注意書き
 これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
 アカイ視点で、外伝その四十五【正しい選択】から続いています。
 よって、それまでの話を読んでから、お読みください。


 【人間は不完全なもの】


 ハクから大事な話があると呼び出された時、実を言うと俺はかなり期待していた。ハクが俺を信頼して、本当のことを打ち明けて以来、俺たちの関係はかなり良好だった。これで、期待できない奴がいるとしたら、そいつは筋金入りの悲観主義者だ。
 先輩のところの夫婦の危機とか、突然のハクの一人暮らしとか、色々とあったが、それはこの際置いておくことにする。大事なのは自分の未来だ。
「大事な話って?」
 呼び出された喫茶店、向かいの席に座って、俺はハクが話をしてくれるのを待っていた。ハクは困っているような顔で、視線を彷徨わせている。きっと、切り出すのが照れくさいんだろう。ここは、待つのが男ってもんだ。
「あ……はい。ええと……」
 ……と思っていたが、なかなか話し始めてくれない。もごもごと口ごもっている。おーい。
「ハク?」
 俺が声をかけると、彷徨っていたハクの視線がこっちを向いた。
「あの、アカイさん。前に言ってくれましたよね。あたしとつきあいたいって」
 あらためてそう確認されると、なんか照れくさいな。
「……そうだよ」
 俺が肯定の返事をすると、ハクはちょっとためらってから、意を決した表情で口を開いた。
「あたし、ずっと、それに対する答えを保留にしてきました。でも、答えを出すことにしました」
 あ、やっぱり返事か。俺は姿勢を正した。……この年になっても、告白の返事を聞くというのは緊張する。
「あたし……アカイさんとおつきあいはできません。ごめんなさい」
 ハクの言葉を聞いた俺は、呆けたようにハクを見つめてしまった。何だって?
「……なんで?」
 この時、俺は頭の中が真っ白になっていた。ハクに言われた言葉が、あまりにも予想外だったから。俺はバカみたいな口調でそう言って、ハクの顔を見つめることしかできなかった。
「アカイさんは、普通の、ちゃんとした人です。将来が見込めないあたしとつきあったりなんかしたら、駄目です」
 ハクの言いたいことがよくわからない。
「どういうことだ?」
「だから、あたしとのつきあいは、先がないんです。……あたし、一生結婚しないつもりですから」
 聞き返した俺に、ハクはそんな返答をした。結婚? まだつきあってもいないのに、どうして結婚の話が出てくるんだ?
「別につきあうからといって、必ず結婚するというものでもないし……」
「アカイさんは、いい加減、結婚を前提にしたおつきあいをした方がいい年齢です」
 言いかけた俺を遮って、ハクは言葉を続けた。うーん……同い年のカイトは結婚を決めたし、先輩だって今の俺の年齢には結婚していた。でも、今の日本は晩婚化が進んでいるし、まだ急がなくてもいいと思うんだが……。
 俺が判断に困っているせいか、ハクはあれこれと説明を始めた。カイトが結婚する以上、俺の両親は、俺が結婚することを望んでいるだろうとか、しっかりした仕事をしている俺に対する両親の期待を裏切らせるわけにはいかないとか、そんな話だ。……確かにカゲ兄、下手すると一生独身で終わりそうだしな。でもなあ……両親の意向がそんなに大事か?
「つきあってみたら、ハクだって気が変わるかもしれないだろ。なんでそんな風に思うんだよ」
「幸せな結婚なんて、あたしにとっては夢物語です。あたしの家は、そういう家だから……姉さんですら、ああなりました。あたしじゃ、もっとひどいことになります」
 ああ、要するに、ハクはお姉さんが妙なことになったので、怯えてしまったのか。マイコ姉から概略は聞いているけど、かなり大変だったようだ。というか、今も大変で、ハクはそのせいで一人暮らしすることになったんだよな。俺は外野だから、そこら辺に口出しはしないことにしている。
 でも、ハクとお姉さんは違う人間じゃないか。俺とカゲ兄は、外見は似てても個性は全く違う。カイトのとこだってそうだ。そんなこと、気にしなくったっていいのに。
「だからさ、ハクはハクで、お姉さんはお姉さんだろ。共通点だってそんなになさそうだし……」
「同じ家で育ったんです、あたしたち。それに、あたし、姉さんよりずっとデキが悪かったんですよ」
 ハクの声は震えていた。一瞬言葉が詰まるが、続けようとしてみる。
「いや、だから……」
「だから、先のないあたしとアカイさんをつきあわせるわけにはいきません。アカイさんはいい人だから、きっと、あたしよりもずっといい人が見つかると思います」
 言いかけた俺をまた遮って、ハクはそう言った。震えたままの声で。……そして、立ち上がる。
「今まで……今まで、本当にありがとうございました。結論を出すのに、こんなに長くかかってしまってすみません」
 ハクは深々と頭を下げると、俺を残して行ってしまった。残された俺は何かすることも忘れて、ぼけっとハクが出て行った方を眺めていた。
 ……なんだよ、それ。


