注意書き
 これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
 ルカの視点で、本編四十六話【イン・コールド・ブラッド】のサイドエピソードになります。
 よって、本編をそこまで読んでから、読むことを推奨します。


 【悪いのはあなた】


 神威さんの家族との食事会があった次の日、私は買い物に出かけることにした。冬物のコートを新調したかったし、他にも買っておきたいものがあった。今日は日曜なのだし、全部済ませてしまおう。私は買い物に行って来るとカエさんに告げ、車で家を出た。
 衣服はいつも同じお店で購入しているので、迷う必要もない。今日も店に入るやいなや、お店の人が「今日は何をお探しですか」と、声をかけてきた。冬のコートがほしいというと、すぐに何枚も持ってきてくれる。決めかねて眺めていると、一枚のコートを掲げて見せながら、今年の冬はこの色が流行だと言われたので、それにする。
 他にも薦められたので、衣類を何枚か購入する。このお店は気楽だ。無駄なことは言わないし、私のサイズもわかっているから、あれこれ言わずに、即座に必要そうなものを見つくろってくれる。
 購入した衣類を紙袋に入れてもらい、私はお店を出た。後は化粧品を見ておきたい。店はすぐ近くだから、わざわざ移動に車を使うことはないだろう。私は荷物だけ運転手さんに預け、化粧品を売っている店へと向かった。その途中で、ショルダーバッグに入れておいた携帯が鳴り出す。私は、携帯を取り出した。
 かけてきたのは、神威さんだった。昨日の今日に、何だろうか。私は携帯に出た。
「もしもし、ルカです」
「ああ、ルカ。ちょっと話せるか?」
 私は、道の脇へとよった。道の真ん中で立ち止まって携帯で話すのは、お行儀がよろしくない。
「はい、大丈夫です」
「……ちなみに、今は何をしていたところだったんだ?」
「お洋服を買っていました。冬物のコートがほしくて」
「いいのはあったか?」
「はい」
「それは良かった。俺はさっきまでリュウトにせがまれて、相手をしていたんだ」
 リュウト君は、神威さんの年の離れた弟だ。私からすると、よくわからない存在でもある。
「二人でゲームをしていたんだが、リュウトの奴、いつの間にかゲームが上達していて、俺は散々負かされてしまった。向こうはしまいには『ガクト兄ちゃん、腕落ちたね』などと言い出すし。全く、あいつったら。近頃どんどん口が達者になってきている」
「それは大変そうです」
 神威さんは時々、こんな風に兄や弟の話をする。どうしてそんな話をするのかよくわからないけど、神威さんのすることなので、私は聞くことにしている。
「……で、そのリュウトのことなんだが」
「はい」
「あんまりあいつに悪感情を抱かないでやってくれ」
「ええ」
「俺もリュウトがあんなに甘えん坊だなんて思ってなくて、実を言うと戸惑っている。長兄はともかく、俺はいずれ家を出るってことぐらい、わかってると思ったんだが……まだ十歳だから、仕方ないのかもな。多分、兄を取られたって思ってるんだろう」
 どうしてリュウト君がそう思うのか、私にはわからない。私はリンのことはどうでもいい。……ああ、ハクもいたんだっけ。あまりにも顔を見ないから、存在を忘れかけていた。どっちにせよ、どうでもいい。
「別に何も変わりはしないでしょうに……」
「ああ、そうだ。俺があいつの兄貴だってことはずっと変わらないのに、あいつと来たら『行かないで』の繰り返しで、困っている」
「困りましたね」
「俺としては、『お姉ちゃん』と甘えてくれるのを期待していたんだが……もっともルカがリュウトをベタ可愛がりしたら、俺が妬いてしまうかもしれんな」
 ……これ以上、弟とか妹とかは欲しくない。上だって、別に欲しくはないけど。
「もうちょっと年を取っていたら、違ったのかもしれないな。リンちゃんは確か高校生だったか?」
「……はい」
 リンは高校二年生だ。最近、妙にうるさい。別に話すことなど、何もないはずなのに。
「リュウトもあれぐらいだったら、良かったのかもしれんな。昨日はずいぶんと可愛らしいことを言われた。高校生にもなると、ああなるんだな」
 昨日……神威さんとリン、何か話をしていただろうか。ああそう言えば、確か食事会の最中にリュウト君が飛び出して行って、それをリンが追いかけた。更にその後、神威さんが迎えに行っていた。その時、話をしたのだろう。
 なんだか、心がざわざわする。リンはどうして、私にあれこれちょっかいを出すのだろう。リンのことなんて、考えたくないのに。
「リュウトがリンちゃんに懐くのも、いいかもしれないな。俺がやきもきしなくて済む」
 神威さんは話を続けていたけれど、私はほとんど聞いていなかった。しばらく「はい」と相槌だけを打っていると、やがて話は終わった。
 私は携帯の電源を切ると、バッグに戻した。何をしていようとしたんだっけ……ああ、化粧品を買いに行こうと思っていたんだ。店に入って、目当てのものを探す。店員のお喋りにぼんやりと耳を傾けているうちに、買い物は何故か膨大になってしまった。


