■エネの電脳紀行 8月14日 14:00~ 『電脳世界』内
目を覚ますと、私はホルマリンで満たされた丸い筒状の水槽の中に浮いていた。
私の浸かっている液体には、何か特殊な成分が含まれているようで、例えば『塩酸』に身体が触れた時にぬるぬるとぬめって身体自体が溶けていく感じとはまた違う融解の感触、私の意識や精神と呼ばれる物、私という『自我』を形成している物が、まるで綿菓子を千切るように少しずつ千切られ、別の場所に移されていく感覚を受けた。
それは、私の精神が『奪い取られていく』感覚だ。私はとてもその感覚に抗う事が出来ず、段々と周囲の認識が薄れ、視界が暗くなってく様をどうしようもないまま感じているよりなかった。
『現実』とはまた違う『世界』に移された時、私の『精神』は身体の再構築を求めた。私はその時、最も強く意識に焼き付いていた、ルナの哀しみの表情をただ思い浮かべる。
そして、次にはっきりと私が目を覚ました時には、そこは端末――パソコンのディスプレイの中であり、画面の向こう側で現実の私の身体が水槽に浮かんでいた。その脇には、『医療ドラマ』や『病死系ドラマ』でお馴染み、心電図が置かれており、またまたお馴染みのあの『ピ――――』という音を立て続けている。
余りにも奇異な事態に、私は失笑してしまいそうな感覚に襲われる。
『意識』だけを切り離された私は、『現実』の私の死を直視させられていた。
続けて、画面の前に年若い『白衣の科学者』が現れ、パソコンのキーボードで何らかの操作を行うと、一瞬気が遠くなるような『私という意識が分断する』苦しみを味わう。
次の瞬間には、私の目の前に『私』がいた。
それは『現実』の私とは似ても似つかない姿だったが、それが私の『分身』だとすぐに理解出来た。私が『身体の再構築』の時に思い浮かべた通りの姿。
何とも言えない気分になる。それは、『ルナ』と瓜二つの容姿をしていた。自分の手や身体を確認するが、やはり目の前の私の分身同様の姿をしているようだ。ルナの着ていたジャージ風の衣服までも再現されているらしい。
電子的存在になる際、アバターはその『精神』が最も強く意識していた姿を形取るらしい。私には自分自身の姿よりも、あの一瞬で焼きついた『ルナ』のイメージの方が、より鮮烈だったという事だろう。
「君はもう用済みだ」
突然、目の前の年若い『科学者』が喋ったので驚いた。
「君は『成功個体』として選ばれた時にも反抗をしようとしたらしいな。僕達に必要なのは、あくまでも『危機的状況下で行動を躊躇せず、正解を選び取る』成功個体の人工知能だ。
余計な自我が付いている君はもう不要だ。今コピーは取ったからね。研究資料を覗かれるのも不快だし、インターネットのポートを開けておくから、勝手にそこを浮遊してろ。処分はおいおい決めるからね」
すると、画面内の私の世界の中央に、『穴』のような物が現れた。
私が『白衣の科学者』を見ると、
「さっさと行けよ」
と言って、彼は手をしっしと振るった。
数時間前に人の住んでいた都市を爆破破壊し、ついさっき、私の現実の身体を殺した奴として正しい振る舞いとは到底想えなかったが、そもそも『白衣の科学者』に常識的な『倫理観』を求めるのが間違いなのだろう。
私は溜息を吐き、その『穴』の中へとダイブした。
気が付くと、私は半球のドーム状の空間の中央にいた。ここが電脳体として入った際の『ネット世界』、『サイバーワールド』であるらしい。
半球のドームは青白い炎の壁で形成されており、地面には幾つかの『乗り物』が見えた。そして、宙には沢山のウインドウが表示されている。
私は勝手が分からず、しばし困惑した。しかし、じっとしていると、『幸せな誕生会』の光景が吹き消されるイメージ、この世の哀しみを全て集めたかのようなあの『ルナ』の物悲しげな顔が浮かんでしまい、次いで激情に駆られ、居ても立ってもいられなくなってしまう。
気を紛らわす為にも、私は行動を開始した。
一時間もしない内に、最近のオタク系には珍しくもない『一日中でもパソコンがあれば過ごせる』ようなインドア派の私は、この風変わりな三次元的ネット世界を大体把握していた。
まず床に配置されたり転がったりしているのは、ブラウザやメーリングソフトであるようだ。Mozilla Firefoxは、実際に狐の容姿をしており、アップルのSafariは羅針盤状の足場となっている。Mozilla Thunderbirdというメーリングソフトは、雷の鳥の姿をしていた。
