ニューヨークでの新生活は、想像していたのより大変だった。幸いなのは、新学期が九月からとのことで、それまではちょっとだけ、こっちに慣れる余裕があったということ。もっとも、それでもやることは山積みだったが。
 転入試験も無事合格し、九月からはこっちでの高校生活が始まった。日本とこっちでは学校のシステムが違うので、どう組み入れられるんだろうと思っていたが、試験の結果、俺は最終学年に入れることになった。単位を落としたりしなければ、一年で卒業できるはずだ。
 当たり前だが授業は全部英語なので、最初はついていくのが大変だった。いいのかどうかわからなかったけど、授業を全部録音して、帰宅してから何度も聞きなおし、ノートやら教科書やらを辞書と首っぴきで確認して、学習する羽目になった。寝るのが午前になるのも珍しくなかった。
 そんな大変な状況だったけど、できるかぎり、リンに手紙は出すようにした。俺がいなくなって、きっと心細いし淋しがっているだろうから。お父さんに見つかったら困るから、俺は手紙を封筒に入れて「リンへ」と書き、その手紙をもう一度封筒に入れて、初音さんの住所を書いて投函した。
 リンからも返事がきた。女の子らしい可愛い便箋に細かい字で、向こうでのことが書かれている。ところどころ字がかすんでるのは……きっと、書きながら泣いてしまったんだろう。
 手紙によれば、リンはあの部屋から出してもらえて、また学校に通えるようになってはいた。表面上は、今までどおりの生活を送っているらしい。お父さんは、俺を学校から追い出したことで満足したらしく――理解不能だが、それは置いておく――俺のことはどうこう言わなくなったそうだ。それがいいことなのか、悪いことなのか……いいや、いい方に考えよう。四六時中あれこれ言われない方が、リンの精神のためにはいいはずだ。
 九月の終わり頃、クオから荷物が届いた。開けてみると、DVDが入っていた。添えられていたメッセージには「学祭の舞台を録画して送ってやったぞ。感謝しろ」と書かれている。あいつらしいというか、何というか。でも、リンと二人で考えた舞台を、映像とはいえ見られるのは有難かった。高校生活で最後の舞台だったし、どんな風になるのかはすごく気になっていたから。
 送られてきたDVDの中身は、いい意味で予想どおりだった。みんな頑張ってくれたらしい。後でクオに礼のメールを送っておかないと。
 同じ日に届いたリンからの手紙には、舞台を見た感想が綴られていた。舞台を見てどう感じたのかとか、そういうこと。そして、俺にもこの場にいてほしかったとも。
 ……俺だって、一緒にいたかったよ。こうやって手紙で読むんじゃなくて、リンの口から直接、感じたことを聞きたかった。


 こっちに来て半年ぐらいになると、必死になって頑張ったおかげか、学校にも生活にもにはほぼ慣れることができた。授業もそんなに支障はなくなったし、友達もできた。英語で自分の意見を主張することも、できるようになった。むしろ生活自体は目新しいことが多くて、慣れてくるとどんどん楽しくなっていった。
 でもどうしても慣れることができなかったことがある。それは、リンが近くにいてくれないことだった。何かある度、どうしてもここにリンがいてくれたらと思ってしまう。リンの姿が見えるところにいたかった。俺の隣にリンに座ってもらって、話しかける度答えを返してほしかった。リンの話す声を聞いて、その瞳をみつめて、その存在を感じたかった。
『RENT』の、ある曲を思い出す。ミミと別れてサンタフェに行ってしまったロジャーと、ニューヨークに残ったマークが歌う曲。サンタフェに行ってしまっても、ロジャーはミミが忘れられない。何をしていても、どんな場所にも、ミミの姿が見えてしまう。
 ロジャーは自分から別れたのだから、状況は違う。でも気持ちはそんなに変わらないように思えた。
 ……ロジャーは、戻るんだよな。ミミこそが探し求めていたものだったから。リンと仲良くなったばかりの頃、二人で『RENT』を見た時のことを思い出す。俺だって、戻れるものなら戻りたい。戻って、リンのことを抱きしめたい。
 けど、まだ駄目だ。今戻っても、二人とも不幸になるだけ。リンを連れ出せるようにならないと。


