義母が普段は教室に使っているという広い部屋には、テーブルが並べられ、その上に様々な料理が並んでいた。
「……これ全部、お義母さんが?」
「ハクも手伝ってくれましたよ。それに、メイコさんとマイコさんが持ってきてくれた分もあります」
 ミカを椅子に座らせ、料理を取り分けながら義母が答える。ミカは美味しそうな料理に喜んでいたが、俺の気分は晴れなかった。
 とにかく俺も椅子に座って、食事にする。本当は別室に行きたかったのだが、どうもそれどころじゃなさそうだ。……すごく居心地が悪い。
 アカイの方を見ると、ハクさんの隣に座って、しきりに話しかけていた。ハクさんは硬い表情をしている。俺は申し訳ない気持ちになった。場違いな人間が押しかけてきたばかりに、折角の晴れの場が、妙なことになってしまった。……アカイの能天気さが、ある意味うらやましい。
 他の面々も見てみる。義母はミカのために、おかずを小さく切ってやっていた。カイトとメイコさんは、食事をしながら、アカイたちの方を心配そうに伺っている。マイコさんは義母に、料理についてあれこれと訊いていた。義母がその都度、丁寧に答えている。俺もとりあえず箸をつけたが、実を言うと、味はほとんどよくわからなかった。
 そうこうするうちに、食事は終わった。お茶だけを残して、食器が片づけられる。ミカはお腹がいっぱいになって満足したのか、こっくりこっくりと船をこぎだした。
「ミカちゃん、眠いのね。少しお昼寝しましょうね」
 言いながら、義母は了解を求めるかのように俺の方を見た。俺が頷くと、ミカを抱えあげて行ってしまう。別室で寝かせておくつもりなのだろう。
「本当に、何から何まですみません」
 義母が戻ってくると、俺は頭を下げた。義母は「いいんですよ」と笑ってくれたが、俺の気持ちはすっきりしなかった。
「あの……お義母さん。一つ頼みが」
 俺は鞄を開けて、耳を切られたぬいぐるみを取り出した。
「これ、修理できませんか?」
 ぬいぐるみというものが修理できるものなのかどうかはわからないが、元に戻せるのなら戻してやりたかった。前の子も、多分、そんなに汚れてないのに捨てられてしまったのだろう。
「え? ガクトさん、これ、どうしたんです?」
 義母は目を見開いて、ぬいぐるみを見ている。俺は何をどう説明したものかと考え込んだ。
「……わけは訊かないでもらえませんか」
「あなたねえ、そんなムシのいい話ないでしょ」
 マイコさんが口を挟んだ。思わずむっとしてそっちを見る。
「ちょっとマイト兄さん! 黙っててあげなよ」
「い・や」
 なんなのだろうこの人は。俺がそう思っていると、義母がすまなそうに首を横に振った。
「すいません、私、裁縫はさほど得意というわけじゃなくて……ボタンつけとかならできますけど、こういうのは……」
「ちょっとそれ、見せてくれる?」
 マイコさんが立ち上がるとこっちにやってきて、義母の手からぬいぐるみを取り上げた。勝手なことをしないでくださいと言いたいが、行動が素早すぎて、口が挟めない。
「……ハサミで切ったわね。誰がやったの?」
「えーと、それは……」
 切ったのは、ルカだ。だが初対面のこの人の前で、そんな話はできない。俺は今更ながら、ぬいぐるみの修理を頼むのはもっと後にすればよかったと思ったが、既に後の祭りである。
「まあ、いいわ」
 至って軽い口調でそう言うと、マイコさんはぬいぐるみを手に持ったまま、後ろを振り向いた。
「ハクちゃん、余ってるリボンか何かない?」
「ありますけど……」
「全部持ってきて。裁縫箱と一緒に」
 ハクさんが部屋を出て行った。メイコさんが立ち上がり、こっちにやってくる。
「先生、どうするんですか?」
「めーちゃんどう思う?」
「普通に縫い付けるとほつれてきちゃいますね。かといって、全部バラすのは大変すぎますし……、あ、もしかして」
「多分めーちゃんが思ってるとおりよ」
 そこへ、ハクさんが裁縫箱とリボンを抱えて戻ってきた。マイコさんはリボンを片っ端から当ててみると、リボンを一本選び出して、何やら作業を始めた。メイコさんとハクさんが、その作業を見守っている。
「……はい、こんなもんでしょ。なるべく丈夫に縫ったけど、強く引っ張らないでね」
 ぽんとぬいぐるみが手渡される。切られた耳の周りに、傷を隠すようにリボンが縫いつけられていた。
「あ……ありがとう」
