まあ、こういうのが一人いても悪くないであろう。
<造花の薔薇.11':sideがくぽ>
「むむむ」
「チェックメイト」
「むう…」
丸っこくていやに立体的な駒を、眉を顰て見遣る。
確かに将棋には似ている、が、しかし。
「投了でござるな。はあ、しかしルカ殿は本当にちぇすが強いのでござるなあ」
溜息をつく拙者に、ルカ殿は顔色一つ変えずに答えた。
ここで勝ち誇ったりしないのはルカ殿の尊敬するところでござる。
いや、もしかしたらただの遊びだからとか、これで100連敗の記録を樹立したからとか、そういう要素も関係しているのかもしれないのではござるが。もしかしたら別の状況下では別の顔を見せるのやもしれない。
「そう言われると少し恥ずかしいわね。私はまだまだアマチュアの手合いだし」
「いや立派なものでござる。先の、ええ、この歩兵の使い方が絶妙で」
「ポーン、ね。でもがくぽも筋が良いし、ショウギとかいうもので慣れてるんでしょう?すぐに私に追い付くわ」
「そうでござるか?かたじけない」
ルカ殿をうちに住まわせてから数ヶ月程度で、その間ずっとこのちぇすとやらを教えてもらっているが、褒められたのは初めてで、少々気恥ずかしくなって照れ笑いを浮かべてしまう。
こんな腑抜けのような表情を見せてしまうとはやはり自分はまだまだなのでござるなあ、と思いつつ、平和であるということを嬉しくも思う。
「ねえ」
再び試合を始めようと駒を並べ始めると、ふっとルカ殿が口を開いた。
「何でござる?」
僧正の駒の先が指をぐさぐさと刺してくる―尖ってなどいないのでござるが、何故か―のに閉口しながらも駒を並べていた手を止めた。
ルカ殿は駒を並べる手を止めずに、ごく普通の調子でこちらに問うて来る。
「あなた、以前王女の教育係をしてたのよね」
「え?それはまあ、かなり前の話ではござるが」
「それはそうね。もうすっかり忘れてしまった?」
「いや、それはないでござる」
すぐに首を振る。
そう、それはない。
あの孤独な王女との出会いは、拙者にとって大きな衝撃でもあったのだから。
華やかな王宮が堅固な牢獄に見えるようになったのは、あの時からだった。
「王女は、やっぱり『悪の娘』だった?」
少しだけ時間をかけその言葉を吟味する。
「いや…そうではなかった」
「え?」
人が「悪の娘」と呼ぶ王女は、やはりいつまでも拙者の中では孤独な少女でしかなかった。
王宮を辞してから数年、国民に出された非道な命令のせいで拙者自身も死にかけたことさえある。
でも、どうしてか憎むことは出来なかった。
助けを欲しがっているのに、助けの呼び方を忘れてしまった少女。いや、その気位が災いして助けを呼ぶことさえ躊躇うようになってしまった少女。
確かに彼女は非道の限りを尽くした。
でも、哀れだと思わずにはいられない。
誰も彼女に教えてやれなかったのだ。
出来ない時には出来ないと言えばいいのだと。
「…ルカ殿は、王女をご存知か」
「いえ」
即座に返った否定の言葉に、分かっていながらも微かに落胆を覚えるのに気付く。
いや、あまり王宮などと接点の無いルカ殿が知っているはずもない…のだが。
敵を敵として見るとき、相手の事を何も知らないのはとても気楽だ。
勿論、相手の事を知り尽くしてもなお譲れない一線の為に戦う事だってあるであろう。
でも、その戦いには覚悟がある。
自分の命を厭わない、という覚悟ではない。
相手の命を―――その全てをその手で刈り取る事に対する覚悟である。
ルカ殿に、教えるべきであろうか。拙者から見た王女の姿を。
出来るなら彼女にはやり直しをさせてやりたいと思うのだ。
しかし、この身に一体何が出来る?
今や拙者も彼女等との関連性などない、一介の国民だ。
それに、ならば他の全てを捨てても叶えるべき願いかと問われれば首を横に降るしかない。
拙者には、守るべき妹がいるのだから。
それに、正直やり直し云々など皆には論外に違いない。彼女の悪政が数多の命を奪ったのは、最早取り返しのつかない事実なのだ。
しばしの間考えに耽る拙者は、ルカ殿がこちらを不思議そうに見ているのに気付く事はなかった。
その日は唐突に訪れた。
とても空が綺麗な日だった。
いつもの通り昼食を三人分作り、支度が出来たとグミとルカ殿に呼び掛ける。
しかし、ルカ殿は来ない。
食事を始めても一つだけ開いたままの椅子に、拙者は少し首を傾げた。
「グミ、ルカ殿を見なかったでござるか?」
「え、ルカちゃん?」
グミは少し首を傾げてこちらを見た。
「だって兄ちゃん、普通にルカちゃん行ってきますって言ってたじゃんよ。なんかもう決起間近らしいしさぁ、忙しいんじゃないの?」
「決起?」
「そう、ええと、メイコさんって人が中心で、ルカちゃんはその補佐役してるんだってさ」
「…そうか」
その不穏な言葉を舌で転がし、かつて何度か城の中で目にした姿を思い出す。
幼いながらも茶の髪を颯爽と靡かせて父親と連れ立って歩く姿は、自分と同年代だったせいか記憶に残っている。
彼女が、起つのか。
「メイコ殿、貴女はこの国を愛しておられるのだな」
誰にともなく呟いて、手にした皿を流しに置いた。
そして、身を翻して入口近くに立て掛けておいた刀を手に取る。
先日研いだばかりだから、刃は鈍っていないはずだ。
王都まで、ここからは数日かかる。特に足も旅費もない身としては歩いていくしかないだろう。
間に合えばいいのでござるが。
「…兄ちゃん?」
怪訝そうな妹の声。
我ながら酔狂な真似をするという自覚はある。
ただそれでも、一人くらいはこういう役目をしてもいいのではないか―――そう思うのだから仕方ないのだ。
ちぇすで言うなら、王でも女王でも、僧正や騎士でもない数ある歩兵の一つ。
王女の為に戦うつもりは、そこまで無い。
ただ、もしもあの少女が逃げ延びる事が出来たのなら。
「グミ」
静かな決意を胸に、拙者は妹の目を見た。
「この不肖の兄から、頼みがある」
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