ドアを開けると、その途端に甘い香料の香りが鼻をついた。
 その部屋の奥にある、優しく和やかな日差しが差し込む窓際のベッドに、彼女は寝かされていた。
 「ミク・・・・・・!!」
 僕はすぐにベッドに駆け寄り膝をついた。だがその彼女の姿を見て、僕は言葉を失い、一瞬、喉の奥に何かを詰まらせ、呼吸を忘れた。
 水色の患者服の袖からは、左手、左足が見えず、代わりに何本ものコードが、ミクの服の中に潜り込んでいる。
 コードの先には幾つもの機械類が接続されている。それはまさに、弱々しいミクの命を紡ぐ生命線だった。
 まさに、重体の患者だった。
 僕は思わず、この水色の患者服の中を想像してしまった。
 十発ものミサイルを生身で受け止めたミクの体は、今、どんな有様になってしまったのかと。
 でも、その綺麗な顔立ちだけは、不思議なことに、傷一つついてはいない。それだけが救いだった。 
 「・・・・・・ひろき・・・・・・。」
 僕の呼び掛けに遅れて、彼女が弱々しい声を出した。
 僕は彼女になにか言葉をかけようと思ったが、喉の奥に詰まった嗚咽が、発しようとした言葉を押し戻した。
 「・・・・・・みんなは・・・・・・どうなった・・・・・・?」
 「あ、ああ・・・・・・。」
 まだ、言葉を上手く発する事ができない。
 ミクの姿を見ているだけで、嗚咽が口から溢れそうになり、瞼の裏に、喩えようの無い熱さがこみ上げる。
 「もう、終わったよ。何もかも終わった・・・・・・みんな無事だよ。だから、安心して。」
 そんな気休めの言葉を掛けてあげるのが、精一杯なんだ。
 「・・・・・・よかった・・・・・・。」
 ミクはうっすらと笑みを浮かべた。
 でもその瞳は、どことも焦点の合っていない、混濁した瞳だった。
 「うん。だから、ミクはゆっくり休んでいて。その内、きっと君を治してあげるから。」
 「うん・・・・・・。」
 ミクが微かに、右腕を震わせて、僕の手へと、差し伸べた。
 僕がその手を優しく握り返すと、彼女は安心したように瞳を閉じた。
 「ひろきぃー・・・・・・。」
 「なに?」
 「ごめん・・・・・・ん・・・・・・・。」
 突然の意外な言葉だった。ミクは何を、僕に謝らなければならないのだろうか。
 「おるすばん・・・・・・でき、できなかった・・・・・・。」
 「ミク・・・・・・。」 
 「でも、わたし、ミクオに・・・・・・・ミクオに、いわれて、ひろきのいるばしょ・・・・・・だから助けに行こうと思って・・・・・・ミクオについてって・・・・・・。」
 彼女もまた、震える声で僕に伝えた。不安定に揺らぐ、意識の中で。 
 「もういいよ。君が生きてさえいてくれれば、僕はそれで十分なんだ。」
 「ひろき・・・・・・を、助けたかった・・・・・・だいすき、だから・・・・・・!」
 「もういいんだ。」
 僕は、呟くようなか細い言葉を遮り、そっと彼女の頬を撫でた。
 柔らかい感触、確かな体温を感じながら。
 その時、背後の人の気配を感じ、振り返るとそこには、僕に事の全貌を教えてくれた、初音ミクオ君の姿があった。
 「網走さん。奇跡的にも・・・・・・左手と左足を失うだけで済みました。今は流れ切ってしまった人工血液を少しずつ投与しているため、意識の方はまだ不安定のようですね。失われた手足の方は、クリプトンからの謝礼として、すぐに届く予定です。一週間もあれば、元通りに復帰できます。」
 余りにも業務的な彼の言い方に、嫌気が指し、僕は彼から視線を逸らした。
 だが、僕が気になることは、もっと別のことだ。
 「ミクオ君・・・・・・ミクは、これからどうなるんだい。」
 「先程も申し上げたように彼女は、例の実験に参加したのです。当然、貴方も、彼女も、当面は当局の監視下に置かれるかもしれません。ボーカロイドの活動を再開するかどうかは分かりませんが、ご自宅には帰れると思います。」
 その声だけ、少し、重く、沈んだ気がした。
 あの事件が解決してから、二日が過ぎた。
 彼から真実を帰化された時は、僕は驚きの余り、混乱で何も整理することができなかった。
 こんなことになるなんて・・・・・・・。
 これなら、僕と出会った時から、すぐに逃げ出せば良かったんだ。
 そうしなければ、こんな君をこんな姿にしなくて済んだのに。
 いつもそうだ。僕たちはいつもこうなる。
 兄が言っていた通り、こんな運命にある・・・・・・。
 ただ、ささやか平和を望んでいるだけなのに、何故武器を取り、傷つけ、傷つかなければならないんだ。ミクが一体何をしたっていうんだ。クリプトンはいつも自分の利益のために他人を操って傷つけさせる。最低だ。
 もうクリプトンなんかに居たくない。ミクを連れて、遠いどこかに逃げ出したい。でも、そんなことすら叶わないなんて!
 僕は胸の中で咽び泣き、嘆き、ただミクの手を握った。 
 「ひろき・・・・・・。」
 突然、ミクは残された手足を震わせながら、体を起こし、僕の胸に擦り寄った。
 必死に僕に触れようとするミクの姿。僕にもはや、込みあげた熱さを瞼の裏に留めて置くことはできなかった。
 「ミク、もう・・・・・・無理しないで・・・・・・・。」
 視界を霞ませてミクの体を抱きとめると、彼女はその右手を僕の背に回し、痛いほどに、しがみついた。
 患者服を伝って、彼女の柔らかな体と生命(いのち)の温度を感じた。
 「あぁ・・・・・・ひろき・・・・・・。」
 ミクは深く息を吐き、瞳を閉じて、僕の胸に身を委ねた。
 僕もまた、力を込めて、細いミクの体を抱きしめた。
 「ひろき・・・・・・あたたかい・・・・・・・。」
 「・・・・・・ミクも・・・・・・あたたかい・・・・・・。」
 もう、何もかも忘れられる。この時だけは。 
 痛みも、苦しみも、涙も忘れて、ただ君の体温を感じていられる。
 できる事なら、いつまでもこうしていたい。
 あらゆる束縛から逃れて、二人で、こうして、平和な日々が送れれば、どんなに幸せなことだろう。
 でもそれが叶わないなら、せめて今だけは、出来る限り、こうしていよう。
 僕とミクで、暖かい日差しの中で・・・・・・・。
 