「で、何があったらこんなことになるの?」
 そう訊かれ、俺はまた言葉に詰まった。まさか、最初からこれを見越して、ぬいぐるみの修理をしてくれたのだろうか。
 ……結局、俺はあったことを全部話してしまった。本来、話すべきではないことだ。多分、自分で思っていたのよりもずっと「誰かに話してしまいたい」という気持ちが強かったのだろう。
 事情を聞き終えると、その場にいるほぼ全員が呆然とした表情になった。あらためて、話してしまって良かったのだろうかという気持ちがわいてくる。
「……信じられない。あのいい子の姉さんが、そんなことをするなんて」
 ハクさんが、乾いた口調でそう言った。……微妙に、言葉にトゲがあるような気がする。
「ガクトさん、それは本当なのでしょうか?」
 これは義母だ。俺も、嘘であったらいいと思ってしまうが、悲しいことに事実だ。
「ええ……俺も何がなんだかよくわからないんですが、ルカがミカの目の前でぬいぐるみの耳を切ったのは本当です」
「ごめんなさい、ちょっと失礼」
 不意に、メイコさんがそう言って、部屋を出て行ってしまった。何か用事でも思い出したのだろうか。詮索することでもないので、そっとしておくことにする。
「育児ノイローゼ、でしょうか……」
 義母はまだ納得がいかないといった表情をしている。
「二歳って、どうしても手がかかりますし。まだ話してもよくわからないし、次から次へとこっちの意表を突くようなこともしてきますし、駄目っていうとすごい勢いで泣き喚いたりもしますし……」
 義母の言いたいことは、なんとなくわかった。俺は自分ではミカのことは見ている方だとは思うが、ルカのように二十四時間一緒にいるわけではない。……だが。
「日常生活は普通に送っているんです。外見に構わなくなるとか、そんなこともなく、いつもきちんとした格好で。家の中も片付いてますし――もちろん、掃除しているのはお手伝いさんですが――」
 普段のやりとりも全く変わっていない。だからこそ俺も、家の中で妙なことが起きているとは思っていなかったのだ。
「ルカ、言ったんです。所詮、ぬいぐるみは玩具で生きてないから、壊れるだけだと。なんというか、その言葉がそぐわなくて……」
 ノイローゼの人間が、そんな理屈を言えるものだろうか? 俺は専門家ではないが、どうもしっくりこない。それに、ミカの見ている前でぬいぐるみの耳を切るというのも妙だ。
 俺の目の前で、義母はやっぱり難しい顔をしている。
「……私がルカに始めて会った時、ルカは小学生でしたが、当時から遊ぶということをしない子でした。私があげたぬいぐるみも、遊びもせずにどこかにやってしまいましたし」
 そこまで言うと、義母は辛そうな表情でため息をついた。
「……玩具も、アクセサリーも、あの年頃の子がほしがるようなものは何一つほしがりませんでした。色々あげてみたのですけれど、玩具類は遊びもせずにしまいこみっぱなし。アクセサリーは『晴れの場に出る時は、きちんと身を飾るのが常識』と教えたらやっと着けるようになって」
 その場に、深刻な空気が満ちた。義母の言葉を信じるのなら、ルカはもとからおかしかったのだろうか? そして俺は、全く不審に思わず、ルカと暮らしてきたのだろうか?
「私があの子をちゃんと見てあげていたら、もしかしたら違っていたのかもしれません。もっと手をつくして見ていれば、そうでなくても専門家に見せるとかしていれば……」
「見せたって同じよ。『いい子』なんだし何も問題ありませんって言われるのがオチだし、そもそもお父さんが承知したと思う?」
 ハクさんの言葉を聞いた義母は、暗い表情でうなだれてしまった。
「それで、あなたこれからどうするの?」
 マイコさんが俺に向かって訊いてきた。カイトが何か言いたげな表情で、マイコさんの服の袖を引っ張っているが、マイコさんはそれを無視している。
「どうするって……」
「だから、あなたがこれからどうするのかよ」
「えーと、とりあえずはミカをお義母さんに預かってもらえないかと……」
 明日は日曜だが、それを過ぎると俺はまた仕事がある。ミカの面倒を一日見ることはできない。
「仕事の間、ミカを一人にはしておけませんし……」
「それはそうでしょうよ。でも、ずっと預けっぱなしってわけにもいかないでしょ? カエさんだって仕事があるんだし」
