一章:幸福の探し方(言ノ葉 陽葵)
面接官が私に尋ねる。
貴女の長所はなんですか?
そんなもの、今まで考えた事すらなかった。
だから、面接中は在り来りな嘘を吐いた。
徹夜で暗記した私らしくない台詞を、
大人の前で堂々と口にした。
誠実、人柄、人望、実績、賢さ、行動力、
言葉にすればするほど、それらが自分とはかけ離れた未知のなにかに思えてくる。
私には何も無い。
それは、過去の私が作り上げた結果でもある。
子供の頃は何も知らなくてよかった。
知らなくても笑って過ごせていた。
誰のお陰か?
私を育ててくれた人達のお陰だ。
けど、これからは全て一人で背負わなくてはならない。
悲しみも、苦しみも、後悔も、
私自身で受け止めなければならないのだ。
いつの間にか桜が咲いて、
私の同級生達も、かけっこのように走り出す季節。
私の足取りは重くなり、
そして、彼らの背中が遠のいていく。
変化を恐れて、息苦しい感覚に襲われる。
その場で崩れ落ちて涙を流した。
涙目になりながら前を向いた時、
私はまた独りになっていた。
………………………
私は、言ノ葉 陽葵(ことのは ひまり)は、
四年制の文系大学を卒業し、
今年の四月から新社会人になった。
採用されたのは、
旅人書房という出版社の編集部。
私たち編集者の仕事をざっくり言うと、
書籍化する予定の本を企画し、
作り上げていくというもの。
そして、制作に関わる人達との連携も重要で、
私の場合は、雑用メインではあるが、
単にパソコンと睨めっこしていればいいという訳でもないのだ。
入社して早々、目の下にクマができている同僚もチラホラいて、情けない話だが、一週間くらいで辞めたくなった。
そういや、大学に入る時も全く同じ事思っていたっけ?
だから春は嫌いなんだ。
はっきり言って、それでも私は恵まれている方だ。
いつも自分を気にかけてくれる家族がいて、
辛い時には心配してくれる友人がいて、
子供の頃は苦労を知らなくて、
今まで何不自由なく生きてこれた。
ここに居ることはすごい幸運で、
私自身も、それを自覚しているのだけど、
何故か息苦しいと感じてしまう。
どうしても足りないと思ってしまうし、
疲れたって投げ出したくなる。
そういう思考になるのは、私がまだ弱いからなのか?
無謀だと知りつつも、繰り返し自問自答してみるが、一向に答えは出せていない。
多分、死んでも本当の答えは見つからない。
だから、自分にとっての、自分が納得できる正解を探すしかないのだろう。
「私ね、もう書きたくないんだ。
けど、気づけばまた続きを書いている。
なんでかな?私って変だよね?」
ふと、高校時代の友人、倉野叶(くらの かなう)の言葉が頭を過ぎる。
暗い過去を背負い、暗い物語ばかり書く彼女は、
今どこで何をしているのだろうか?
話を聞いたり、一緒に遊ぶ事はあったけれど、
叶が苦しいと本音を漏らしても、何とかなるなんて在り来りな綺麗事を吐くだけで、結局私は、本当の意味で彼女を助けることができなかった。
私の十七歳の誕生日に叶がくれた深紅のハート型のネックレスは、今も机の引き出しの中にある。
二人で交わした約束を最後まで守れなかったという罪悪感が、そのネックレスにこびり付いていて触れるのが怖い。
だから私は、それを“リグレット(後悔)の証”と呼んでいる。
「ダメだ、繋がらない…」
まさかと思い、叶に電話をかけてみるが、
一向に繋がらない。
嫌われたかな?
忘れているなら、それでもいいや。
私は、スマホを鞄に閉まって歩き出した。
今日やる仕事は終わったし、明日の予定も決まっている。
この後は、家に帰って、ご飯食べて、
シャワーを浴びて、これからの事を整理して…
私の瞳から、大粒の涙が零れる。
こんなところで何やってんだろう…私は。
こんな筈じゃなかった。
こんな筈じゃなかったんだよ。
やっぱり私は、変われない。
………………………
「言ノ葉さん、大丈夫かい?」
職場のデスクで目が覚めた。
上司の草木田さんが、不安そうな表情で私の顔を覗き込んでいた。
今のは夢だったのか?