 
 事の全貌を全て解き明かし、自分の中で整理するまで、一週間という時間を要した。
 システムの停止は確かに軍の装備を完全に無力化したが、同時に民間の設備、交通、医療の方でも装置類が一気にシャットダウンするなどして、甚大な被害を被ったらしい。既にシステムの網は民間に及んでいたということだ。
 システムは近日回復する予定だが、それまではロック解除プログラムが機能し、事態を回復させている。
 ウェポンズの人間はシステムの停止によって昏睡状態、最悪死亡し、生存者のみを軍が回収しているが、彼らがどのような運命を辿るのかは分からない。あのソード隊の皆も。
 作戦に協力していた栄田道子は再び隠遁生活に戻り、セリカは軍に保護された。
 ワラや他の仲間達も、無事帰還することができたようだ。ミクの行方は定かではないが・・・・・・。
 システムの停止だけでも大きく世間を騒がせたのだが、それより大問題なのが、水面都湾に不時着したストラトスフィアだ。
 軍の機密が、衆人環視の前に晒された瞬間だった。 
 これにより、国民の間では新たな混乱を招いており、粛清には時間がかりそうだ。 
 なお、PLGに聞かされた「実験」の事は、無論、誰も知るものはいなかった。今思えば、夢を見ていたのではないのかとすら思える。
 ミクオもクリプトンに戻ったのか、あれから俺の前に現れることはなかった。PLGも、既に仲間のコンピューターから消えていた。
 全てを知っているのは、俺だけだ。
 そして肝心の俺は、任務を達成したところで、何も見いだせはしなかった。
 俺は人に使役される存在。勤めは果たしたはずだ。
 しかし何故、俺は今だに何を迷っているのだろうか・・・・・・。
 と、物思いに耽っている内に、俺は既に目的地の前にたどり着いていた。
 そこは、とある陸軍基地のブリーフィングルーム。
 あの事件のあと休暇を取れるはずだったのだが、突如召集がかかり、こんなところに呼ばれてしまった。どういうわけか、いつの間にスニーキングスーツまで装着してしまっている。
 ドアを開けると、狭い部屋のホワイトボードの前で、神田美咲少佐は笑顔で出迎えてくれた。
 「デル!この前はご苦労だった。」
 「労う気持ちがあるなら休暇をくれ休暇を。」
 俺が嫌味のように訴えると、少佐は苦笑し、
 「そう言わないでくれ。今日は、新しいチームの結成し、そして新たな任務に挑んでもらうのだからな!」
 少佐は不気味なほど笑顔で言ってくれるが、この期に及んでまた任務とは、全身から力と意識が抜け落ちてしまいそうな報告だ。
 「で、その新しいチームとは?」
 「今回の作戦の成果で、陸軍は再び人間型アンドロイドの採用を決定した。よってこの度、アンドロイドで構成される特殊部隊が結成される事になった・・・・・・皆!!」
 少佐が言うと、別のドアが開かれ、中からはお馴染みの顔ぶれが溢れ出した。
 「よう。デル。」
 「タイト・・・・・・キク、ワラ、ヤミ、シク!!」
 そう、俺があの作戦で生死を共にした仲間達だった
 「デル・・・・・・!!」
 その中でワラは俺の姿を見るなり、突然俺のもとへ駆け寄り、抱きついたのだ。
 「な、何だワラ!!」
 「嬉しいんだよバカ!あんたと一緒になれて・・・・・・。」
 「どうして?」
 俺が効くと彼女は赤く頬を染めて、俺の瞳を見つめた。
 「あのね・・・・・・あたし、あの任務の時、あんたにいろいろ助けられてる内に、その・・・・・・。」
 彼女は俺の前で真っ直ぐに立ち、真剣な表情で俺を見つめ、緊張に言葉を震わせながら、
 「好きに・・・・・・な、なっちゃいました・・・・・・。」
 と、俺に告白した。
 「ワラ・・・・・・。」