「アカイ、あんたってあたしが思っていたのよりもヘタレだったのね」
「どうしてそこで、俺の傷口に塩を擦り込むようなことを言うんだよ」
 ハクに振られてから数日後、俺は、マイコ姉の家に来ていた。仕事はもう終わったので、ハクも他のスタッフも帰宅してしまっており、いるのは俺とマイコ姉だけである。そしてついさっきまで、俺はマイコ姉に、ハクに振られた顛末を話していた。
「好きな子をぼけーっと見送ってるだけなんて、ヘタレ以外の何者でもないわ。そこはさあ、やっぱハクちゃんをがしっと抱きしめて、『行かないでくれ』とかやるとこじゃないの?」
「マイコ姉、映画の見過ぎ」
「あんたならそれくらいやるかなあと思ってたんだけど」
 軽い口調でそう言われ、俺の精神的疲労は増した。……やっぱ、ここに来たのは間違いだったか?
「で、あたしに何の用? 振られたから慰めてくれって?」
「俺がそんな用件で来るような奴に見える?」
 訊いてみると、マイコ姉は首を横に振った。わかってるんなら訊かないでくれよ。時間の無駄だろ。
 らしくない話だが、ハクに振られてしまったのは、かなりショックだった。ここ数日、何かあるとその時のことを思い出しては、気分が落ち込んでしまっている。あまりにも下降がひどいので、つい先輩のところまで押しかけて、愚痴ってしまったほどだった……我ながら大人げない。けど、先輩があの日ハクの家に来なければ、ハクもあんな結論にたどり着かなかったんじゃないのか、どうしても、そう思えてならなかったんだ。
 先輩というのは、まあ、できた人で、俺のこの言いがかりに近い愚痴を真面目に聞いてくれ、その上で「もう一度ぶつかってみろ」とアドバイスもしてくれた。で、そのアドバイスどおりにすることにしたのだが……ハクのところに無闇に押しかけても、なんだか前と同じ展開になりそうだ。そういうわけで、俺はマイコ姉のところに来たのだ。何をやるにせよ、事前の情報収集は大事だ。マイコ姉のことだから、もうちょっと何か聞いているかもしれない。
「俺はさ、どうにも、納得がいかなくて。だってさ、どう考えたって振られるような状況じゃなかったろ、俺たち」
 二人で遊びに行ったことだってあるし、ちゃんと仲良くしていた。実際かなりいい雰囲気で、それはカイトやメイコさんも認めていた。
「ええ、まあ、それはそうね」
「じゃ、なんでこうなるんだ」
 どうしても、そこだけが納得がいかない。
「ハクちゃんは、あんたの将来を心配したのよ。平たく言うと『あんたの為を思って身を引いた』の。わかってあげなさい、いじらしい女心って奴を」
「そんな女心はいらない……」
 そう言うと、マイコ姉は俺の頭をこつんと叩いた。俺の返答がお気に召さなかったらしい。
「アカイ……あのね、好きでもない相手の将来を心配する人間、いると思う?」
「多分、いない……え? なに? ハク、俺のことが好きなわけ?」
「当たり前でしょうが」
 どうしてそこでマイコ姉が断言するんだろう。……ひょっとして、相談でもしていたんだろうか。嬉しいような、嬉しくないような。
「だったら別れなんて切り出さなくても」
「何度言えばわかるのよ……自分が一緒にいたら、あんたの為にならないと思ったのよ。結婚しない予定の自分とつきあわせて、あんたの時間を無駄にさせるわけにはいかないってこと」
 俺はため息をついて、頭をかいた。ハクが俺のことを好いていてくれたのは嬉しいが、こんな結論にたどり着かれてしまうとは……。
「えーと、つまり、ハクが俺と結婚してくれる気になればいいってこと?」
「大雑把に言えば、そうね。でもアカイ、あんたハクちゃんと結婚する気あるの?」
 俺は返答に困ってしまった。俺としても「いずれは結婚して子供を作りたい」という気持ちはある。だが、ハクと結婚する? なんだか、イメージが沸いてこない。
「ピンと来ない……」
 俺がそう答えると、マイコ姉はきゅっと眉を寄せた。そして、呆れた声でこう言う。
「アカイの根性無し」
「マイコ姉っ!」
 さすがに、今のはカチンと来たぞ。
「結婚なんて、すぐに答えだせるわけないだろ!」
