閉鎖病棟退院から、約1年が経った。
3ヶ月という、私にとってはとても長い大恋愛を終え、今やっと、ふざけて抱き合った退院祝いのプリクラを見ることができる。
ブログを読み返すと、彼が自分にとってどんな存在であったか振り返ることができる。
「男友達と、しゃぶしゃぶと太鼓の達人!!!!これからも末永く、友達でいてください。」
そのタイミングは、ハクが、元彼女と別れて落ち込んでいたタイミングだった。
私の悪い癖は、毎回これが最後の恋だと思い込んでしまうことで、院内恋愛した束縛の激しいトンボと、病気同士、同棲を考えたし、精神障害者向けの共同住宅に引っ越すことを考えたりしていて、ハクを相談相手に、レディーズデーのカラオケBOXで、パフェを喜んで食べながら、色々話し合った。
「男の選び方、間違ってねぇ?俺そいつより、前のベッドの奥さんの息子さん(17歳)の若い子の方が、ずっと未来あると思うんだけど。」
向こう見ずな性格なので、そんなハクの意見も耳に入らず、只、何ヶ月か前、ハクを忘れられない思い出の人として、懸命に忘れようとし、でも、何故今、こうしてやっと再会できたタイミングに、私に他の人がいるのだろうと切なくなって、「どうして今なの」と、泣き崩れた。ハクの頭の撫で方は、実家のシャム猫エルザを撫でるのと一緒なのか、多分一番上手で、忘れない。
ハクは少々病んでいたが、繊細で、不純ではあっても、付き合っている子のことは大切にする人だった。
『男の人でも失恋するとこんなに痩せたり、日記が病んだりしちゃうんだぁ。』と、思った。
「わぁぁ。見て。ピンキーに、星型が入ってたよ。いいことみっけ☆」
人の心理を察するのが得意な私は、切ない日記だなーと心配したし、「死なないでね、ちゃんと食べてね。」とメールしたり、トンボに携帯からほじくり抜かれたハクのアドレスを、グリーメールを使ってまた取り戻したりした。
大切な友達だったその時点では、ハクが、私と初めて逢った日、レンタカーで借りた物と同じモデルのvivioの赤いオープンカーを、2年かけて手に入れて、それで登場したことはささやかに嬉しくもあった。
愛用の物に名前を付けるのが、綾戸とかぶると思った。そいつの場合カメラは「マチルダ」。ハクの赤いオープンカーは「びびまる」だった。私も真似して物に名前を付けたがる。愛用のNikonのカメラは「にこちゃん」、ベランダのワイヤープランツは「もりぞう」、家は「いちごのお城」だし、プトマヨの黒うさぎ携帯ストラップは、「ゆきえ」だ。
その時、閉鎖保護室という刑務所みたいな場所で、何故異常に性欲があったのかを思い出せなかったが、記憶を反芻するとピントが合う。
-究極の寂しさと性欲は関係する-
という、ハクを失い、救急病院に運ばれた時の、年末の主治医の言葉だ。

生死に関わる程の恋愛をしたことがありますか?
cocoaには分からないだろう。単細胞だから。
ハクを失い、お金も無い時、たまたまそこに居たのがそいつだっただけであり、恋は只の錯覚だ。
友達同士の金銭の貸し借りが苦手な私は、めんどくさいことになった!と、手紙付きで7ちゃん経由で返して貰った。
もし、その気があったなら、「なんで手渡しじゃないんだ」って、追ってきてくれるかな、と、試したのだ。
そんな女性の心理が、単細胞に分かる筈がない。
「お金サンクス!」
と、一行メールがきて、イラッとした。マイミクを外したのも、そのタイミングだったかな?思い出せない。
只、女性は関係を持つと間違いなく引きずる。「只の近所の人」と自分に言い聞かせ感覚を麻痺させ、忘れようとしたし、まだハクとグリーで繋がっていた時、LIVEを入れ、メッセで「LIVEが決まりました。日ノ出町のホストの友達、会えそうです。」と入れ、友リンを切る前に元カノのプロフィールに飛び、「なんか、戻った臭いぞ。」と確認してから、退会した。
「EVAとパチンコをこよなく愛する、JKです?」
そう、じゃあ私はもう綾波レイはやめて、デスノートのあまねミサになるし、パチンコよりスマートボール派だし、学ぶなら麻雀だ、と、昔のベースのイッサンやじゅんきちさんにしつこく「麻雀教えてください!」とメールをした。まだ実現できてないけど。

とてもいいタイミングに、デザフェスで燃えるゴミに再会できたと思ってる。
男の人って会うまであまり自分話をしないよね。再会して初めて、SBMAという難病にかかっていることを知り、ショックを受けた。
「そいつはモテるの?」
「知らないけど・・・よく知らないけど、他に色々いるのを想定しながらプロポーズした。」
「そうか。俺は今まで無理をし過ぎた。舞は普通の人より何倍も何百倍も苦しい思いをしてきたから、健康の有り難みが分かるんやな。よく、私を殺してって言っていたけど、舞が楽になるなら、俺は殺人鬼になってもいいと思った。」
そんなやり取りをした。そんなこと言ったっけ・・・覚えてない。でも、嘘でもそういう言葉を言えるのは、さすが元ホスト。最高の元カレを持って誇らしく思う。
「今まで気付かんやったけど、空っていいもんあやなー。」と、ふうせんかづらの種を埋めて、コンクリートに寝転がった。
「うん。あと、あの橋が、mixiのアプリの無限マラソンのレールに見える。」
ムードぶち壊し。
その時の2人のいい笑顔の写真は、ブログに載っている。彼なら一般のお客さんに知られても絶対に叩かれない、生涯忘れない重要人物だからだ。

