ、もう全然わかんないんだよね。なかなか自分も保ってらんなくてさ』
「……」
『でもよかった。最期に出てこれたのがみーくんのとこで。……あ、でももう僕の最期なんて……とっくに、終わってるはずなんだよね。神様がサービスしてくれたのかな』
 今にも消えてしまいそうなみくは、いやに饒舌だ。
 ……最期に、誰かに自分の生きた証を覚えてもらおうとするみたいに。
「みく」
『ん? なに?』
 俺は机にあったノートを広げる。
「教えろよ、あの歌。メロディーも、歌詞も、コードも、お前の頭の中にある、あの歌の全部」
 俺の言葉に、みくはきょとんとする。
『へ? そんなの聞いてどーすんの』
「てめーの最期の心残り、俺が叶えてやるよ。バンド作って、みくの代わりにあの歌を皆に聴かせてやる。『俺の親友が遺した曲だ』って言ってな」
『え? いや……でも、そんな』
 俺の言葉がよっぽど予想外だったのか、みくはうろたえて、ろくに返答もままならなかった。
「そんなに嫌か? まぁ、自分でやるのが一番だったろーけどさ」
『それは――』
「――だから、俺にできんのはその代わりだけだ。……でも、結構イイだろ? 自分がいなくなっても、自分の遺した歌は語り継がれる。リアルな生きた証だ。……なんか、有名なアーティストっぽいし」
『……』
 みくはなにも言わなかった。
 ……いや、その顔からは「言わなかった」んじゃなくて「言えなかった」んだってありありと伝わってくる。
『そんな……なんで。なんでみーくんは……』
 ようやく口を開くものの、ちっとも要領を得ない。
 彼女の瞳から雫がこぼれ落ちる。
 ろくに言葉も発せられないまま、みくは口もとを手でおおって――。
 その姿に、死ぬほどあせった。
「――っておい、バカ! 姿ぼやけてんぞ。教える前に勝手に消えんな!」
『ふぁ、う……うん。き、気を、つける……けど。……けどさぁ……』
 俺に言われて、みくは必死に――念じるんだか力むんだか、どうするのかはよくわかりゃしねーが――己を現世につなぎ止める。
 ぼやけて今にも消えてしまいそうだったみくの姿は、なんとか形を取り戻す。
「いやマジで、頼むぜ……。俺の目的が全部パーになるとこだ」
『ご……ごめん……』
 はぁぁ、と息をつく俺にそうやって謝るものの、その声はまだ震えている。いつ消えちまうか、本当にわからん。
「もうちょっとだけしっかりしといてくれ。じゃなきゃ、俺が勝手にアレンジしちまうぞ。みくの不本意な音になってても知らねーかんな」
『わか……った。わかったけどぉ……』
「……まぁ、とりあえず落ち着け」
 涙をぽろぽろとこぼす女の子の相手なんて、俺もどうしたらいーかわかんねーし。
 なんで泣き出したのかは想像もつかねーが、とりあえず落ち着いてくれなきゃ知りたいことも教えてもらえない。
 なんとか落ち着かせようと、みくの肩に手を伸ばした。
 そして、ぽんぽん、と叩こうとしたのだが――。
「……ッ!」
 ――俺の手は、あっさりとみくの体をすり抜けて肩にめり込む。
 とっさに手を引っ込めるが、もう遅い。しっかりと見ちまった。
『……ルール3、言ったじゃん。触れようとするの禁止って。まあ……今さらな気もするけど』
 ビビる俺を見て逆に冷静になったらしい。みくはようやく止まった涙をぬぐいながら、そんなことを言う。
「今さらっていうか……いや、ビックリするだろ」
『でも、急に現れたりいなくなったりしてるし、みーくんは僕が死んでることも知ってるじゃん』
「それは……確かに、そーだけど」
 でもなんか……こう、見てるだけなのと体感しちまうのの差ってあるだろ。うまく言えねーけど、みくが目の前にいるのかいねーのか実感できるラインみたいなのが。
『……みーくん、ありがとね。そんな風に僕のこと想ってくれる人、みーくんだけだよ』
「それは……」
『あーあ。ホント、みーくんは完全に接点なかった赤の他人なのにね。どうせなら、こんなことになる前に……』
 言いかけて、やめる。
 でも、なんて続けようとしたかくらいなら、さすがに俺でもわかる。
 みくはうつむいて、首を振った。
『……今さらだね』
「……今さらだな」
『あーあ! なんかこう、地縛霊みたいな感じでみーくんに取り憑いてらんないかなぁ。日本のロックバンド最前線をばく進するギタリストをそっと見守り続ける幽霊ーって、なんかよくない?』
「……どこがだ」
 伸びをしながらそんなことをわめき出すみくに、俺はがっくりと肩を落とす。
 ……でもまあ、みくはしんみりしてるより、こうやって元気いい方が似合ってるのは確かだ。
『で、ファンの女の子と僕と、どっちが大切なの! って問いつめる』
「……おいこら。もう消えそうになってたやつがなに言ってんだ」
『だぁーってさー』
 みくはほほをふくらませる。
『やり直す気なんてなかったのに、みーくんと話ししてたらやり直したくなってきちゃうんだもん。しょーがないじゃん。みーくんのせいだからね』
「なんだそれ。なんか……俺に惚れでもしたみたいな言い方だぞ」
『そりゃー……こんなに僕のこと想ってくれる人がいたら、惚れもするよ』
「あ?」
『地縛霊とか取り憑くとかは冗談だし、やっぱりできそうにないけど、これは……みーくんに惚れちゃったのは、冗談じゃないから……ね』
 真っ赤になった顔を横にそらし、瞳にまた涙を浮かべるみく。
「……」
 俺の冗談に、まともに返答をしてきたみく。あげくにそんな態度をとられたら、俺も黙って顔をそらすしかない。
『あ……はは。なんかゴメン』
「……お、おう」
『あ。でも、嘘ついちゃうような子とは付き合っちゃダメだよ。めんどくさいことになって、いろいろ破綻するから。……これ、経験者からの忠告』
「……」
 経験者からって……それ、嘘ついてたのはみくの方の話なんだろ? 笑えねぇよ。まったくもって。
『それじゃ……ええと、まずは歌詞から教えたらいい?』
「……ああ? あ、あー。……そーだな。そういやそうだった。ちょっと待て、準備するから」
 みくの歌のこと、教えてもらうんだった。
『そういやって、忘れないでよ』
「……みくの言葉のせいで、全部頭からふっ飛んだっつの」
『なにー? こんなかわいー子に惚れられてドキドキした?』
「自分でかわいーとか言ってんじゃねぇ」
『あー。照れ隠しだぁ』
「ちげーよ、バカ」
『そんなこと言っちゃってぇ。少しは素直になりなよ』
「それを言うなら、今の妙なテンションのみくの方が照れ隠しだろ」
『……う』
「それに、みくから聞いた限りじゃ、あんたにだけは言われたくない」
『あっはは……。みーくんは痛いトコばっかついてくるなぁ』
 さすがのみくも、俺に論破されて苦笑いする。
『でも、みーくんはホント、幸せになってね。僕みたいな人じゃなくて、もっと誠実な人見つけてさ』
「急になに――」
『……みーくんに会えるのも最後だろうしさ、言えることは言っときたいじゃん?』
 へへ、と泣き笑いみたいな顔をするみく。
『僕のこと、覚えててほしい。でも、いなくなっちゃう僕なんかが、みーくんを独り占めしたいわけじゃない。迷惑かけたいわけじゃないし、ましてや束縛なんて絶対イヤ。誰かと幸せになってほしい。ただ……あんなやつがいたなーって、たまに思い出してくれたらいーなーって、そう思うだけなんだ』
「みく……」
 言葉にならなかった。
 なんで、なんで――。
 ――なんで、こんなことになっちまう前に出会えなかったんだよ。
 ついさっき、みくが言いかけてやめた言葉が、頭のなかを巡る。
『もー。そんな顔しないでよ』
 みくは、こんなときでも笑顔だった。
『僕も……我慢できなくなっちゃうじゃん……』
 ただ一筋、そのほほには綺麗な跡がついていたけれど。
「……悪リ」
 そんな彼女だったが、俺は俺で人のこと言えた姿じゃなかった。
「俺――」
『――しー。ダメだよ、それは。……僕じゃない人に言ったげて』
 俺がなんて言おうとしたか悟ったらしい。ひとさし指を唇にあてて、みくはそう言って俺を引き留める。
「……」
『……僕の曲、よろしくね』
「……」
『みーくん?』
 涙を流したまま、ちょっとだけ怒ったふりをしてくる。
「……わかった。わかったよ」
『へへ、ありがと。大好きだよ、みーくん』
「おまっ、それは……!」
 人には、ダメだよ、とか言っといて……。
「みく。てめー、それは卑怯過ぎンだろ」
『あはは。そーだよ。僕、卑怯なんだから』
 最期の最期までそんなことを言うあたり、みくらしいっちゃらしい。
 ……生きてるときのみくがどうだったかなんて知らないけど。
 でも、涙を流しながら、それでも笑ってる彼女は、今までで一番きれいだなんて……そんな、バカなことを思った。

