壊れた箱庭 新たな一歩
割れるような歓声が広場を揺るがす。群衆は『悪ノ王子』の斬首に狂喜の叫びを上げ、圧政の終わりと新時代の始まりに熱狂していた。
首を晒せ、死体を吊るせと一部の国民が吠える。殺された王子を、リンを辱めようとする人々に、レンは嫌悪と憎悪が湧いた。
気持ち悪い。人が死んだのに笑っている。人が殺されたのを喜んでいる。
周囲の見物客を斬り捨ててやりたい。特に死者を冒涜する奴らを。どす黒い感情の赴くまま、レンは剣へ手を伸ばした。しかし柄に指先が触れた瞬間我に返り、拳を固めて衝動を抑える。
「耐えて」
レンの頭に優しく手を乗せたのはリリィ。唇をきつく噛み締め、泣き出すのを堪えていた。彼女の気丈な姿を見たレンは、感情に流された己を叱り付ける。
そうだよな。リリィだって辛いんだ。
彼女はリンの友達で、二人は本当の姉妹みたいだった。可愛がっていた妹分を目の前で殺されて、悲しくない訳が無い。
メイコとミクの声が耳に届く。だけど二人の言葉は確かに聞こえているはずなのに、何を言っているのか分からない。興奮した見物客共の喝采は相変わらず耳障りだ。
群衆の一角で男性が小さな子どもを肩車している。おそらくは父子だろう。信じられない光景を目に入れ、レンは息を呑んだ。
子どもに見せるな馬鹿親が。
人殺しを見物させるなんて頭がおかしい。嬉々とした表情の見物客に吐き気がした。馬車酔いなど比べ物にならない。
凄惨な光景を前にして、どうして笑っていられる。恐怖を感じたり、気分が悪くなったりしないのか。
処刑台から兵士が降りたのをきっかけに、群衆は広場から散り始める。帰路に付く彼らに紛れて移動しようと、リリィはレンの頭から手を離した。
「行こう」
居残ってしまえば怪しまれる。だがレンは動かない。無言で佇む彼に不安を覚え、リリィは再び声をかけた。
「……歩ける?」
「平気だ」
レンはしっかりと返事をしたが、内心は勿論平気ではない。荒れ狂う感情に任せて処刑台に駆け上がり、リンを弔いたい気持ちを強引に抑え付けていた。
この手で姉を葬る事も出来ないもどかしさ。泣き叫ぶのを許されない状況。頭では理解しているので、何とか涙を堪えられる。
遺体が断頭台から運び出され、レンは顔を逸らす。見ていれば耐えられずに泣いていた。目に入ったリリィの手を握り締め、処刑台へ背を向けた。
群衆は興奮さめやらない様子でざわめき、人だかりを縫って進む二人へ注意を向ける事は無い。レンは足早に広場の入口へ向かう。周りの話し声は放っていたが、突如耳に入った会話に背筋が凍り付く。
「最後に笑ったのを見たかよ? いかれてやがる」
「はっ。正に悪ノ王子だ。あんなの人間じゃねぇ」
王子は死んで当然だと嘲笑った直後、打って変わってメイコや革命軍を称える。彼女は英雄だ、救世主だと褒めそやす語らいは、レンの胸を深々と抉った。
これが、俺が守ろうとしていた人達。この人達は喜んでいる。黄の国が滅び、新しく生まれ変わるのを。
リリィと繋いだ手は離さず、レンは自問して歩き続ける。時折人にぶつかって文句を言われたが、物思いにふける彼は全く気付かない。
国の崩壊とそれに伴う改革。その二つは自分が望んだ事で、ようやく成し遂げられた。追い求めていた理想が叶えられたのだ。
本来なら達成や満足を感じるはず。だけどもレンが覚えたのは、狂おしい程の空虚感と喪失感。そして姉を身代わりにした自責の念だった。
リンを犠牲にしてまで、俺は何を守りたかったんだろう。
答えは出ない。そもそも、自分が生き残る未来を考えてすらいなかった。今日の処刑で死ぬつもりで、もうこの世にいなかったはずだから。
平和な青の国に戦争を仕掛けて、目的に邪魔な人間を殺して、民を煽り立てて革命を起こさせた。王子でありながら自国が滅びるよう促した。
殺される事でその罪から逃げようとしたから、リンを失う罰を受けたのか。
「もう良いんじゃない?」
