『あなた好みかは分かりませんが、私としては楽しんで頂けるのではないかと思います。ぜひいらしてください。お待ちしております。』



<タイトルロール.1>



 私が住んでいるのは、山の麓の深い森に接した小さな村。平和で、穏やかで、贔屓目に見ても綺麗な村だと思う。
 村の人たちの生活を支えるのは農業。といっても、小さな畑のひとつでもきっちり管理できていれば生きていけるのだから、皆大がかりなことはしようとしない。唯一、村長さんの家で牧畜のようなことをしているくらいだろうか。考えてみれば、驚くほどに大人しい暮らし方だと思う。

 ここは野心の香りさえない、静かな世界だ。
 静かで穏やかで、―――退屈な世界。

 日光が差し込む窓辺で、私はぼんやりと自分の髪を弄っていた。
 母さん譲りの髪は森の若草の色をしていて、それが少しだけ自慢だったりする。余り触ると傷んでしまうのは分かっていても、今のように母さんが何日もいない日が続いているとついつい指に絡めてしまう。
 もしかしたら、母さんを重ねて見ているのかな。…私ももう十六、母さんがいないと淋しがるような子供じゃないつもりなんだけど。
 ふう、と口から漏れた息を振り払うようにして、立ち上がる。もうすぐお昼だし、ご飯を用意しなくちゃ。それが終わったら、重音さんの家に届けるフランスパンを確認しておこう。夕方届ける、と言っておいたけれど、早く行くに越したことはない。

 だって、あの家に行くには森を通らなければいけないんだから。



 私達は、村の三方を囲むように存在している森を畏れるとともに恐れている。
 森は昼なお暗き獣の住処。村外の人間が住んでいるという話を聞かないのは、つまり、それだけ危険だということだ。
 狼などの危険な獣についてはあまりに増えすぎたときだけ狩っているけれど、ほぼ野放し状態だ。
 だからなのだろう。私の祖母のように、森に入ったまま帰ってこない人というのも珍しくない。
 一応道は作られていて、そこを辿れば危険ではない筈だけれど、道を外れて野草を取りにいくことなんてしょっちゅうあるし…まあ、それは自己責任だということに意見は纏まっている。
 余り深くにさえ立ち入らなければ、森は恵みをもたらしてくれる大切な隣人だ。

 特に何を思うでもなく、用意しておいたサンドイッチを食べる。サンドイッチのパンが少しかさついているのは仕方がない、だって昨日作ったものだし。自分一人しかいないと思うと、料理を作るのにも今一つ気合いが入らない。…母さん、早く帰ってこないかな。そしたらごちそうを作るだけの気合いも出るのに。

 一人でいるときの家は、驚くほど静かだ。
 ネルやハクといった仲の良い子達を呼んで遊ぼうかとしばらく考えてみたけれど、結局止めることにした。
 今日はパンを届けるというお仕事もあるし、一人でいるのも嫌いじゃない。それに母さんはあと三日は隣村の仕事から帰ってこないだろうから、友達を呼ぶのはもっと寂しくなったときでもいいだろう。
 ぼんやりしながら、無意識にポケットに手を入れる。
 指先に微かに触れる紙の感触に少しだけ気分が軽くなるのを感じながら、私はそれを丁寧にポケットから引き出した。

 それは、ついこの間物置のなかで見つけた手紙。箱と箱の隙間に落ちていたそれは、遥か昔に書かれたことを示すかのように黄ばみ、強張っていた。
 宛先の名もないため、誰から誰に送られた手紙なのかは分からない。
 少なくとも、私も母さんも心当たりはなかった。母さんは「こんなのあったかしら?」なんて言うくらいだったし、そもそも私の知る限りこんな手紙をくれるような知り合いはいない。皆、この小さな村と似たり寄ったりの生活をしている人ばかりなのだから。
 そして、母さんの時代より更に前の話なら、もう確かめる術はない。祖父は死に、父さんと祖母は行方不明。
 父さんは山に入り、祖母は森に向かい、遂に帰ってくることはなかった。恐らく崖から落ちたか獣に食われたか―――どちらも弔うべき肉体の欠片すら手元に戻らず、私達遺された家族は二度とも空の墓に花を手向けた。
 どちらの時も、涙はなかった。だって実感が伴っていなかったから、悲しむことが出来なかった。

