有名な小説家がいる。

その小説家の名前を知らない人は恐らくこの世にはいないだろうし、知らないとしたらそれは余程の世間知らずか過去からタイムスリップしてきた科学者だけだろう。
新作を書けばたちまち重版出来のミリオンセラー、熱心なファンの様はまるで新しい宗教なのではないかと目を疑う。
紡がれた物語はうねるように人々の心を揺らしていき、リズミカルな言葉の羅列は我々をさらに奥へといざなっている。そしてその奥にはしっかりと根が張った大樹がそびえ立っているのだ。と、とある評論家は彼の作品をそう語った。
ともかく、彼を好きだという人は大多数だったし、彼の作風は誰もが真似した。

さて、そんな彼の新作がまた出たそうだ。
いつもの様に本屋には信者の群れが雪崩込み、さながら祭りのように浮き足立っているそれらをテレビはしきりに流している。あれよあれよと本は売れ、わずか3日で在庫が溶けた。
私は別段小説が好きな訳では無い。が、毎回嫌でも見聞きするお祭り騒ぎに「そんなにいいものなのか」と思った。(それは好奇心とは名ばかりの野次馬根性であった。)そこで私の隣人である信者達に聞いてみることにした。
もしもし、今作の彼の新作はどんな話なんだい?
「生き別れた兄弟の話だった。兄の生き様に自分を重ねてしまって涙したよ。絆というのは、やはりとてもいいものだね。」
「死んだ妹の足跡を辿る姉の話だったね。妹の恋人との静かな絆と、最後の台詞がとてもよかったな。」
「気高い王女と従者の話だったわ。衝突することがとても多い2人だったけど、しっかりとした絆を感じた。処刑シーンのやり取りは涙無しでは見られなかったわ。」

…おや?

おかしい。同じ小説、同じタイトルのはずなのに、全く内容が違うではないか。試しに自分も借りて読んでみたが、“文章がただリズミカルな”父子の絆の話だった。どういう事なのだろうか。
彼の幾つかの小説の内容についても調べてみると、やはり人によって内容が違っていた。借りて読むと、借りた人が言っている内容と自分が読んだ時の内容がものの見事に違うのだ。
さらに驚くべき事に、内容が違うにも関わらず、ファン同士いや、読んだ人同士でその本の内容の話をしても、全くズレがないのだ。普通に会話として成立しているのだ。会話の傘下に入っているうちは異常だと感じないらしい。
そしてもう1つ気づいたことがある。それは話の芯となる部分は共通している、ということである。狼が街を飲み込む話も、天涯孤独な人間と猫が暮らす話も、全て話の根本的なものは変わらないのだ。
つまり彼の書く小説は、“人によって内容が変わるが、筆者の伝えたいことだけは伝わる”いわゆる魔本だった、という訳である。

このことに気づいたのはどうやら私だけてあるらしく、また、誰に言っても信じてはくれなかった。それほど彼の名前は信じられており、魔本達は知れ渡っていた。まるで皆が海の中に沈んでおり、私だけが海面で漂っているようだった。
酷い孤独が私を襲った。大多数の信者からは白い目を向けられ、(まるで迫害にあっている気分だった。)そうでは無い一般市民からも憐れむような眼差しを受けた。
あぁ、1人になってしまった、と思った。

だが私は孤独よりも、そこから芽生えた探究心を優先した。ボートの上でさめざめと泣くよりも、むしろ漕ぎ出すことにしたのである。
私は、魔本の著者を探す事にした。

探索は困難を極めた。山どころか海を越え、地球をぐるりと1周し、子午線を3度跨いてようやく見つけた時には、新作が1冊出ていた。
彼は幽霊だった。静かな森の中の、もう使われなくなった納屋に住み着いていた。声は出せそうになかったが、やはりペンは持てたので、私は聞いてみることにした。
もしもし、どうしてあなたは魔本を出したのですか。
『私は小説で、自分の思った事を伝えたかった。だが、どういう事か相手には全く伝わらなかった。私は考えた。そこでひとつの結論に至った。内容が相手の興味が無いものだと、自分が言いたかった、伝えたい事が届かないのだと。
そこで私は相手によって内容が変わる本を作ろうと思った。もちろん、しっかりと言いたいことは変わらないまま。そのためには自分の精神を文字に練り込む必要があった。
そして私は幽霊になった。昔より小さくなってしまったが、後悔はしていない。なぜなら、今は世界中の人が私の物語を読んでくれている。私の伝えたい事で涙してくれている。それで十分なのだ。』

「なるほど」
私は腑に落ちた。
「つまりお前には文才がなかったんだな!」

幽霊はか細い悲鳴を上げて消えてしまった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

【短編】ゴーストライター

よく分からない短編です。ボカロ関係ない。

洗い物してたら思いつきました。良ければどうぞ。
※この小説はフィクションです。実際の人物、団体は一切関係ありません。念の為。

閲覧数:83

投稿日:2019/10/18 18:27:01

文字数:1,930文字

カテゴリ:小説

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