 それから、みくは歌のすべてを俺に伝えると、なんの言葉も残すことなくこつ然と消えてしまっていた。
 いなくなったことに気づかないままに声をかけ、返事がないことに違和感を覚えて顔をあげたら、そこには誰もいなかったのだ。
 しんみりとしかけた俺の気持ちは、急に入ってきた母親のせいで宙に浮いた。
 誰かとずっと話している俺の声のせいで、友だちが来てると思ったらしい。お菓子と飲み物を用意している母親に、長電話していただけだと納得させるのには、ずいぶん骨が折れた。
 ……そりゃそうだ。
 俺は実際に、目の前にいるみくとやり取りをしていたのだから。
 俺は、みくの思いをくみ取ってやれたんだろうか。
 実際のところ、答えなんて得られるわけがなかった。
 みくはもういないんだから。
 だけど……いなくなってしまったってことは、そうなんだろうって思いたい。
 俺は、彼女の未練を、心残りを看取ってやることができたんだって。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ゴーストルール 8 ※2次創作

第八話

次回、最終話です。

今回、みくもみーくんも今までに書いたことのないキャラクターだったので、なかなか苦戦しました。
ストーリー的にも、六、七話あたりを書いてるくらいから「いったいどうやったら納得のいく結末になるんだ、これ?」とか思ったのも苦戦した理由の一つなのですが。

ですが、この八話では二人のテンションのおかげか、暗くなりそうなところで明るく振る舞ってくれてよかったです。二人にとっては、それは強がりの末のぎこちない態度だったんでしょうけれど。

みーくんの名前は、最初はミクオにしようかなーとか考えていました。
他のボーカロイドは出てこないから、主役に据えると「アレ?」ってなるし、ミクの男性版ならまーまだアリかな、とか思い。
ただまぁ、初音ミク曲、と考えると、すでにいるキャラクターはなんだか違うイメージになってしまいそうだったので、ニックネームで「みーくん」という謎の妥協をしました。本名は決めていませんが、実はミクオなのかもしれません。

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投稿日:2017/01/21 19:23:54

文字数:4,825文字

カテゴリ:小説

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