 好き、か。ならば、あの「す」から始まる言葉は、俺のことが、好きだと、そういいたかったのだろう。 
 そして俺もまた、彼女の事を、誰よりも特別な存在だと、意識している。
 彼女と出会った時から、俺は自然と、彼女のために尽くしていた。
 あの任務の中で、俺達はいつの間にか、特別な関係になっていたのだ。
 大切で、この手で護ってあげたい。そんな存在。
 それはつまり、俺も・・・・・・。
 「ワラ・・・・・・。」
 俺は彼女の両肩に手を置き、同じように彼女の瞳を見つめた。
 ワラは顔面を真っ赤に紅潮させるが、俺の瞳から視線を逸らそうとはしない。
 「俺もだ。ワラ。俺もお前のことが好きになった。」
 「・・・・・・ありがと。」
 「ワラさん!今がチャンスですよ!!」
 シクが言った瞬間、俺にワラが迫り、そして唇と唇が触れ合い、その瞬間、仲間達が一斉に拍手を送った。
 これは、キス。愛する者同士がする行為。
 俺は無意識に、ワラの背に手を回し、その体を抱きしめていた。
 その時、後ろで神田少佐が咳払いした。
 「あー、いいところを悪いが二人ともそれぐらいにしてくれないか?」 
 その言葉で俺とワラが我に帰り、赤面した。
 「皆。今日から君達は、一つのチームとして任務にあたってもらう。そして早速新しく任務が入って――」 
 その時、部屋の外からジェットエンジンの轟音が鳴り響いた。
 「ああ、もうお迎えが来てしまったようだ。外に出てみてくれ。」
 皆と外に続くドアを抜けると、そこには広大なコンクリートの大地が広がり、目の前に、一機のVTOLが着陸していた。
 「さぁみんな、早く乗り込んでくれ!もう時間が無い!!」
 「な、何だって?!」
 「任務内容は後々説明する!とにかく君達の力が必要なんだ!!!」
 少佐の言葉に押され、俺は右も左も分からないままVTOLに乗り込んだ。 
 ハッチの向こうでは、少佐が敬礼している。 
 仕方なく敬礼を返し、俺は徐々に離れて行く基地と少佐を見つめながら、ため息を付いた。
 「全く、人使いが荒いな・・・・・・。」
 すると俺の手を握ったワラが、
 「デル!!そんなことより、あんたはこれから、あたしの彼氏になったの。分かる?つまり、あんたは、これからあたしのために尽くさなきゃいけないし、あたしも、あんたのために・・・・・・ね!」
 と、ワラが無邪気な笑みを見せた。  
 そうだ。
 俺はやっと、探し求めていた答えを、今、手にしたのだ。
 俺という存在は、愛する人のために。
 それだけではない。仲間のために。そして、この国の人々のために。
 使役されるのではない。誰かのために尽くす。それが俺の存在意義であり、使命だ。
 ワラのためなら、俺は命を賭けられる。
 ワラもまた、俺の事を愛してくれている。
 この気持は、ナノマシンに操られた偽りではなく、俺自身の意志なのだ。
 ようやく見つかった。俺の存在意義が!!
 網走智貴が口にしていた言葉の意味を、俺は理解した。
 そして俺は、明日に向かう。今度は、使命を探しに。
 「ワラ・・・・・・俺は今まで、自分が何のためにあるのか、疑問に思っていた。」
 「え?」
 「でも、答えは出た。君のおかげで。俺はこれから、君のために生き続けようと思う。」
 「えへへ・・・・・・じゃあ、あたしも、デルのために生きるよ。」
 「・・・・・・ありがとう。」
 俺とワラは離れて行く大地と、晴天を前にして、もう一度、キスをした。
 そして、繋いだ手を強く握りしめる。
 『こちらパイロット。本日はご搭乗誠にありがとうございます。これより急遽、目的地に急行します。皆さん、準備はいいですか?飛ばしますよ!』
 やけの威勢のいいパイロットの声と共に、俺達を載せたVTOLは一気に加速し、青空の先へと舞い上がった。
 