そもそも、何処までが夢で何処からが現実なのかさえ曖昧だ。
「最近、寝てないんじゃない?
あまり、無理しない方がいいよ」
同期の司堂さんも心配してくれて、
甘い苺入の菓子パンと缶コーヒーをくれた。
「全部一人で抱え込まないで。
私が手伝うからさ」
「ありがとう、司堂さん」
やっぱり、みんな優しいな。
私も、みんなのような優しい人になりたかった。
そんな、卑屈な台詞を頭の中で呟きながら、
目の前にあるデスクトップを立ち上げた。
デスクトップ画面で昨日の私が残したタスクメモを確認すると、今日の午後から担当の著者と打ち合わせがあるらしい。
それを終えたら、来月刊行されるファッション雑誌の編集と企画書の作成に取り掛かる。
一秒でも早く終わらせて休みたいところだが、
今日も、帰れるのは終電ギリギリになるだろう。
自分で選んだ道とはいえ、食事が喉を通らなかったり、自宅のトイレで嘔吐する回数も増えて、体にまで不調が出始めているので、
司堂さんが言うように、本当に気をつけなければ…。
「言ノ葉さん、企画書の作成は終わった?」
「いえっ、まだです」
作業中にウトウトしていたら、
よりにもよって、社内一怖いと噂の金山に話しかけられてしまった。
この会社に入ってから二ヶ月後に、この人の怒声に耐えられなくなった同期の三人が退職している。
私も苦手なタイプなので、
出来れば、この人とは極力関わりたくない。
が、一応この人は編集デスクといわれる私たちを取り仕切る責任者なので、関わらない訳にはいかない。
ちなみに、同期の三人が辞めて九ヶ月経った。
そして、明後日にはクリスマスがある。
草木田さんが言っていたが、
今年は、例年よりも大掛かりな企画を執り行うので、忘年会のような社内のイベントはやらないそうだ。
「あまりこういう事は言いたくないけど、
期限は明日までだから、なるべく急いでね」
背筋が凍るような野太い声でそう言われ、
まだ手をつけるつもりがなかったのに、慌てて企画書のファイルを開いてしまった。
まるで、学校の鬼教師と、その鬼教師にサボっているところを見られてしまった生徒みたいだ。
それから、二時半まで作業を続け、
ようやく昼休憩に入ろうとした矢先に、
今度は常務の笠田さんに呼ばれ、訳も分からないまま社長室まで案内された。
「失礼します!」
社長室の扉を三回ノックしてから開けると、
私服姿の柳(やなぎ)社長が、
黒い革製の椅子に深々と腰掛けていた。
「やぁ、言ノ葉 陽葵くんだね?
君の事は君の上司から聞いているよ。
例えば、“金山くん”とかね」
「は、はいっ。
その、本日はどのような要件でよばれたのでしょうか?」
「君、少し休んだ方がいいよ。
自分の顔を鏡で見てみなよ」
最悪の結末を想像し、額から嫌な汗が滲む。
「はっきり言って、君はこの仕事向いてないよ。
そんなに無理されて、倒れたりなんかしたらウチらも困るんだよ」
一見、気遣ってくれているように思えるが、
自主退職させようという魂胆が透けて見える。
原因を問うことはできるだろうが、
何れにせよ、この様な事態になってしまった以上、解雇は避けられない。
けど、何れこうなる事は分かっていた。
入社して早々、私には無理だと気づいてしまった。
私自身も限界を感じていて、
社長の意見に反論できる状態じゃなかった。
社長に突きつけられた手鏡には、
目尻にシワがあり、目袋に濃いめのクマができていて、まだ二十代なのに、中年女性と間違えられても不思議ではないくらい酷い自分の姿があった。
「それは、どういう事でしょうか?」
「体調管理も自分でできなくてどうするのさ?
とにかく、君には暫くの間休んで貰うよ」
「そっ、それは…」
「ん?なにかあるのかい?」
「いえ、ありません…」
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
やっぱり私、もうダメかもしれません。
貴方たちが望む娘にはなりきれなかった。
歯を食いしばり、涙を堪え、
私は、なるべく平然を装いながら社長室を後にした。


