今更過ぎて心底どうでもいいとしか思えなかった。例えるなら昔の彼女が急に電話してきたかと思ったら、今の彼氏についての愚痴を延々喋り続けて一時間経ったような気分。ただし本当に同じような気分になるのか保証はできない。彼女が作れる自分なんて存在は、人生の二次創作にしか登場できないからだ。当然ながらオリジナルである僕には、好きな女性を遠くから眺めた話しか出来ない。
それ程までに今更過ぎる話を降ってきた水野とは腐れ縁だったが、その縁も長い間腐り過ぎて塵になっても良いくらいだ。野良ボーカロイドを拾うのは良いとして、それを僕に預けようなどと言い出す始末。恩が無かったら縁切り神社へ御百度参りに通っていただろう。
「――ってな訳で、一度飼われたボーカロイドにもうやる餌が無いんだよ。俺に曲作る才能なんて無いからさ。実際人間みたいで可愛いんだけど、どうにも扱いきれないんだよな」
「ならボカロ保護センターに連絡すればいいだろ。里親が見つかるまでは預かってくれるだろうが」
CMやドキュメンタリーによく出る場所を出すと、水野は顔を背けつつストローを野菜ジュースの紙パックに突き刺した。
「そんな事は知ってるさ。けどよ、ボーカロイドは犬猫と違うんだぜ?確かに電源と餌さえあげれば簡単には死なない。寿命なんてあってないようなもんだ。満足するまで餌を貰ったら寿命を迎えるように出来てるし、最低限『音』さえあればそれが餌になるってな」
「おお、それが分かっているなら」
「分かっているから、だろ。あの何にもない虚ろな顔を見ていればな」
水野の言葉に、記憶の海から一つの映像が浮かび上がってきた。部活でくたくたになった帰り、テレビを付けると丁度やっていたドキュメンタリー。人型であり心もあり知能もあるボーカロイドをペットとして扱う事についての論争と、買ったは良いものの充分な餌を貰えずに餓死していくボーカロイドの姿や、単なる『音』を聞かされて数年は経つボーカロイドの死んだような目付き。
昔、僕が鏡を覗いた時に見える虚ろな目とそっくりだった。
「でも俺には餌をやることは出来ない。才能が無いからな。でも『音』ばかり聞かされて性格がボロボロになっていくのも夢見が悪い。俺は諦めたくないんだ。だから頼むよシズル、お前しか心当たりが無いんだよ」
「お前さあ……全然僕の事を分かってないんだな」
決まっているだろう。当然断る。
~・~・~・~
「すまない、シズル!この恩は必ず返すから!」
「…………」
「本当に感謝しているんだ!ほら!頭もこんなに下げているだろう!」
「…………それいつも通りじゃんかよ、宿題忘れた時と頭の角度が大差ないぞ」
「なら角度を2倍に!」
「2倍にしたら腰骨砕けるぞ」
結局僕は水野の頼みに折れることとなった。いつも通りで溜息しか出ない。水野の憎めないところは、本人も気づかないうちに恩を売っている点と、本当に嫌な事は絶対に頼んでこない点だ。こいつが居なかったら僕は今頃冗談抜きで野垂れ死にしていたし、水野はどれだけ勉強が苦手でも、やっと平均を維持している程度の僕にテスト勉強や宿題関係で縋る事はない。
ただ今回のボーカロイドについては随分と悩んだ。水野は僕が一時期ボカロPを目指していた事を、そしてすっかり挫折した事を知っている。知っていて頼み込んできたという事は、本当に僕しか頼れる人がいなかったのだろう。それくらいの信頼はあるからこその腐れ縁だ。
「このダンボールに入っているのか…思ったより軽いな」
「そりゃボーカロイドは機械の一種だからな、一応。でも電源繋いでないのは血液が通ってない人間みたいなもんだから、あと1時間以内に繋がないと死んじまうぜ」
「知ってる知ってる。早いとこ部屋に行かないと」
水野と僕は高校の裏門で合流し、そこから歩いて僕の家に向かった。両親はボーカロイドという存在に仄かな嫌悪感を抱いている。人間じゃないのに人間の様な挙動をとる、一昔前で言うところの『不気味の谷』という奴だろうか。世論におけるボカロ廃止派は少数だが、その発言内容は一般人を少なからず納得させてしまう。
人間のフリをした機械が、自分たちだけのネットワークを所有し、何を考えているかも掴めない。その高度な知能でどんな事をしでかすか、考えただけでも恐ろしい。知らないことは恐ろしい。機械生命などという曖昧で未解明の存在は不要である。
実にごもっともだ。ボーカロイドにも人間と同じく、傷付く心がある事を知らないからこそ言えることだけど。
「取り敢えず押し入れでいいか、延長コードは買ってきてるか?」
「ああ、大丈夫。ちゃんと買ってきた。長さもその場所なら足りると思う」
押し入れの一角にスペースを作り、30センチ四方の立方体を設置する。これがボーカロイドの本体部分になるが、接触は投影された特殊電子躯体が主になるので、本体とはいえその役割はスピーカーとマイクと特殊電子躯体投影装置、特殊電子躯体専用メモリの四つだけだ。思考は組み上げられた特殊電子躯体部分で行われるのだが、そう言っても未だに信じない人も多い。写真を撮られると魂が抜けると信じていた人達のように、発達し過ぎた科学に常識が追いついていないのだ。
「よし、電源繋げた。あとは話しかけるだけだな」
「なんて名前なんだ?それともまだ名前を貰ってないのか」
「名前すら貰えずに捨てられていたからな、機体名で呼ぶしか無かった」
名前すら貰えなかった、その事実に肺の奥が焼け付くような怒りに襲われる。
「……名前を付けた時点で飼い主としての法律が適応されるから、だな。卑怯な奴」
「俺は一時預かりって立場だったからどうしても名前が付けられなかった。でも俺が拾う前の飼い主は、飼い主としての責任を果たしてない。嫌な話だ」