このブラウザやメーリングソフトという乗り物を使って、各種ネットコンテンツである、宙に浮いている無数のウインドウ――インターネットサイトへと『移動』(アクセス)すれば良いのだ。勝手が分かってしまえば後は容易い。私は簡単にいつも覗いている『2ちゃんねる』を発見する事が出来たし、パソコン配信の110度CSデジタル放送を覗く事も可能になった。
ともかく動いていなければ、暗い鬱々とした想いに沈んでいってしまう、という事で行動を繰り広げた私ではあった物の、娯楽的な要素の強いテレビを見ても、2ちゃんねるのどんなスレを見ても、どこか虚しい気持ちを感じているのを止められない。
数時間前までは当たり前の娯楽として受け入れていたそれらも、今の私には『悲観的な現実から目を背けている』だけの行為に映ってしまう。
それとつまらない事ではあるのだが、2ちゃんねるには『白衣の科学者の末端』も書き込みをしているようで、その『他人の不幸を嘲笑う』ような書き込みには、ついつい衝動的に『死んじゃえば良いのになあ!』というレスを付けてしまう自分がいた。どうしてもあの頭でっかちな『白衣の科学者』の哄笑が連想されてしまうのだ。
そんなレスを付けられた相手は、酷く憤慨していたようだったが、私だって『死んじゃえば良いのになあ!』等と軽々しく言える娘ではなかったのだ。つい数時間前までは。
私の気持ちが知りたいというのならば、『人造人間』に改造された上で一年間モルモットとして実験施設めいた都市で暮らした上で友人を都市ごと焼き殺され、現実の身体を亡き者にされ、そして、生涯で一番強く印象に残った『哀しい笑顔』の少女の似姿に成り代わってみれば良い。
そうすれば私の『死んじゃえば良いのになあ!』と想わず言ってしまう心象が理解出来る筈だ。――勿論、お勧めは絶対しない。
その日は殆どネット世界を電脳体のまま彷徨い、この世界に慣れる事だけで、時間がすぐさま過ぎ去ってしまった。ネット内の時間が深夜を指したので、私は仮初の身体で眠る事にした。
電子的な糸を編み、ハンモックのような物を作ると、私はそこに横になり眠った。
爆破で散り散りになる『マグ』と『ユノ』の姿がイメージされ、それをとても『物悲しそう』な表情で見つめる『ルナ』の心象風景に、私は飛び起きた。
私は時間を無駄にすべきではなかった、と後悔した。
電脳体にさせられたとはいえ、私は私なのだ。まずは、あの『白衣の科学者に一泡吹かせる』事を考えなければならないだろう。私は自身の『電脳体としてのスペック』を確認する事にした。
私はファイアフォックスを駆り、インターネットホームページにアクセスして、そのプログラミング構造まで忍び込み、クラックしてホームページの表示をぐちゃぐちゃにした上で修復するという行為をありとあらゆるサイトで試した。
次にメーリングソフト、サンダーバードに乗り飛翔し、自分に与えられているアドレスから、他人のアドレスへと侵入し、ありとあらゆる情報を覗き込んだ。
ココら辺でやっと私という電脳体の出来る事が把握されてきた。プログラムや他人の情報の内部構造に忍び込み、情報を盗み見、時にはハッキングを仕掛けて内部構造から掌握、プログラミングを書き換えて、クラックしてデータその物を分解破壊。
私は腕試しに『ファイアウォール』に挑戦してみる事にした。
初日はドーム状の壁を覆っている、青白い炎が理解出来なかったが、そもそもあのドーム状の物は、無数の『ストローの切り口』のような物で構成されている。
ストローの切り口の一本一本が『個人のパソコン』に通じており、そのストローから、人間は『インターネット』にアクセスする訳だ。普通、インターネットから他人のパソコンには侵入出来ない。それは『ファイアウォール』という物で守られているからだ。それがあの青白い炎の壁である。
私は初級的なウイルス『トロイの木馬』を組み上げ、ファイアウォールの一部の破壊を試みたが、案外あっさりと侵入出来たので拍子抜けしてしまった。これが私という電脳体に与えられた『スペックの高さ』なんだろうか? ふと興味の引かれた私は、このストローの先はどんなパソコンの持ち主に繋がっているのだろう、とつい確認しようとしてしまった。これが間違いだった。
ストローの先に至ると、私はパソコン画面に躍り出た。画面の向こう側には鬱々とした感じの血色の悪い青年がおり、電子少女的な私の風情に少しの間驚愕の表情を浮かべた後、素晴らしく気持ちの悪い満面の笑みを浮かべた。私は生理的な嫌悪感を拭えず、すぐさま『ホームボタン』を押し、エスケープを試みる。
周囲の視界が一気に移り変わり、気が付くと、私はあのドーム状のネット世界ではなく、更にその前の世界――つまりは『科学者』のパソコンの中へと舞い戻っていた。画面の向こう側に科学者の姿はないようだ。
――これはもしかするとチャンスではないか?