 それらも、今となっては遠い記憶となってしまった。
 今はなんとなく納得できているものの、この目で死を見届けた祖父の場合と比べてみれば感情の生々しさには大きな開きがある。
「…」
 私は無言のまま、手にしたものを眺めた。

 繊細な縁取りと優雅な文字。
 丁寧に綴られているのは観劇のお誘い。
 この手紙を見つけたのはついこの間のことだ。捨てようとしたけれど、出来なかった。この手紙の全てに私達には縁のない華やかな世界を感じて、なんとなく手元に置いておきたいと思ったから。

 華やかで、劇的で、怠惰な香り。

 ―――いいなあ。

 自然と唇からため息が漏れる。
 羨ましい。一度でいいから、私もそんな世界に身を浸してみたい。
 別に今のこの生活が嫌だという訳じゃない。どちらかと言えば、穏やかで暖かな毎日は好きな位だ。
 だけど、かわり映えのない平穏すぎる日々が嫌になることがある。
 ここでないどこかで、お伽噺のような冒険をしてみたい。魔法のような経験をしてみたい。…よくある無い物ねだりだと分かっているけれど、だからこそ非日常の欠片を手放すことは出来なかった。そして、あてどもない空想にふける。

 もしかしたら、私にも将来大きな町で暮らす機会が来るかもしれない。そうしたら、村長さんの家よりもずっと豪華な家を見られるだろう。きれいな服や珍しい食べ物に触れることもできるだろう。
 学もつてもない私には、それすらも夢に過ぎないのだろうけれど、願い続けていればいつか叶うんじゃないか、なんて甘ったるい空想を振り払うことは出来なかった。
 だってほら、夢見てこその夢だもの。叶わなくたって、思うだけでも幸せなんだから…だから、今くらいはお話のヒロインみたいな未来を描いていたい。
 沈みがちになる気分を頭の隅に追いやって、手紙の文字を目で追い、指でなぞり、

「…あれ」

 ―――そこで私はおかしなことに気付いた。

 確認のため、封筒の中を覗く。空だ。
 ということはやはり、この手紙はこれで完結しているのだろう。冒頭の挨拶も結びの言葉もあるし、間の便箋が抜けているという様子もない。
 だけど。

 …この手紙、中身がからっぽ…?

 何度読み返しても、そこには日付も、時間も、演目も記されていなかった。
 丁寧で美しい言葉の飾りを取り除けてみれば、ただ繰り返し招待の言葉が綴られているだけ。
 そう、執拗なまでに。
 詳細が別の紙に書かれていて、その紙が何かの折に失われたのだとしてもやけに不自然だ。「お楽しみ頂けると思います」「ぜひお越しください」という内容以外を意識して書かないようにしている、と判断してもおかしくないほどに。
「…変なの」
 その時、私は初めてその手紙に対して気味の悪さを感じた。
 けれどそれはごく薄い感覚で、あっという間に日常の空気の中に溶けて消えてしまう。

 だから、私は気付けなかった。

 宛先も差出人も分からない、私達の家には相応しくない招待状。そして、古いもののはずなのに、母さんが知らなかったということ。ぺらぺらの中身と繰り返される招きの言葉。


 それらが異様に現実離れしていて、いかにも造られた―――小道具じみている、ということに。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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タイトルロール.1

珍しくミクちゃん主人公です。
そして説明回。
次からは皆出てきてにぎやかになる予定です!まあでも一晩のお話なので、そんなに長くはならないはず。

閲覧数:561

投稿日:2012/03/23 16:27:41

文字数:3,111文字

カテゴリ:小説

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