 リンは、大学受験に無事合格し、三月には高校を卒業した。手紙によると、初音さんと同じ大学にしたとのことだった。お父さんは、リンに失望したらしく、進路についてうるさく言わなくなったらしい。つくづく、よくわからない人だ。失望したって言うんなら、俺にくれたってよさそうなものなのに。
 同封してくれた卒業写真を眺めながら、俺はちょっと淋しい気持ちになった。本当なら、一緒に卒業証書を受け取れるはずだったんだ。リンのお父さんが、いらない横槍さえ入れなければ。
 リンも同じ気持ちなんだろう。写真の中のリンは、淋しげな笑顔を浮かべていた。
 俺に気を遣っているのか、リンは手紙にあまり淋しいとは書かない。でも文章を読んでいれば、リンがその気持ちを必死で押し殺しているのはよくわかる。そういう感情を別の方面に向けているようで、最近は自作だという詩が同封されていることも多くなってきた。詩が送られてくると、俺は感想を書いて返信した。リンの詩は可愛らしいものや明るいものもあったけど、暗いものや物悲しいものも多かった。書いた時のリンの心情を思うと、俺はたまらなくなった。現実に背を向けることだけはしないでくれ。
 時間は流れ、六月に、俺はこっちで高校を卒業した。進学する大学も決まっている。卒業祝いにと母さんが連れて行ってくれたのは、メトロポリタン歌劇場で、演目は『ラ・ボエーム』だった。……出演者は相変わらずおっさんだったけど。オペラってどうしてこうなんだろう。けど、歌は素晴らしいし、演出も良かった。
 帰宅してから、俺はリンに手紙を書いた。高校は無事に卒業できたこと。大学が始まる九月まで時間があるけど、その間はサマースクールに通うことにしたこと。メトロポリタンで『ラ・ボエーム』を見たこと。いつか二人で同じ場所に行けたらいいということ。
 ……リンに会いたい。けど、今はまだ我慢する時だ。リンのことを考えて、とにかく前に進もう。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第六十七話【どこにいても君の姿が】

 向こうにも書きましたが、しばらくこちらの更新はストップします。
 要するに動きがないんですよね。……真面目に大学生活送ってるだけなので。

閲覧数:895

投稿日:2012/05/15 21:56:25

文字数:2,590文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    遂にレンは新生活ですね。頭のいいレンなのですぐに慣れている……すご、羨ましい(笑)半年で意見言えるようになるとか、出来過ぎです……
    リンのお父さんって、意味不明ですね。矛盾してるっていうか……カエさんもすごいですね。

    ところで、ミスサイゴンって知っていますか?ついこの間見に行ったミュージカル(?)なんですが。

    2012/05/16 05:08:36

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       いや、勉強についていけなくてドロップアウトとかやってると、考えたラストに行き着けないんですよ……。
       ただこの作品のレンはもともとかなり頭がいいですし、リンのために気合と根性入れて頑張ってますので、その分成長が早いという設定になってはいるんですが。人間、気合と根性入れて死ぬ気でやるって、やっぱりかなり大事ですよ。
       私だって趣味で書いている小説ですけど、精一杯いいものにしようとベストは尽くしています。自分に才能が無いのが悲しいですが、それはどうしようもないです。

       リンのお父さんは、「何なのこの人?」と思ってもらうために、わざと矛盾した行動を取らせています。カエさんは……まあ、夫婦生活はないですからね、この家。

      『ミス・サイゴン』ですか。確か『蝶々夫人』が原案のミュージカルですよね。タイトルは知っていますが、見たことはないんです、すいません。

      2012/05/16 23:42:41

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