「あの……お教室ならしばらく休んでも……」
 言いかけた義母を、マイコさんは手で遮ってしまった。どうしてこの人が仕切るのか。俺はイライラしてきた。
「その『しばらく』って奴がどれくらいなのか、それをはっきり決めておかないと後でややこしくなるのよ。一週間? 一ヶ月?」
「え? それは、まだはっきりとは……」
 そもそも突発的に家を飛び出して来てしまったので、これからどうするのかなんて、全く考えていなかった。確かに、永遠に義母に預かってもらうわけにはいかない。
「それに、あなた自身はどうするつもりでいるの?」
「どう……とは?」
「だから、ルカさんとの今後よ。なんか家に帰る気ないみたいだけど、これからどうするわけ? 離婚するの? それとも、やり直すの?」
 突然でてきた離婚という言葉に、俺ははっとなった。胸の奥が冷たくなる。……離婚。奇妙な話だが「一緒にいられない」なんて思ったのに、その選択肢は頭に浮かんでいなかった。いやそもそも、俺はどうするつもりだったのだろう。
「ちょっとマイト兄さん、もう少し言葉を選んであげてよ。ガクトさん、ショック受けてるじゃないか」
 カイトが口を挟んだ。マイコさんが、ややむっとした表情で弟を見る。
「言葉を選んで状況が変わるの?」
「マイト兄さんにその調子でぴしぴしやられたら、まとまる話もまとまらなくなるって僕は言ってるんだよっ!」
「あのねえ。こういう場合はずるずるってのが一番良くないのよ」
 二人のやりとりを眺めながら、俺はどうしたらいいのかを考えていた。俺は、ルカと離婚したいのか? それともやり直したいのか?
 ……わからない。自分自身のことなのに。
 そこへ、メイコさんが戻ってきた。顔が強張っているように見えるが、何かあったのだろうか。
「あ、めーちゃん。めーちゃんからもマイト兄さんに何か言ってよ。僕だけじゃ上手く説得できなくて……」
「何言ってるのよカイト。めーちゃんはあたしの味方に決まってるじゃない」
 戻ってきたばかりのメイコさんに、カイトとマイコさんが口々に、不在の間の話をした。お互いが話をひったくりあうので、微妙に話がややこしくなっているように見える。
「で、めーちゃんはどう思うの?」
「え? 私ですか?」
 メイコさんがびっくりした声を出した。
「この際だから、全員の意見を出してみましょ」
「だから僕たちは何も言わない方が……」
「だって、預かるのはカエさんにとっても負担でしょ。ハクちゃんにまでしわ寄せがきたら、あたしが困るわ。うちのスタッフなんだから」
「だったらまず、カエさんの意見を聞いてみようよ」
 混沌とした中、全員の視線が義母に集中した。義母が困ったような表情になる。
「ええと……ミカちゃんを預かるのは平気ですが……」
「子供一人預かるのって大変よ。しかも二歳児でしょ」
「だからマイト兄さん、黙っててよ」
 カイトの袖を、今度はメイコさんが引っ張った。そのまま少し離れた場所へカイトを引っ張っていくと、向かって何か話し出す。声が小さいので、よく聞き取れない。
「カエさん、思ってることがあるのなら、全部喋った方がいいわよ。下手に口つぐむとろくなことがないし」
 ……本当によく喋る人だ。義母は困ったような表情のまま、視線を彷徨わせていたが、やがて口を開いた。
「あの……やっぱり、きちんとさせた方がいいと思うんです。ミカちゃんを預かるのは平気ですけど、うちにずっと預けっぱなしだと、いい感情を抱かない人もいるでしょうし。……ガクトさんのご実家とか、別れた夫とか」
「お父さんの感情なんか無視していいわよ」
 吐き捨てるような口調で、ハクさんが言った。
「そういうわけにも……それに、ルカのことも気がかりなんです。今、どうしているのか……」
 視線を伏せ気味にしながら、義母は気遣わしげな口調でそう語った。

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ロミオとシンデレラ 外伝その三十九【家族の定義】その三

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投稿日:2012/09/15 18:50:29

文字数:5,249文字

カテゴリ:小説

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