弱音が乗り換えに使っているという大きめの駅まで一緒に行って――マイコ姉の最寄り駅の近辺、ろくな店がないんだ――手ごろなイタリアンの店に入る。ピザとパスタ、もう夜だしということでワインも頼んだ。
「弱音は飲めるの?」
「ええ、まあ。マイコ先生につきあって、飲みに行ったことありますし」
 マイコ姉はかなりの酒豪だ。それにつきあえるっていうのなら、潰れる心配はしなくていいだろうな。
「……あの」
 俺がマイコ姉のことを考えていると、弱音が声をかけてきた。
「うん?」
「この前、アカイさんが行ってきた結婚式の写真というのを、マイコ先生に見せてもらったんですけど……」
 ああ、あれか。神威先輩……婿入りしたから苗字変わったんだっけ。まあいいや、先輩は先輩だ。とにかく先輩の結婚式に呼ばれたって言ったら、マイコ姉から写真撮ってきてくれって頼まれたんだ。結婚式なら綺麗な格好の人がいっぱいくるだろうからって。だから言われたとおりに写真撮って、マイコ姉に渡したんだよな。ウェディングドレスの花嫁は、確実に全身像を撮って来いとか注文までついてた。おかげで先輩に呆れられたぞ。
 それにしてもマイコ姉、それって職場で回し見するものなのか? 俺にはわからん。
「ああ、先輩の結婚式ね。それがどうかした?」
「あの……お式、どうでしたか?」
 結婚式というものに、女性は根本的に惹かれるものらしい。えーと、式ね……。
「あの先輩は大きな会社の社長の息子で、同じぐらいの会社の跡取り娘さんのところに婿に入ったから、でかい会場でゲストもたくさんで、すごい豪華な式だった。料理も美味かったし。さすが一流ホテル」
 俺がそう言うと、弱音は唖然とした表情でまばたきをした。俺、変なこと言ったか?
「え、えーと……それだけですか?」
「それだけって……」
 結婚式の一番の関心なんて料理以外に何があるんだ。自分のならともかく、人のだぞ。
「会場の飾り付けとかゴージャスだったけど、ほとんど注意して見てなかったし。花とかもらって帰っていた人いたけど、俺そういう趣味ないし」
 もらって帰ったってゴミになるだけだしなあ。引き出物はカタログギフトだったから、母親に渡して「適当なの、頼んどいて」で終わっちゃったし。
「そういうことじゃなくて……何か、変なことがなかったかなって……」
 変なこと? なんかあったかな……あ、そうだ。
「二次会がなかった」
「はい?」
「だから、やらなかったんだよ、二次会。ほら、普通は友達だけで集まって二次会やるだろ。会費制の気楽なパーティーとかをさ。あれがなかった」
 サークル仲間にはがっくり来ていた奴もいたっけ。俺はあんまり興味がなかったから、気にならなかったけど。
「なんでなかったんですか?」
「さあ。多分、先輩が忙しかったんじゃないの? あんなでかいとこだし、前後のあれこれとかだけで手一杯で、二次会まで開いてる余裕なんてなかったんじゃないのかな。新婦の友達とお近づきになりたかったのに、とかぼやいてる奴いたけど。俺は興味なかったし」
 最後のは、暗に「君と仲良くなりたいから」という意味あいが籠もっているんだが、弱音には伝わっていないようだった。なんだか深刻な顔で考え込んでいる。……なんだよ?
 というか、なんで先輩の結婚式になんか関心を持つんだ。あ、もしかして。
「玉の輿に乗りたいとか、考えてる?」
 派手な結婚式の写真見て、あれに憧れてしまったとか。ありえそうで怖い。
「え? いいえ、そんな……」
 弱音は首を横に振った。違うんだ。少しほっとする。玉の輿願望が強かったら、俺は相手にしてもらえないじゃないか。
「じゃあ、将来はあんな結婚式をあげたいとか……」
「……あたしは、結婚なんてしません」
 淡々とした口調で言われてしまい、俺は言葉を失った。何だそれ?
「結婚しないって……」
 もちろん、人には色々な考えがある。結婚するとかしないとか、それは個人の問題だ。けど……。想っている相手から、こうきっぱり言い切られてしまうと、さすがぎょっとなってしまう。いやもちろん俺たちはつきあってすらいないし! 俺だって結婚なんてまだ先だし! でも、ショックなもんはショックなんだ。
「結婚が幸せにつながるとは思えないんです」
 弱音は引き続き、淡々とした口調でそう言った。
「……そうか?」
 少なくとも神威先輩は、相手を幸せにしたいって言っていた。お相手の方とは話をしてないから、結婚をどう考えているのかは知らないけど。
「結婚で幸せになれる人はいるでしょう。……例えば、メイコ先輩なら、結婚して幸せになれると思います。でもあたしは無理」
 俺は頬杖をついた。なんで弱音は、そんな悲観的なんだ?
「だから、あたしは一生結婚なんてしないつもりです」
「決めつけるなよ」
 俺がそう言うと、弱音はむっとした表情で俺を睨んだ。
「アカイさんは、あたしの事情を知らないからそういうことが言えるんです」
「そりゃ知らないよ。話してもらってないことを理解できるような、そんな超能力持ちあわせてないし」
