「流れ星が流れている間にお願い事をすると、それは叶うんだって」
 かつて彼女から聞いたその話を、今更思い出したのはどうしてだろう。
 流れ星を確実に見る方法は流星群の情報を調べることで、次に大きな流星群が見られるのは、八月十二日のペルセウス座流星群。だけど、大量に夜空を流れ落ちる星屑にかける願いは、本当に叶うのかどうか疑問になる。数少ない一つの希望に祈る方が、本当に大切な願いを選べるんじゃないだろうか。
『……明日の天気は、晴れのち曇りでしょう』
 車内のラジオは、お気に入りの番組が放送終了し、次の番組に移るまで天気予報を告げている。明日が晴れようが雨が降ろうが、今の俺には何の関係もないのに。

 デートの終わり、彼女が海に行きたいと言い出したので、一時間ほどかけて一番近場の海辺まで車を走らせた。
 免許を取ったばかりの頃、よくこうして一人でここに来ていた。昼の海でカップルに混じって遊ぶなんてことはどうも苦手だったし、共にやってくる相手もいなかったから、誰もいない夜の海を眺めに来ていた。そんな思い出に浸る俺をよそに、彼女は初めて見た夜の海岸にずいぶんご機嫌のようだ。着いて早々にドアを開けて、楽しそうに走っていったままかれこれ十五分経つだろうか。
 彼女がなかなか戻ってこないので、俺は仮眠でもとっていようかと眼鏡を外した時、コンコンと運転席の窓を叩く音が聞こえた。
「ねえねえ、せっかく海に来たんだから、神威くんも一緒に来てよ」
「いや、俺はいいよ」
「えー! 夜の海だよ? それに、空もきれいだから一緒に来てほしいな」
「仕方がないなあ」
 眼鏡を掛け直しエンジンを切って車外に出た俺の手を引いて、彼女はまっすぐに海へ走り出した。よく見ると、その足元には今日のデートで履いていたヒールがなく、裸足だった。
「おいおい、靴はどうしたんだ」
「砂浜歩くのにジャマだから、どこかにやっちゃった」
「せめて出る前に車に置いてこれば良かったんじゃないか」
「いいじゃん、それに、帰らないんだから靴がなくたって困らないもん」
 まあ確かにヒールで砂浜は歩けないだろう。だからといって脱いだ靴をどこへやったかわからないなんて、適当に投げ捨てでもしたのだろうか。
 波打ち際までやってきたところで、彼女が海水をすくってこちらへかけた。
「冷たっ、ちょっと待って、眼鏡が濡れたんだけど」
「油断してると、どんどんかけちゃうよ? 私はもう裸足だから濡れても困らないもんね」
「……コンタクトの君のほうが、目に海水が入ったら困るだろう」
「まあそうなんだけど、それはそれ、これはこれ、だよっ!」
 俺の心配をよそに、彼女は追い打ちをかけるようにばしゃばしゃと水をかけてくる。これは全力で相手をしないと気を損ねるだろうか。乱雑に靴を脱ぎ捨てて、仕返しをすべく俺も海水に足を浸した。

「あー楽しかった!」
「二十代で全力で水遊びをするとは思わなかったな」
「機会は少ないよね。だからこそ、神威くんとやってみたかったんだ。一度も海に来たこと、なかったから」
「初めての海が夜で良かったのか? そうだと知っていたら、昼でも一緒に来たのに」
「最初で最後の思い出が、恋人と過ごした浜辺って、なんだかロマンチックでいいなと思ったんだ」
 昼の海だとしても、彼女は浮き輪やボールや水鉄砲を使って全力で楽しんでいそうだな、と思った。
 海に限らず、彼女は他人とどこかへ出かけた経験自体が少ないらしい。厳しい家で育ち、俺と付き合っているのも周囲には秘密だった。勝手に彼氏と付き合ったことが知られたらどうなるかわからない、としきりに彼女は言っていた。
「今日は本当にありがとう。それと、眼鏡、濡らしちゃってごめんね」
「別にいいよ。拭けば見えるから。最後の思い出作りなんだろう。それに、帰らないって決めたのは、俺のせいでもある」
「でも私、怖くないよ。最後まであの家に縛られることはなくなったんだから、後悔はしてない。それに、楽しかったから」
 先日、俺たちの関係を知った彼女の両親が、望まない結婚を彼女にさせようとしていることを知った。今日が最後のデート、彼女と会うことはもう許されなくなる日だった。
「今日は満天の星空ですごくきれいでしょ? 神威くんと見られてすごく嬉しいんだ」
 そういえば空がきれいだから、と車外へ連れ出されたんだったな。つられて空を見上げると、普段は街の光に遮られて見えない星々が黒い空を埋め尽くしていた。
 あれが夏の大三角形で、北のあのあたりが北斗七星。それくらいの浅すぎる知識しか俺にはない。もう少し真面目に星について学んでいれば、彼女に数々の星の物語を聞かせることができただろうか。そんなもしもを考えても、もう遅いのに。
「あ、見て見て流れ星! じゃあ、神威くんとずっとずっと一緒にいられますように」
 え、と指差された方に視線を向ければ、一つの星が遠く彼方へ流れ落ちていくのが見えた。もう俺が願い事をする時間はなさそうだ。
 その願いは星に託さなくても叶うだろう。そのために彼女と俺はここまで来たのだから。
「じゃあ、神威くん、車に戻ろう」
「ああ、いこうか」
 海に行く前に簡単な買い物は済ませている。

 ──今日のデートの終わり、泣きながら離れたくないとすがりつく彼女の頭を撫でて、俺はその言葉を告げたのだ。
「ねえ、心中しようか」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

約束の日まで【がく誕】

ツイッターでの企画、神威がくぽWebオンリー「がくフェス」のワンドロで参加した作品です。
お題は眼鏡と星です。
作中の彼女は、名前は出てませんがルカさんです。

閲覧数:157

投稿日:2020/07/31 23:21:19

文字数:2,226文字

カテゴリ:小説

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