「マスター・・・・・・ネルいつ帰って来るんだよ。」
リビングのソファーに座って新聞を広げていると、ふとそんな問いかけが耳に入る。
声の方を見やると、赤い髪の青年が元気のない表情で立っていた。
「心配するなアカイト。今は少し辛い状態だが、落ち着いたところを見計らって連れ戻しに行くさ。」
「見計らってつったって、あいつ、雑音ミクとか言うやつの家にいるんだろ?」
「ああ。彼女のことならよく知ってる。面倒見がいいからネルのことをよく見守っていてくれるだろう。」
「ホントかよ・・・・・・?」
「ああ。」
その言葉を聞くと、彼は黙って荒々しく俺の隣に座った。
「・・・・・・心配、してるのか。」
「・・・・・・まぁな。俺のせいだし。」
彼はネルがいなくなった件について最も責任を感じているはずだ。
なぜなら事の発端は、彼との口論であるからだ。
ネルは、ファーストシリーズである初音ミク、鏡音リン、鏡音レンなどに人気を押され、業界での需要が薄れていってしまった。
そして五ヶ月前、遂に歌手活動を停止した。
その後はこの居住住宅で生活していたがマスターである俺とも、良き理解者であるハクとも会話ができなくなってしまった。
最も、皆の状態を見守らなければならない俺はネル一人に構っていられることはできず、ハクは歌手以外にファーストシリーズのメイコとモデル活動をしているので平日の帰宅はいつも深夜である。
そして、三日前。アカイトがネルの身を案じて何かを発言したらしい。
しかしそれはネルの怒りを買い、言い争いに発展した。
それの末に、ネルは居住住宅を飛び出してしまった。
あの後、皆でこの広大な水面都を探し回ったが誰一人として見つけることができなかった。
しかし、そのとき彼女を発見した一人がいる。
雑音ミクである。
ハクが携帯電話で連絡を入れてきたのだ。
そして成り行きで雑音ミクの家、網走博貴博士の家に留まっている。
これがネルの精神に好影響をもたらせられればそれに越したことはないが、
同時に俺の目の届かない場所にいると言うことでもある。
しかし俺が応じても彼女は心を開いてくれはしなかった。
頼みの綱は・・・・・・。
「マスター・・・。ハクお姉ちゃんどこに言ったの?」
今度は正面から少女の声。
新聞を畳むと、目の前に青い髪の小柄な少女がいた。
「カイコ・・・。」
「今日は、お仕事ないよね?」
「ああ、今ね、ネルのところに行ったんだ。一緒に帰るって言ってたよ。」
「本当?!」
カイコは目を輝かせた。
「分からないけど・・・・・・ハクのことだから、きっとネルを連れ帰ってきてくれると思う。」
「・・・・・・だといいなぁ・・・・・・。」
元気のない言葉。それだけを残し、カイコは自室に戻っていった。
しばらくすると、アカイトもソファーから腰を上げ、自室へ向かっていった。
取り残された俺は、何気に煙草とライターを手に取ると、ベランダに向かった。
ベランダに出ると、一月半ばの肌寒い風が俺の体を包み込んだ。
だが、去年よりは随分と暖かくなった気がする。
俺は煙草に火をつけ、一服しながら晴れ晴れとした空の下にある水面都を一筋の煙越しに傍観していた。
ここの環境は快適であり、便利。一言で括れば最高だ。
山腹であり、都心部からそう離れていない。
俗世間から離れた山の中でありながら、仕事場であるピアプロダクションまで徒歩三十分足らず。
そしてこのベランダからは、数百万人が各々の生活を営む、日本最後にして最大の都市、水面都が一望できる。
俺はここで、セカンドシリーズの四人のマスターとして皆と生活を営んでいる。
仕事場ではプロデューサーとして、
ここでは、まるで父親のような存在。
では皆は、家族か。
その時、煙草の先端の灰が力尽きたように崩れ落ちた瞬間、気付いた。
この家でこうして一人でいることは、初めてであるということを。
隣には、誰もいない。
口腔の中に残ったシガー系の甘味を吟味しながら、俺は寂しさをもかみ締めていた・・・・・・・・・。
ネルがベッドから起きてくれるようになった。
今ソファーに座ってテレビを見ている。
だけど、笑ったり、楽しそうにしているように見えない。
何も考えてないみたいに・・・・・・。
今日は土日で仕事はないから、できるだけネルの近くにいようと思った。
でも隣に座っても、ただじっとしているだけ。
話しかけても、『うん』としか答えてくれない。
近くにいるのに・・・・・・遠い気がする・・・・・・。
ネルはテレビを見終わると、はぁ、とため息をついた。
そしてそのままソファーにもたれかかった。
言わないと・・・・・・そうだ・・・・・・言わないと・・・・・・。
「・・・・・・ネル。」
「・・・・・・なに?」
胸が・・・・・・。
「あの・・・・・・。」
「・・・・・・・・?」
どうしよう・・・・・・でも・・・・・・。
「いつまで・・・・・・ここにいるんだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
言ってしまった・・・・・・・。
でも、いつかは言わないといけないと思ってた。
ネルは一人じゃない・・・・・・仲間達がいるんだ。
だから、帰してあげないと、みんなのところに。
わたしがネルにいてほしいなんて、自分勝手なわがままだ。
それでも・・・・・・。
「あたし、邪魔?」
「そんなことない。そんなことないんだ。ただ・・・・・・敏弘さんもみんなも、心配してると思ってだから・・・・・・。」
「別にいいし。あんなやつら。」
「・・・・・・。」
「出て行ったほうがいい?」
「わたしは・・・・・・。」
言葉が出ない。
胸が・・・・・・・。
「本当は・・・・・・。」
言おう・・・・・・。
「ここにいてほしい。」
「雑音・・・・・・。」
わたしとネルは見つめあった。
辺りが、静かになった。
ネルがどんなことを言うか、待ち遠しくて、
こわかった。
「あたしも・・・・・・ちょうどここにいたいって思ってたから。」
「ネル・・・・・・!」
胸の苦しさが、抜けていくのが分かった。
「じゃあ、ここにいてくれるんだな?!」
思わず大きな声を出してしまった。
そして、手を握ってしまった!
「ま、まぁ他にいく当てもないし・・・・・・。」
「ありがとう・・・・・・!」
「え・・・・・・でもどうしてあたしなんか・・・・・・何にもしてなくて、ただ邪魔なだけなのに・・・・・・。」
「いいんだ。ネルは、わたしの作った料理、おいしいって言ってくれたし、それで、それで・・・・・・嬉しくて・・・・・・。」
どうしてだろう。
言葉がうまく続かない。
「あたしも・・・・・・嬉しかった・・・・・・ありがとう。」
そうい言いながらネルは顔を背けた。
そのときのネルの顔はちょっと赤くなっていた気がした。
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