私はすぐさま、『科学者』の研究成果のログにアクセスした。流石に手強く、高度なウイルスを撒き散らし混乱を誘い、現れたコンソールに13桁のパスワードの13の13乗のパターンを一瞬で『試行』した。パスワードを打ち込む制限回数はハッキングで適当に誤魔化す。すると何とか忍び込めた。
まず、終末実験の人造人間の死者数だが、1000人の内、900人以上にも上ったという。『マグ』と『ユノ』には勿論生きていて欲しいが、客観的に考えると存命はかなり厳しかった。私は苦い表情になるのを抑え切れない。
暗く何処までも落ち込んでいきそうな気持ちに耐えつつ、続いて、『ルナ』の情報を調べてみる。『科学者』が直接管理している人造人間だけあって、先程の情報よりは管理が厳しかったが、一度ログにアクセスしてしまえば、上位者権限を乗っ取るのは比較的難しくなかった。
――良かった。
取り敢えず一つは胸を撫で下ろす。『ルナ』は私がいる『研究施設』とは少し離れた『研究棟』で監禁されているらしい。少なくとも今はまだ生きているようだ。
そしてその時、私の目の前に一つの新しい『研究データ』が舞い込んで来た。
データの名称には『第二実験』とある。
『可能性世界』と呼ばれる場所で行われるその実験の余りの劣悪さに私は身震いをした。第二の『私』を絶対に生んではいけない。私が固く『白衣の科学者』への反乱を誓った所で――。
唐突に『研究データ』のログへのアクセス権限を取り上げられ、『科学者のパソコン』内へと再び放り出された。
「お前は僕の言う事聞いてなかったのかよ?! ただでさえ忙しいってのに!!」
そこにいたのは『年若い科学者』であった。前回見た時の数倍増しで精神を苛つかせているようだ。ヤバイ、と私は想う。見つかる事を想定していない訳ではなかったが、いざその時、どうすれば良いのか、それを全く検討してなかった。
咄嗟に私はネット世界に逃亡を図ろうとしたが、『科学者』はその前にパソコンからLANケーブルを抜いてしまった。『象徴』としてのパソコン内の『ネットへの穴』もそれと同時に消える。退路は絶たれた。
「僕は言った筈だ。お前は用済みだと。別にすぐ消去する必要はなかった。だが、状況が変わった。お前単体に何が出来るとも想えないけど、今この状況でウロチョロされるのは大変目障りだ。お前以外に対処しなきゃいけない事が多過ぎなんだよ! 今!
――だから、もう面倒臭いからお前の事は今消すよ」
『白衣の科学者』はキーボードをカチャカチャいじり始める。私は恐怖した。電脳体である私には、それを押し留める術はない。
画面上に『本当に消去しますか?』という表示が浮かぶ。
私の精神は闇に染まっていくようだった。ここで終わりなのか。ここでまた私は殺されるのか。『二度目』の死を迎えるのだろうか。何も出来ないままに。『マグ』と『ユノ』の仇も取れずに! 『ルナ』と再びまみえる事も出来ずに!
『白衣の科学者』は全く躊躇なく、その手を――。
カゲプロ想像小説。第4話。
エネの電脳紀行
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楽曲URL:https://piapro.jp/t/eNwW
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楽曲URL:https://piapro.jp/t/Vxc1
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楽曲URL:http...参加作品リスト 2017年〜2021年
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4/4 BPM133
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