「あんた、ハクちゃんと仲良くなって結構経つでしょ。ハクちゃんを人生のパートナーとしてどうだろうか、とか、一度も考えたことないの?」
 人生のパートナー……なんか急に重い言葉がでてきたな。俺がそう思ったのが伝わったのだろうか。俺が何か言うより先に、マイコ姉は言葉を開いた。
「アカイ……あんたが単純明快な人間だってことはよくわかってるし、場合によってはそれが強みになるのも知ってる。でもね、ハクちゃんは、結婚生活が破綻した家庭で育ってるの。そして今、お姉さんの結婚生活が破綻しかけて、強い危機感を抱いてもいる」
 ああ、先輩とハクのお姉さん、ややこしいことになったもんなあ。なんか、ハクのお姉さんは心の病気になってしまったんだとか。それで現在、ハクのお姉さんはお母さんと一緒に暮らすことになって、ハクは代わりに家を出てしまった。お姉さんと一緒に暮らすのは嫌だって。ハクがものすごくお姉さんを苦手としているのはよくわかっているので、俺は一人立ちには全面的に賛成した。
 ハクのお姉さん、この先どうするんだろう? 先輩は離婚はしないと決めているようだが……二人が一緒に暮らせるかどうかは、わからないらしい。そもそも、なんで鬱病なんかになったんだ? マイコ姉は「自分の心を殺して生きるのにも、限りってものがあるのよ」とか言ってたけど、俺には意味がよくわからない。というか、ハクは自分の心を殺してないよな?
「ハクは少なくとも、お姉さんよりは自分を出せてると思うけどなあ」
「ま、そりゃ、お姉さんよりはね。でも、あのお姉さんと比較しても、仕方がないでしょ」
 またよくわからない返答が返ってきた。結局、ハクには不安材料が残っているってことか?
「ハクがお姉さんと同じ轍を踏まないようにする方法って、ある?」
 マイコ姉でもこんなのわからないような気もするが、一応訊いてみることにする。
「難しいけど……一個だけ、ハクちゃんに有利な点もあるわね」
「有利な点って?」
「後から来る人間には、前の人間がたどった道が見えている。だから『こうすれば失敗する』という予測をつけやすいの」
 要するに、ハクがお姉さんと同じ行動を取らなければいいってことか? いや、でもなあ……。
「ハクが結婚しないという結論に達したの、それが理由だろ?」
 有利もへったくれもないような気が。
「ええ。だからハクちゃんは失敗しないように『結婚しない』という選択肢を選んだ。でも、道は一つじゃないわ。だから、失敗しない別の道だって、あるかもしれないでしょ」
 そう言って、マイコ姉はひらひらと手を振った。
「ま、頑張りなさい。もしハクちゃんが何がなんでもあんたとは結婚しないという選択肢を選んだとしても、あたしが面倒見るから」
「……なんだよそれ」
「ん~、ハクちゃん、あたしとだったら結婚する気になるかもしれないし」
 マイコ姉は笑顔で、とんでもないことを言い出した。さすがの俺も絶句する。
「ちょっと待て! マイコ姉は女だろっ!」
「あたし、戸籍の上では男なのよ。だから、ハクちゃんと結婚しようと思えば、できるわよ」
 結婚なんて書類一枚だしねえ、と笑いながらマイコ姉が言う。……背筋が寒くなってきた。
「ハクちゃん、あたしのことはよく知ってるし~。案外、普通の結婚じゃない方が承諾しやすいかもね」
 冗談じゃないそんなの認めるもんか。俺は「ハクに手出ししたら許さないっ!」と言って、マイコ姉の家を後にした。背中にマイコ姉の「頑張れ~」という、なんだか無責任な声を受けて。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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ロミオとシンデレラ 外伝その四十六【人間は不完全なもの】前編

閲覧数:488

投稿日:2012/12/17 00:55:58

文字数:5,300文字

カテゴリ:小説

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