水野が滅多にしない嫌悪感に溢れた表情で吐き捨てる。ボーカロイドは人ではない。そう主張する者達の全員が必ずしも常識的な思考回路の末に結論を出した訳じゃない。ただ盲目的に、反射的に、ボーカロイドの持つ心を貶める輩も存在する。
「……で、この子の機体名はこれか」
「ああ、それだ。公開されている説明書と照らし合わせてみたけど、それで間違いない」
その文字列を注意深く目で追い、僕はハッキリとマイクに届くよう声に出す。
「V-Flower type β…?」
声に反応し、機体の表面に紫色の光が縦横無尽に走り抜けて行く。
「おはようございます、マスター。ボクの機体名はV-Flower type β です」
スピーカー部分から、やや低めのハスキーボイスが流れ、投影部分から流れ出た特殊電子が滑らかに組み上がり、機体部分と同じ30センチ程度の身長をした人型を宙に描き出す。
黒色のベストを羽織り、ベルトやチョークの黒革をアクセントににた紫が主体のファッションで、黒いメッシュの入ったクセのある白のショートヘアを揺らして、葡萄色の瞳で真っ直ぐに僕を見詰めてくる。
「よろしければ、マスター名を教えてください」
その言葉に我に返り、僕は水野の方を振り返る。
「マスター名をリセットしてもらったのか」
「記憶領域の方は流石にリセットしなかったけどな、俺は満足に餌をあげられなかったし、マスター失格だと分かっていたから同意の上でリセットして貰った」
水野が俯きがちにガリガリと頭を掻きながら答えると、Flowerが反応する。
「コウキさん、貴方はボクにとても優しくしてくれました。記憶も消去され、捨てられていたボクを匿ってくれてありがとうございます。マスターにはなれませんでしたが、貴方は恩人です」
この通り。
そう言ってFlower――V-Flower type βは静かに頭を下げた。
人間よりも、人間らしい、心からの感謝が篭ったお辞儀だった。
「いや、別にいいんだよ。俺は俺自身が納得行くような行動をしただけだ。俺のようなやつなら誰でもお前を保護していたさ」
水野の言葉は一見謙虚かつ謙遜だが、僕は水野が本気でそう思って行動したことを知っている。性善説を地で行くような奴だ。
「で、こいつが俺の話してた奴だよ。ちゃんとした曲を作ってあげられる、マスターに相応しいやつ。名前は清河静流だ」
「キヨカワシズル――清らかな川に静かな流れ、でしょうか」
勝手に僕の紹介を進める水野にチョップを極め、Flowerともう一度目を合わせる。
「ちなみに河はサンズイに可能の可と書く方。マスターは下の名前が基本だっけ。じゃあ僕の事はシズルでいいよ」
「わかりました。シズル様」
「様は付けなくていい。僕も餌はあげられるけれど、マスターなんてこれが始めてだし。新米に様は大袈裟だろ?」
「――では、シズルさんでいいですか?」
「まあいっか」
Flowerは特に表情の変化も無く会話するタイプのボーカロイドらしく、ほぼ無表情で会話を進めている。でも、確かに僕はFlowerの次の言葉に微かな期待で震えるビブラートを感じ取っていた。
「で…では、ボクに名前を付けてください。同型のV-Flower type βと区別する為の、個体としての名前を」
名前は、一度付ければ専門家にしかリセット出来ない。それもかなり大規模な初期化とセットになる。言わば生まれ変わり、新しいボーカロイドとして売り出されるタイミングでしか名前が変わるチャンスは無いのだ。
なのに、捨てられた身で、記憶消去された記録が残った状態で名前が無い。それがどんなに悲しいことか、人間であってボーカロイドでは無い僕には想像がつかない。個人としての扱いをされなかった事が、どんなに辛いことか。
「よし、名前か…」
Flower、紫色の花とかいいかも知れない。在り来りなネーミングで他の機体と被ってしまうと拒否されると聞いたが、こういうのは分かりやすくて愛着の湧く名前が良い。被ってしまうのならまた変えればいい。
「じゃあ紫色の音って事でシオンはどうかな?安直過ぎるかな」
「安直でちょっと心配になるレベルだな。お前、犬にはポチって名付けるだろ」
「そんなことは無い!無いから!」
「いーや、絶対そうだね。俺知ってるからな?玄関の金魚にギョギョって名前を付けようとして猛反対されたんだろ?」
「何で知ってるんだよ!親父か?親父から聞いたんだな?」
後で親父とのトークアプリで問い詰めてやろうと決めた所で、Flowerがおずおずと話しかけてきた。
「あの…シオン、で大丈夫でした。安直過ぎて避けられていたのかも知れないです」
「ほらな!お前のネーミングセンスは安直なんだよ!」
「はぁー!?」
そんなことは無い、と返そうとした所でふと自分の犯した重大な過ちに気付く。
「あれ、Flower…じゃなかった、シオンって男性型だよね?シオン君もアリかも知れないけど、本当に良かったの?」
すると水野がやれやれと被りを降った上で、若干シュンとした様子のシオンを指さした。
「お前さあ、こういう所が彼女出来ない理由じゃねえの?察しが悪いと言うか、まあ勘違いするのも分からないでもないが」
少年っぽい身なりで、高音も低音も力強く歌えそうなボイス。
最近はつくづく頭の回転の鈍さを自覚してばかりの僕だが、今回の勘違いは仕方ない事態だったと主張したい。
「ボク、一応女性型です…」
シオンが自分の胸に視線を落とし、ポツリと呟いた。
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