インターネットが気持ち悪いものだと思い知ったのは、公であるブログに「特別な人がいます」と書いただけで暇人が荒らしたり叩いたり、mixiに於いても、マイミクさんが、コミュニティーに自分の書いた書き込みをコピペしてグチグチ叩いたりされる話を聞いたり、私も友達と思っていた人に叩かれたりしたので、マヤちゃんにアクセスブロックの方法を聞いて、徹底的に戦ったし、以前、外に連れ出してくれれば誰でも良くてネット上で知らない人と簡単に会っていた時のストーカーが名前を変えて現れて、知らずにマイミクしてしまった時も、徹底無視した。

時間が経てば、感傷に浸る甘い恋心も薄れていくもの。cocoaがどうでもよくなったので、マイミクしても良くなったのに、申請を拒否された。心の狭い奴だ。でも、回り道をした今は、マイミクにいなくて良かったと思っている。特別執着している人がマイミクにいると振り回されるというネットの怖さは過去に散々垣間見たし、向こう側でも、嫉妬深い私にどこで何をしていたか知られたくない理由があるのも察することができる。

なんの自慢にもならないが、小学3年生の時の忘れ物シールグラフがクラスで一番だった。
忘れ物なくし物は、探すのをやめた時、見つかることはよくあるハナシで。
震災の中バカッポーが騒ぎ出すバレンタインが近づいたが、ドアノブしたらストーカーになっちゃうし、一度ものすごく傷つく恋をするとそう簡単に次に踏み込めなくなるのが大人だし、『作る過程』だけ楽しんだ名前入りチョコも「西川進さんにあげるからいいんだもん!!」と強がって、結局あげられなくて自分で食べて太って、バレンタインライブに1人でLIVEした時に楽屋でナンパしてきた、第一印象が「うざい人」な酔っぱらいに、「1人で怖くないの?」と言われ、「全然怖くないです。」と逃げ、「セッションしようよ。君リズム感いいね。ギターのリズムはこうだぜ。」と言われ、「嫌です。」と逃げ。
でも、弾き語りする度に泣いてしまう悲しいLove Song、『ほうれん草のパスタ』を、「その曲、ママラグみたい。」と言われたり、「女の人は家族は関係ないよ。」と言われ、それだけで救われたので、貰った怪しいアドレスに、次の日、「面接受かりました。」と留守電を入れた。
生まれは横浜だが、育ちは東京の私は、ホームグラウンドの世田谷辺りには興味本位で行ってみたくなるもので。
「三茶辺りになんか美味しい店ありませんか?」
軽い気持ちで誘ったのがキッカケで、初出勤の左目がお岩さんみたく腫れて眼帯、さらにメンス2日目という最悪なコンディションの日、焼き鳥屋で大好物のもつ煮を食べ、呑めないのにお酒を呑み、なりゆきでお泊まりした。
満喫に寝泊まりで充分だしメンスだから絶対にあり得ないと思っていたが、草食な顔して意外と男の子だったので、フランクフルトにさせられました。
何故、綺麗好き過ぎて神経質だし一緒には住めないと思ったハクに逆プロしたのかは自分でも理解できない。
三茶辺りの酔っぱらいは、血まみれのティッシュも片付けないズボラなので、付き合い易いと思った。
ドアーズのUstrem配信LIVEの前に呼ばれた時は、待ちぼうけを喰らわされ、リハに遅刻して行ったのに、ぶっつけ本番で力を出し切って、しかも『イデアドール』を抜かしてしまったことには1週間くらい経ってから気付いた。我ながら向こう水な性格である。
3回目に呼ばれた時かな、待ちぼうけに遭って、過呼吸の発作がでたけど、恩師にメールしたら「2回目だねー」と言われ、覚えてなくて・・・。
恋をすると完全に心ここに在らずになるので、前に待ちぼうけ喰らったこと等覚えていなくて、なんだー忘れていたかった、ずっと騙されて、魔法にかかったままでいたかったのに。
最近は全く連絡をとっていないけど、復帰LIVE映像を編集してくれた綾戸が『ほうれん草のパスタ』が、何かを達観している感じで、すごい力強い!とチャットしてきた時がある。
綾戸の本当の職業は、気の知れた音楽仲間は知っている。
「舞ちゃんに対する体裁じゃない?」。
お金を稼ぐ為なら、私だって手段を選ばなかった。
「私を使って下さい。」と頼んでみたが、断られました。
私の人生でたった1人、「親友」と呼んでくれた、エロ写メの原点、パーカスのみやっちょが
「舞、AV女優みたい。」
と言った。

公のブログからしてアウトしている私に興味を持った人がいたらしく、ギターのりーだが合コンを開いたりしたが、気分転換にはなったが肉食の私的にはおままごとみたいなものだった。
以後、LUSHとお香の匂いを狂ったように焚きまくるようになった私は、電車の中で痴漢やナンパに遭遇するようになった。
カラオケで青噛?久しぶりにした。でも、ジュディ・オングの歌詞にあるように。女という生き物は永遠に、違う男に抱かれながら、好きな男の名前を呼ぶのである。

mixiメッセや携帯メールを読み返せばいくらでも魔物を呼び出せる。
「エロい」。
それは、褒め言葉です。

さそり座・・・?気に入ってる。妖艶なカンジで。

2011.5.20

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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『脳内ジュディ・オング』

2回目の入院から退院した時の実体験小説です。

閲覧数:118

投稿日:2013/10/24 19:30:52

文字数:4,393文字

カテゴリ:小説

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