レンはふと意識を取り戻す。足を止めて辺りを見渡せば、街道から外れた草原に立っていた。振り向けばリリィが、彼女の向こうには横長の棒のような町並みが映る。一つ飛びぬけて高い影は王宮だ。
いつの間にか町の外へ出て大分離れていたらしい。王都が掌に納まる程小さく見えた。
「あ……」
レンは半ばぼんやりと指を開く。ずっとリリィの手を握ったままだった。前にも似たような事があった気がしたが、いつの出来事なのかは思い出せない。
「リン……」
姉の名を呟く。無情に落とされた断頭台の刃。血が迸ると同時に上がった歓声。処刑の様子が鮮明に浮かび、レンは肩を震わせた。
最早感情を抑える必要は無い。我慢していた涙が溢れ出し、姉を失った悲しみに泣き叫ぶ。
彼を少しでも安心させようと、リリィがレンの頭を撫でる。気丈に振る舞っていた彼女もすすり泣き、友人を悼んでいた。
二人の涙が治まった頃、既に空は夕焼けに変わっていた。金髪を赤く照らされながら、レンとリリィは王都を眺める。
「戻れないよなぁ……」
先に口を開いたのはレン。当たり前だが、自分は処刑された『王子』と同じ顔をしているのだ。住人に見つかれば混乱を招く事は必至。王宮は勿論の事、王都に入る事すら危険である。
独り言だったが、隣に立つリリィに聞こえてしまったようだ。
「数年は待たないと駄目だろうね。成長して大人の顔つきになるまで、貴方は近付かない方が安全だよ」
ほとぼりが冷めれば、彼女は気兼ねなく王都に行けるだろう。黄の国王子だったレンと、革命軍と戦ったリリィ。逃亡者の二人を追う者はいないが、見送る者もいなかった。
帰る場所は無い。行く場所も無い。だが、何にも縛られない立場。決して得られなかったはずの自由を、レンは確かに手に入れていた。
それはリンが最後にくれた贈り物。一人の人間として生きる未来。
「どうするかな。これから」
立ち止まっている訳にはいかない。目的が無くても進むしかないのだ。悲観する暇があるなら行動した方が良い。
「とりあえず、近くの町か村に行こうか。多分野宿する事になるけど」
今からでは王都以外の人里に辿り付くのは無理。リリィの的確な返事に頷き、レンは茜色に染まる王都へ目を向ける。
思えば、故郷を外から眺めるのは初めてだ。箱馬車の小さな窓からではほとんど見えなかったし、自分の足で王都を出た事も無かった。
俺、何も知らなかったんだな。
世界は広い。王宮や国が全てだと信じていたのが馬鹿らしい。越えられない壁から放り出されてみれば、過去の居場所がいかに閉ざされていたかが良く分かる。
「名前、考えないと」
レン・ルシヴァニアはもういない。ここにいるのは『王子』ではなく、一度死んで生まれ変わった人間だ。元の名前は捨てて行く。
そっか、とリリィが納得する。
「確かに名前は必要だよね。名無しだと呼べないし」
「当たり前だろ? 俺も困るしさ」
レンは即座に言い返す。名前とは存在を決定付ける大切な物だ。名無しの誰かではあまりにも寂しい。
「まあ、のんびり考えるよ」
急ぐものでもない。その内良い名前が思い付く。レンは話を切り上げ、体の向きを変えて足を踏み出した。彼に遅れないようにリリィも歩き出す。
長く伸びた二つの影が徐々に、しかし確実に王都から遠ざかって行く。引き返す事も振り向く事も無く、レンは前を見据えて進む。
犯した罪は消えない。リンを失った傷と悲しみは一生残るだろう。死んでしまった方が良いと囁く心に従って後を追いたくなる。
だけど、それはリンの願いを違える事。姉の意思を踏みにじってしまう事だ。
リン。君が繋いでくれたこの命。絶対に自分から死なせない。
俺は生きる。
罪も傷も悲しみも抱えて、俺は生きて行く。
だから、どこかで見ていて欲しい。
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BPM=172
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