 わかれ、わかれって言われたって、話してもらえないことはわからない。
「けど、人生長いんだから、この先何があるかなんてわからないだろ。自分から可能性狭めなくても」
 弱音は悲痛な表情で下を向いてしまった。……どうなってんだ。
「アカイさんって、やっぱりマイコ先生の親戚ですね」
 なんでそこでマイコ姉が出てくるんだ?
「マイコ姉が、どうかしたか?」
「……同じようなこと、言われました」
 嬉しいような嬉しくないような……。一体何がどうなっているんだろう。というかマイコ姉か……。
 ちょっと待てよ。マイコ姉がそういう話をしたということは、弱音も、自分の考えが短絡的だということには気づいているんだ。
「……ま、さっきも言ったけど、人生は長いんだし、決めつけなくてもいいよ。生きてれば何かしらいいことあるって」
 はい、とぼそぼそと答えて、弱音はワインを飲み干した。頬が少し赤くなっている。
「で、事情って?」
 会話が途切れたので、気まずい雰囲気になってしまった。何とか話を続けようとしてみる。
「え?」
「だから、弱音の事情」
 どうせなら知りたいよ。なんでそんなことになってるのか。
「大したことじゃないんです……信じていた人に裏切られただけで」
 いや、それは充分大したことだろ。信じていた人って……まさか例の、トラウマになっている失恋のことか?
「裏切られたって……」
「……あたし、その人のことがすごく大事だったんです。そして、向こうも同じくらい、あたしのことを大切だと想っているって、そう、信じていました。でも、違ったんです」
 ヘヴィーな話だ。俺は自分もワインを飲みつつ、そんなことを考えた。というか、どれだけゴミなんだ、その男は。
「忘れろよ、そんなの」
 いつまでも憶えていても、何の役にも立たないだろう。
「でも……」
「いいから忘れろって。憶えてたって、何の役にも立たないだろ」
 弱音は黙ってグラスを見つめている。これは、もしかして……。
「……もしかして、まだ好きとか?」
 弱音は複雑な表情で、下を向いてしまった。……げ、図星みたいだ。
「あたしにもわからないんです……あたしにとってその人は本当にものすごく大切だったから。その人があたしを大事に想ってなかったことはすごくショックなんですけど……その人のことを大切に想っていた昔の自分のことを想うと、なんだか変な気持ちになるんです……」
 消え入るような声だった。俺はこめかみをもみつつ、どうしたものかと考える。こうして差し向かいで話ができて、色々聞けたのは確かに幸運だ。でも、こんな話を聞かされてしまうと……。
「マイコ姉はなんて言ってるんだ?」
 ずるいかなと考えつつ、俺はそう訊いてみた。あのマイコ姉が、何も言わないってのは考えにくい。
「マイコ先生ですか? とにかく、やれることからやりなさいって、そう言われました。力になれることならなってあげるからって」
 自然回復を待つってことか。うーん、それしかないのか? でも、それって、まだるっこしいよなあ。失恋に効く特効薬ってのが、あればいいのに。
 というか、それって大分前のことだよな。それなのに、まだ引きずっているのか。
「そいつ、そんなひどい奴だったの?」
「……あたしは、そう思ってませんでした。でも、メイコ先輩はそう思ってたようです」
 ふーん、ミス・ガーディアンからすると、そいつはろくでなしというのは一目瞭然だったってことか。あの人おっかなそうだけど、カイトと上手にやっているということは、中身はしっかりしてるはずだ。そのミス・ガーディアンがそう言うってことは……やっぱりどうしようもないダメ男なんだろう。
 けど、この分だと弱音も、そいつがひどい奴だということは理解はしているのかな。理解はしてるけど、感情がついていかないだけで。
 あ~、駄目だ。俺は間違っても頭のいい方じゃないから、適切な言葉ってのが出てこない。言えるとしたらさっきのように「そんなゴミのことは早く忘れろ」ぐらいで。でもそんなゴミでも、大事な思い出(ムカツクけど)とやらなのか。
 面白くないのでワインを空ける。あ、ボトルが空になってしまった。ウェイトレスを呼んで、もう一本追加を頼む。
「本当に大事な人だったんです。すごく大事……なのに……」
 ぼそぼそ言いながら、弱音は新しいワインを飲み始めた。俺も飲む。うーん、ワインじゃ物足りない……。

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ロミオとシンデレラ 外伝その二十九【その心の中に】中編

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投稿日:2012/06/23 19:15:27

文字数:3,938文字

カテゴリ:小説

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