身に覚えのない森にいた。

木々の葉は多くが枯れ落ち、とても5月初めの季節とは思えない死んだような森。
近くには湖のような大きな水溜りがあって、壊れた電化製品や自転車などの違法投棄物が堆積している。
枯れた木々には数匹の烏が留まり、時折羽をバタつかせてはカァカァと悲鳴のような鳴き声を発した。
身に覚えのない場所ではあったが不思議とこの場所にいる事に違和感はなく、頭痛もいつの間にか消え失せている。

死後の世界。

そんな言葉が頭を過った。
突発的な頭痛に倒れてからの記憶はないが、脳内気管の急性症状で突然死という事だって大いにあるのだ。
自分自身がそうなっていないなんて誰に証明できるだろう。
一番怖いのは、そう思った所で自分でも驚くくらいに精神は安定していて、仮にそうだったとしたら栄枯盛衰とでも言いたげに、割りと受け入れてしまうんだろうなとぼんやり思っている自分自身である。

木枯らしと共に烏どもが一斉に羽根を散らす。
飛び立った木々の先。
ふと見れば、一人の子供が縫いぐるみを引きづりながら、こちらとは反対対面側の水溜りの岸を歩いているではないか。

「とーりゃんせー、とーりゃんせー。」

陽気に歌っている子供は全く俺に気付いてる様子はない。
白いローブを身にまとい、はたから見れば小学校の学芸会の衣装のような風貌である。
その子供が引きずる縫いぐるみは泥だらけで素が何色か分からないほど変色しているが形からしてウサギの縫いぐるみであろう。長い耳のようなものを握り締めた子供はノタノタと歩いている。

子供は水溜りの岸辺に着くや否や、そのうさぎの縫いぐるみの耳の部分を掴んだまま、おもむろに振り回したかと思えば、そのまま水溜りへと放り込んでしまった。

「おい、こらクソガキ!」

と、咄嗟の事に思わず叫んでしまっている自分自身に俺自身面食らった。

先の自転車やら電子レンジやらはこの子が捨てていたのだろうか。
体力を考えれば少し無理があるだろうが、いずれにしろ此処をゴミ捨て場と勘違いしているのなら正すべきだろう。
まして子供が縫いぐるみを自分で捨てるなんて事はきっと教育上よろしくない理由があるに決まっているのだ。

叫んだ言葉がその子供に届いたのかは分からないがその子供は固まったまま理解出来ないと言った様子でこちらを見つめている。

しまったと思った。

ここはどこなのか。
子供は何者でここで何をしているのか。
子供から事情を聞けば現在の状況を打開する手掛かりになるじゃないか。

当然、カミナリを食らった子供の行動なんて火を見るより明らかで、自己の防衛反応に従順な子供は当然逃げてしまうだろう。
「待って、逃げないで」などと必死に取り繕いながらも、俺は慌てて子供に駆け寄った。
慌てていたせいか、最短距離を行こうと水溜りに入ってしまったが、これがあまりよくなかった。
水溜りの中は意外にも深く、相当ぬかるんでいて思うように進めない。

そうこうしている内、走り出した子供の後ろ姿が森の木々に隠れて見えなくなった。
周囲を見回してもそれらしい影はない。
一気に脱力の一途を辿った。

「失敗した。」

などと、口をついたところで後の祭りである。後先考えずに発言するのは達樹先輩の先輩の専売特許だったはずなのに、行き当りばったりな行動で八方塞りになるのは何時ぶりだろう。

加えて言えば、水溜りに入ったせいで下半身は泥と枯葉で相当汚れてしまっている他、パンツまでぐちょぐちょだ。

俺は敗残兵の如く元の岸辺へと戻ると脱力のあまり糸の切れた操り人形のようにその場に膝を折った。
べちゃりした音と共に吹き付ける風が確実に体温を奪っている。
死後の世界とは言え再び死ぬことはあるんだろうか。
景色は変わらず、見覚えない森に一人ぼっち。
震えた身体を思えばスタートラインよりも状況は悪化している。
悔やまれるのはあの子供を逃してしまったこと。
自分の失態には、もはや溜息しかでない。

「はぁ、あいつは一体何だったんだろう。」

心の声が漏れたかと思えた自分の声は妙に甲高く、まるで小さな女の子のようだった。

疲れているのだろう。
あまりに自分のイメージの声とかけ離れた声のギャップに自分自身驚いてしまう。
そもそもここは夢みたいなものだ。
死後の世界では自分が一番良かったと思う歳に戻る事ができるとか言うし。
俺自身、子供化してたりしてな。
などと自分の思考の中で軽い冗談を交えつつも喉に手をあてて自分の声帯を確認する。

「何だったんだろう?」
「何だったんだろう。」
「将来が不安になりそうなちっこいクソガキ?」
「子供を怒鳴り付けるロリコンの性犯罪者。」

うん?
俺は今、自分の裏声と罵詈雑言で会話をした気がした。
幻聴が聞こえるのは疲れているせいなのか。
それとも死後の世界ではそれが普通なのか?
もしこれが夢の世界だとして意志を持った自分の裏声が社会的に自分を貶める自己評価を下すというのはフロイト的に言ってどういう精神状態なのだろう。
って、違うだろ、俺。
ここでの問題視すべきは裏声に俺とは別の意思があるってことだ。

ふと見れば、同じように喉に手を当てたさっきの子供が、これもまた同じように目を丸くして俺を見ていたのだった。

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【小説】常識科学の魔法学17

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投稿日:2020/02/09 00:29:23

文字数:2,181文字

カテゴリ:小説

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