ほんのちょっとの悪戯心と、冒険心。少しだけの冒険のつもりで、すぐに帰れるつもりで。
なのに今、見渡す景色はあまりに広く、見下ろす地上はあまりに遠く。家が何処なのか、自分が何処にいるのかすら分からず、樹上から降りる事も叶わない。
わくわくと浮き立った気分は残滓すら無く、サイトの胸を埋めるのは不安と恐怖、心細さだ。
「おうち……ますたぁ……」
ぐすぐすと泣きながら呟く声も、共に鳴く猫にしか届いてはいなかった。



高い位置では、風が強い。夏風に吹かれ、ざぁ、と葉擦れが鳴る。その音は枝の上にいるサイトを囲み、一層不安な気持ちにさせた。猫の背で振り回された疲れが押し寄せ、それは烏に襲われた恐怖も思い出させて、新たな涙が次々に湧いて出る。
「ふぇ……ひっく……」
柔らかな頬をべたべたにしながら、それでも泣き叫ぶ事はしない。否、できない。疲れ果てている所為もあったが、烏に見付かってまた襲われたらと思うと、怖くて大声は出せなかった。

助けを呼ぶ、という選択肢も無かった。サイトは自分が『知る人ぞ知る』存在なのだと承知している。マスターは外にも連れ出してくれるが、他人に見付からないようにといつも注意していた。誰彼構わず姿を晒して、騒ぎになったり捕まったりしたら状況はより悪化してしまう。
「ますたー……ぐすっ…………おおきいの……」
心細さのあまり、青い姿が脳裏に浮かんだ。いつもマスターを取り合って、仲が良いとは言えない相手だ。素直に頼るにも抵抗がある。それでも。
猫がサイトを乗せたまま動き出した時、「跳び降りて」、とカイトは言った。いつも騒いでいる時にも出さないような大声で叫んで、本気で焦った声で。
「おおきいの……」
あの時なら、降りる事はできたのだ。そうしなくてはいけなかった。わかっていたのに、そうしなかった。悪戯心と、冒険心と、
慌てて――心配、してもらえた事が、くすぐったかったから。

カイトは追ってきただろうか。探してくれているだろうか。
考えてみても、楽観的にはなれなかった。猫が通ったルートはカイトには通れないだろうし、烏に襲われて滅茶苦茶に走り回った。おまけに今は樹の上だ。こんな高さでは見えるはずが無いし、声だってとても届かないだろう。
見付けてもらえる訳が無い。
そう思うとますます恐ろしく、猫にしがみついて淋しさに抗いながら、烏の事も忘れてサイトは泣きじゃくった。



 * * * * *

植え込みの向こうに消えた小さな姿を探す為に、カイトが頼れるのは音だけだった。
チリチリと軽い音を立てる、猫の鈴。そして聞き慣れたサイトの声。全身全霊を懸けてそれを拾い、後を追う。
(何考えてるんだサイトの奴……!)
思うけれども口には出さない。余計な音は邪魔なだけだ。全力疾走を続けて上がる呼吸音すら、邪魔だ。

行く手からギャアギャアと耳障りな騒ぎが聞こえ、胸騒ぎを覚えて無理矢理に速度を上げた。
やがて見えたのは撒き散らされた黒い羽根と、よろめきながら飛び去る数羽の烏。
駆ける足は止めないままに、黒の中にミントカラーが混ざってはいない事を確認する。最悪の事態にはなっていないらしい事に僅かばかり安堵して、改めて耳に意識を集中し直し、行くべき方向を探った。



音が途絶えて辺りを見回すと、小さな公園の中だった。人影も、探す姿も見当たらない。
ざぁ、と葉擦れの音を立てて、風が強く吹いていった。走り続けて火照った身体には心地良く、思わず目を細めて――はっと見開いた。風鳴りの中、ほんの微かに声が聞こえた気がした。ボーカロイドの聴力を持ってしてさえ、聞き間違いかと疑うほどに仄かな声が。
もう一度ぐるりと周囲に目を配り、息さえ殺して耳を澄ます。はためく音が邪魔で、コートとマフラーを押さえ込む。

「…………ぃ……」

やっぱり聞こえる!
目を閉じて全神経を耳だけに集中し、音の方向を探る。見えない糸を手繰るように歩を進め、
「この辺り……?」
公園の端で足を止めた。まだ音は遠い。しかし、これ以上進むとより遠のく。ならば考えられるのは、
「上、か?」
並んだ木立を見上げるが、よく判らない。こんなに枝葉の茂った中では、探す姿は小さすぎる。
「いるのか、サイト!」
見えないならば、やはり音に頼るしかない。カイトは樹上に向かって声を張った。
「いるなら応えろ! 腹から叫べ、お前も『KAITO』だろう!」



 * * * * *

叫べ、と叫ぶカイトの声が、サイトの鼓膜を振るわせた。
「――るです……ここにいるです、おおきいのー!」
涙に濡れた声のまま、ほとんど無意識に応えて叫ぶ。小さな身体の、ありったけを振り絞って。
「ここにいるです! 帰りたいですー!!」
「ミャアアー!」
救けと理解したのか、猫まで一緒に鳴き喚いた。