二章:リグレットを許して(倉野 叶)
数年ぶりに故郷に帰ってきた。
帰ってからもそれなりに忙しい日々を送っていた。
今日の分の作業が終わったと思いきや、
次から次へと面倒事が増えていく。
人前で失敗を繰り返し、周りから嫌われ、
状況は変わっても、自分自身が変わるという事は無かった。
帰ってきても相変わらず独りだった。
環境が変わっても嫌な奴はいるし、
一応話せる人はいるものの、
所詮はその時だけの関係で、
帰宅した途端に虚しさが込み上げてくる。
結局私は、なんの為にここまで来たのか?
どうしてまだ生きているのか?
これからどうしていけばいいのか?
最近も、そんな事ばかり考えている。
早朝の満員電車に揺られながら、
くだらない妄想を延々としている。
孤独に耐えられず、道端で涙を流した。
公園で遊んでいた子供に見られたが、
お構い無しに大人気なく泣いた。
また選択を間違えてしまった。
そう思うのと同時に、
頭の中で過去の出来事がフラッシュバックした。
今の自分は幸せなのに、嬉しい事なのに、
毎日のように、満たされないと嘆いている。
私はたまに、自分が何者なのか分からなくなる時がある。
私の書いた物語は、どれもつまらないものだった。
話の軸が曖昧で、どれも似たような内容で、
自分語りが多く、場面の描写は適当だし、
登場人物の台詞に深みがある訳でもない。
本当に、ただ自分の為だけに書いた作品たち。
可哀想な子供たち。
自分の殻に閉じこもりながら、
自分を救う為に狭い部屋で書いた言葉も、
自分すら救えないまま塵となる。
生まれてきた事も、これまでの生き方も、
選んできた道も、選ばされた道も、
その全てが間違いだった。
それに気づいた時、私の中にある大事なモノが壊れる音がした。
目を閉じると、見渡す限りの荒地が見えた。
悪魔に敗けた獣たちの亡骸があった。
きっと、あれが私の成れの果てだ。
私が信じた光は嘘だったんだ。
昔はよく笑う子供だった。
周りからどんな言葉をかけられても平気だった。
けど、今では泣いてばかりで、
あの頃みたいに心から笑えない。
そして、嫌われる事が怖くなった。
嫌われないように、迷惑かけないようにと、
自分なりに頑張ってはみるが、
結局、最後の最後で墓穴を掘って、
みんな、私の前からいなくなる。
それの繰り返し。
そして私も、家族から、社会から、現実から、
何よりも自分自身から逃げ続けた。
その結果が今の私なんだ。
普通じゃない事は前から分かっていたけど、
全部疲れたよ。
もう、これ以上生きたくない。
今も尚、世界中で蔓延っている悲劇。
いい加減早く終わってよ。
時には痛みも必要だけど、
悲しみが余りにも多すぎるんだよ。
私だって、苦しいんだよ…。
助けて、陽葵…。
高校生の夏に陽葵とお揃いで買ったハート型のネックレスを握りしめながら、
私は静かに叫んだ。
………………………………
「こんな所にいた!けっこう探したんだよ〜」
「ひま…り?」
実家近くの
突然、私の前に陽葵が現れた。
高校の時とは随分と容姿が変わっていて、
最初は誰なのか分からなかったけど、
彼女が鞄から取り出したハート型のネックレスで、
陽葵だと直ぐに分かった。
「どうして、ここに?」
「多分、叶と同じ理由でここにいる」
「帰ってきてたんだ」
「何回も電話したのに出なかったから、
本当に心配したんだよ?」
「ごめん、去年の秋に電話番号変えたんだ」
「そっか」
「怒らないの?」
「怒らないよ。また会えたんだし」
お互いに話すこと自体久しぶりなので、
暫く、ぎこちない会話が続く。
会話が途切れたらまた別の話題へ、
互いの近況や、
今まで誰にも言えなかった心中を明かし、
話題が尽きそうになったら、
睨めっことかで場を持たせる。
だいたいそんな感じ。
「ねぇ、二人きりで何処かにいかない?」
「何処かって?」
「ここじゃない場所に行こうよ。
遠くじゃなくてもいいからさ、
人生最後の思い出作りをしようよ」
そう提案したのは、私の方だった。
「人生最後…いいと思う。
私も、これ以上生きるつもりはないし…」
陽葵は先月末に、新卒で入った会社を辞めたそうだ。
経緯からして明らかに不当解雇だが、
陽葵自身も、これ以上続けられないと言っていた。
それは仕方の無いことだし、
陽葵の全てを解って上げることは難しいけど、
例え、彼女を責める者がいたとしても、
少なからず、社会から逃げ続けてきた私よりも懸命に生きてきたんだ。
それなのに私は…。
「どうしたの?」
「なんでもない。
なんでもないけど、本当に陽葵に会いたかった。
前からずっと想い続けてきた。
だから、今日会えて凄く嬉しかった。
それが言いたかっただけ」
「何それ?私に恋してる?」
「ちっ、違うよぉ…」
現状が最悪であればあるほど、
そして、孤独感が増すほど、
過去の栄光や幸せだった思い出が眩しく見える。
そして、その光に手を伸ばすんだ。
絶対に届かないと知りつつも、
それに縋りたいと願うんだ。
陽葵にそれを伝えたかったんだけど、
急に恥ずかしくなって言うのを止めた。
「あ、もうこんな時間」
右腕に着けた腕時計を確認すると、短針がギリシャ数字の五(Ⅴ)を指していて、
気づけば、空が橙色の夕焼けに染まっていた。
夕焼けは幻想的で綺麗だが、今いる場所は街灯が少なく、
道に迷いやすいので、急いで駅に向かった方が良さそうだ。
「さて、そろそろ行こっか!」
「はーい」
目的地はだいたい決まっている。
二人でよく行った場所や、まだ行ったことがない場所、
今までよりも沢山の思い出を、
私たちにとって一番の思い出を作るんだ。
それが終わったら、この世界と私たちにサヨナラをしよう。
私たちは顔を合わせ、手を繋ぎながら夕陽を背に歩き出した。

END

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

深夜零時に月は咲く

閲覧数:18

投稿日:2024/04/26 07:46:58

文字数:5,790文字

カテゴリ:小説

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