 帰宅すると、私は玄関ホールの時計を見た。そろそろ三時になるところだ。この時間ならカエさんは、キッチンでおやつの準備をしているだろう。お父さんは出かけているはずだ。
 私はお手伝いさんに荷物を部屋に運んでおいてくれるように頼み、キッチンへと向かった。カエさんはキッチンで、オーブンから天板を出しているところだった。
「ただいま」
「ルカ、お帰りなさい。ちょうどいい時間に帰って来たのね。これからおやつよ」
 天板の上には、焼きあがったクッキーが並んでいる。これが、今日のおやつなのだろう。カエさんは別の天板をオーブンに入れると、私の顔を見た。
「で、コートのいいのは見つかった?」
「ええ。これからの季節にぴったりのが」
「後で着てみせてね」
 私は頷いた。カエさんは、私が着る物を買って帰って来ると、何故かいつもこう言う。
 普段ならすぐにキッチンを出て、自分の部屋に着替えに戻る。けれど今日、私は立ったまま、天板の上のクッキーをなんとなく眺めていた。
「ルカ、味見する?」
 カエさんは小皿にクッキーを二枚乗せてくれた。私がクッキーを欲しいのだと思ったようだ。そんな感情はなかったけれど、差し出されたものを断るのもよくないので、私はクッキーを手にとって口に入れた。しゃり、と砂糖の歯ざわりがする。よく見ると、上にオレンジ色の砂糖衣がかかっていた。
「これは何?」
「オレンジクッキーよ。生地にオレンジの果汁を入れて、上にもオレンジのアイシングをかけてあるの」
 両方ともオレンジなのか。……そう言えば、リンはオレンジが好きだったっけ。
「リンはいるの?」
「リン? ええ、今日は出かけてないから、部屋にいるわ。リンに用事?」
「……別に。少し気になっただけ。じゃあ、私は着替えてくるわ」
 私はクッキーを噛み砕いて飲み込み、キッチンを出た。二階へと通じる階段を上がっていると、階段を上がりきったところで、リンと出くわした。
「ルカ姉さん、お帰りなさい」
「ただいま。リン、ちょっといい?」
 私に引き止められたリンは、立ち止まった。その場で、軽く首を傾げている。
「え、ええ……わたしは構わないけど、どうしたの?」
「リン、あなた、神威さんに何を言ったの?」
「……何をって……ちょっとしたことよ。大したことじゃないから」
 リンはそう答えて、私の隣をすりぬけようとした。大したことじゃない? それで済ませる気? 私は、リンの手首をつかんだ。リンが立ち止まる。
「リン、神威さんに余計なことは言わないで」
「余計なことなんて言ってないわ。ルカ姉さんのことを幸せにしてあげてって言っただけよ」
 ……この妹は、そんなことを言ったのか。ものすごく余計なお世話だ。リンにそんなことを言われたくない。
「それが余計なのよ」
「……わかった。もう何も言わない」
 リンは、手首をつかんでいる私の手を外した。そのまま、私に背を向ける。
「わたし、下に行くから。そろそろおやつの時間だし」
 おやつ……カエさんが焼いたオレンジクッキーか。カエさんはいつだって、リンを甘やかしていた。この家に来た時から、ずっと。
「いつもいつもリンばっかり……」
 目の前に、リンの背中がある。無防備な背中。私は、力いっぱいその背を押した。リンがバランスを崩し、悲鳴をあげて階段を転がり落ちて行く。
 一番下まで落ちたリンは、倒れて動かなくなった。
 ……私、今、何をしたの?
 妹を突き落とした。……私は、妹を階段から突き落としたんだ。突き落とされた妹は、倒れたまま動かない。不意に、恐怖がこみ上げてくる。いい子は妹を痛めつけたりしない……。嫌だ、あんなもの見たくない。
 私はリンから目を逸らし、自分の部屋へと戻った。
 ……リンが悪い。リンが悪いんだ。リンが余計なことばかりするから。いらないことを言うから。リンは昔から、ずるかった。そう、それこそ二歳の時から、私の前で……。
 だから、私は悪くないの。私は間違ったことなんてしないの。ずっとそうしてきたし、これからもそう。私は悪くない私は悪くない私は悪くない……。
 不意に、ドアを叩く音がした。はっとして振り返る。
「誰?」
「ルカお嬢様、奥様からご伝言が」
 お手伝いさんか。私はドアを開けた。
「お母さんが、何か?」
「ええ。実はリンお嬢様が階段から落ちて怪我をなさったので、奥様はリンお嬢様に付き添って病院に行かれました」
 ほら、また、そうだ。リンに何かあると、いつもカエさんはああやってついていく。
「そう」
「また連絡すると言っておいででした。リンお嬢様の怪我の具合で、今後どうするかは決めると」
 どうせカエさんがいなくたって、私の生活は変わらない。家事は全部、お手伝いさんがやってくれるのだし。だから何も問題はない。
「それとルカお嬢様、奥様がルカお嬢様のおやつの準備を……」
「いらないわ。お腹が空いてないの」
 私は、お手伝いさんの言葉を途中で遮った。リンのために準備されたクッキーなんていらない。
 お手伝いさんは「……さようでございますか。では、そのようにいたします」と言って、去って行った。私はドアを閉める。
 私は悪くない。リンが怪我をしたのは、私のせいじゃない。だから、このことは忘れるの。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その二十六【悪いのはあなた】