「っはぁ、やっと着いた……なんて高さまで登ってるんだ。だから降りられなくなるんだよ、もう」
サイト(と猫)のいる枝まで登りきり、カイトは安堵と呆れの入り混じった溜息を吐いた。
その姿と声に、糸が切れたのだろう。サイトが再び泣きじゃくる。
「ふ……うぁ、うわぁぁんっ!」
「あぁ……怖かったな。ほら、わかったから。もう大丈夫だよ、帰ろうな」
「ニャー!」
「あぁはい、猫さんも。っていうか、ひとんちの子供攫った挙句に帰れなくなるとか止めような……」



猫とサイトを抱きかかえて、カイトは帰路に着いた。往路は音だけに集中していたので道を憶えていないのだが、住所が分かれば何とでもなる。焦ることなく歩き出す。
「おおきいの、どうして分かったです?」
ひとしきり泣いて落ち着いたサイトが、カイトを見上げて首を傾げる。見付けてもらえて助かったけれど、見付けてもらえる訳がないと思っていたのに。
「猫の首輪が鈴付きだったから、何とかね。サイトの泣き声も聞こえたよー?」
苦笑気味に答えたカイトは、揶揄するように語尾を少々上げた。反省しなさい、とサイトをつつく。
それでもサイトが不思議そうな表情を崩さないので、小さく笑って付け加えた。
「俺はボーカロイドだからね。耳は凄く良いんだよ」

そう言ったカイトは誇らしげで、自信に満ちて見えた。普段は騒々しくて子供っぽいのに、こんな顔で胸を張られると格好良い。
(てれびで見た、「ひーろー」みたいです)
思ったけれども悔しい気がして、サイトは何も言わなかった。
慌てて追ってくれた事も、必死に探してくれた事も、無理だと思っていたのに見つけ出して、助けてくれた事も……全部、本当はとても嬉しかったのだけど。
(おおきいのは、大きいです……)
安心と疲れが押し寄せて、眠気にぼんやりする頭の端でそんな事を思う。
サイトの初めての冒険は、こうして幕を下ろしたのだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

KAITOful☆days #14【KAITOの種】

お疲れ、兄さん!
そして読んでくださった方もお疲れ様でした! 第2部、これにて終了です。
第3部はちょろっと新展開?も加えて執筆済みですが、さて『KAos~』との更新の兼ね合いはどうしようかな。

なんと前回・今回と、マスターが完全不在でした。1エピソード丸々不在って、自分でびっくりです。
多分この後、兄さんから報告とかしてるんだろうなぁ……と思いつつ書かなかったのは私ですがw
たまにはこんなのもアリでしょうか。あれ、「カイマス」タグ外すべき……?

 * * * * *
【KAITOの種 本家様:http://piapro.jp/content/aa6z5yee9omge6m2

 * * * * *
 ↓ブログで各話やキャラ、設定なんかについて語り散らしてます
『kaitoful-bubble』 http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/

閲覧数:174

投稿日:2010/10/04 17:36:01

文字数:2,787文字

カテゴリ:小説

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  • 秋徒

    秋徒

    ご意見・ご感想

     こんにちは。第二部お疲れ様です。

     今回は人一倍の2424小説でしたね!(*´д`(撲 烏との戦闘シーンで少しドキドキしました。これサイトから見れば、自分よりでかい猛禽類なんですよね…私だったら耐えきれず泣きますw
     サイトの中で、兄さんの存在がかなり大きくなったのではないですか?まだ大きいの呼ばわりですがw サイトもこれを期に、兄さんへどんどん甘えたらいいy(←

     今回の話は初の三人称視点と聞きましたが、全然違和感がなかったです。一人称視点が書けて三人称視点も安心って、…その文才ください!←

     次は新展開とのことで、若干ワクテカが止まりませんw そういや、KAosの方でも冷食・アイス半額棚があるスーパー出てきましたね。まさかご近所さん…!?とか考えたり…(滅
     色々予想(妄想)して待ってます!

    2010/10/06 08:51:46

    • 藍流

      藍流

      こんにちは、ありがとうございますー!

      >烏との戦闘シーン
      時々無性にバトルシーンとか立ち回りが書きたくなるのですよー。ドキドキしてもらえて嬉しいですヽ(*´∀`)ノ
      私も泣き叫ぶか、それすらできず縮こまって震えると思いますw

      サイトと兄さんの関係は、いつの間にか随分微笑ましいものになっている気がします。サイトが甘えるようになったら、意外とカイトは絆されそうですね。
      いつかはそんな関係に辿り着け…るのかなぁ、あの2人はw

      >新展開
      ワクテカありがとうございます(´∀`*)
      あぁっ、でも『KAos?』の更新挟むので、種っ子第3部はちょっと先になります;
      『KAos?』第3楽章×5話の後になるか、第4楽章も入れて10話の後か…1ヶ月以上空くのは遠すぎでしょうか;
      色々予想もありがとうございます。楽しんでいただけると嬉しいです?(*´▽`)

      2010/10/06 16:23:22

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