  
 行こう。この先へ。
 
 行こう。あなたと共に。
 

―――――――――――――――――――完―――――――――――――――――――

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

SUCCESSOR's OF JIHAD最終話「愛する君と共に」

 少々強引だったかな?たぶん修正するかな?とにかく、終わりましたーーーーーー!!!
 つ、つかれた・・・・・・なんで八十話も書いていたんでしょうか。
 とにかく、これでこのシリーズも一つ区切りが付きました。
 もちろん続編や外伝もあるんですが、これを上回るボリュームには、たぶんならないかもしれませんね。
 何せ過去二部作はこの「SUCCESSOR's OF JIHAD」で回収するフラグを立てるために書いていましたから。そりゃ長くなりますよ。

 で、少し休憩してイラスト描いて、そうしたら続編を書いていきたいと思います。
 えー、時間軸的には、少し戻って、第一作以前の話になると思います。
 このシリーズの原点を、記していきたいと思います。
 ちなみに、戦闘シーンとか、そういうのはたぶんありません。
 むしろひたすらバカップルがイチャつくというヒデェ話です。
 
 それでは、このお話を読んでくださった皆様、誠に、ありがとうございました!
 これからも末永く、このFOX2を、よろしくお願いいたします。

閲覧数:192

投稿日:2010/02/27 08:35:55

文字数:5,797文字

カテゴリ:小説

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  • sukima_neru

    sukima_neru

    ご意見・ご感想

    読ませていただきました。
    いやー、長かったですねー。でも、最後まで楽しく読み切ることができました。
    最後の展開についていけなかったのはきっと私の勉強不足です。

    雑音さんかっこよすぎです。しびれました。
    ミクオくんもデルさんも、帯人さんもかっこよかったです。無限ホータイ…何も言うまい。
    隊長さんたちの活躍が少なくて残念でしたが、彼らは脇役、わかっています。
    テトさん死ななくてよかったー。番外編楽しみにしています。

    長文失礼しました、続編楽しみです。

    2010/04/26 15:06:23

    • FOX2

      FOX2

       こんにちはsukima_neru様。この度もご感想誠にありがとうございます。
       確かに長すぎます。恐らく私の小説で、これ以上のボリュームを持つ作品を書くことは二度と無いでしょう。
       最後の長ったらしいお話ですが、流石に反省しています。後付もいいところですよね。申し訳ありません。
       それでも楽しんでいただけたようで、光栄です。
       
       雑音さんのかっこよさはガチでございます。
       恐らく「カッコいい」と「可愛い」の二種類がハイレベルで融合したキャラクターと申しても過言ではないでしょう。
       無限ホータイは・・・・・・「無限バンダナ」の親戚みたいなものです。
       ソード隊の皆様は、そうですね。今回は脇役となっていただきましたが、見せ場は十分ご用意したつもりです。何せ旧主人公ですからね。
       テトさんは、キメラです。誰がなんと仰っても、キメラです。 
       それに番外編にて主人公になりますので、そもそも主人公補正で死ねないお方です。
       
       続編も既に執筆中です。すこし更新速度が遅いですがこれからもお付き合いしていただけると嬉しいです。
       それでは、ありがとうございました。

      2010/04/27 21:53:11

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