 このエピソードは掲載するかどうか迷ったのですが、結局掲載することにしました。

 計量カップに計量スプーンで水を一杯ずつ入れていくと、どこかの時点で水はカップから溢れてしまいます。最後の一杯にだけ原因を求めるのではなく、その前からどうして水が入り続けているのかを考えないと、答えは見えてきません。

閲覧数:840

投稿日:2012/06/03 08:23:56

文字数:4,297文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    ルカさん、難しいです……
    リンだって血がつながっているのに……
    ずるいっていうのはリンが「いつでも親に甘えられる」風に見えたからですよね?確か、ルカの過去だとそんな感じでしたし。
    突き落としたことを悪いと思ってないんですか?そんな様子ですが…。
    ルカはどうやったら救われるんでしょう。というか、もっと人間らしいというか…
    難しいです…

    2012/06/04 08:07:31

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       ルカの心境ですが、本編で何度か指摘したように、本人が自分の本心から逃げ回っている状態なので、きちっと書くのは難しいんですね。リンも一部大きく誤認してる部分がありますし……。

       ルカがリンに対してずるいと感じている理由ですが、これは、「ルカはどうして、ハクに対してはそこまで思わないのか」と重ねて考えると、見えてくるものがあるかと思います。

       突き落としたことに対しては、悪いと思ってないというより「悪いと思いたくない」んです。子供の頃から「親に言われるままにいい子」をやってきたルカには「悪い子」に対する、本能的な恐怖があります。だから「絶対に悪いことはできない」と、常に強迫的に思っていて、リンを突き落としたことに対して「私は悪くない。リンが悪い」と認識し、自分をだます以外の選択肢がないんです。

       ルカに関してなんですけど、「救われる」というのは、すごく難しいと思います。最近読んだ本の中に「自分を救えるのは自分だけ。自分で自分の人生を生きようと思う気持ちが一番大事」という台詞があるのですが、そういう気持ちを持たないと厳しいでしょう(そう言えばこの台詞を言われている女性も、妹が二人いたなあ……もっともこの人は自殺してしまいましたが)

      2012/06/04 22:37:17

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