UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」

 その16「ミクが動いた日」

 テッドは夢を見ていた。
 十年以上前の記憶をたどる夢だった。その時テッドは小学六年生だった。
 ある日、玄関を開けると、テトが立っていた。
 印象的だったのは、初めて目が合ったとき、心底疲れがとれたような、何かから解放されたような、長い長い旅路の果てにやっと目的地に辿り着いたような、泣き出しそうなほどほっとした表情を見せた。それだけで、テッドはギュッと胸の奥を掴まれた感覚に囚われた。
 テトは、従姉だと自己紹介して中に入った。
 使い古したボストンバックを片手に、着ている服は少しくたびれていたが、中身はどんなアイドルにも負けないほど磨かれていた。
 見たことのない赤い髪のツインドリルに、外人が来た、とテッドは思った。しかし、目の前の高校生ぐらいの女の子は、流暢な日本語を話した。
「哲人君だね。初めまして。お姉さんは、重音テト。よろしくね」
 見た目には黒い瞳だったが、光の加減で赤く光ることがあった。それをテッドはルビーの様だと思った。
 その後、両親とどんな話をしたかは知らないが、テトは近くの大学に通うため、一室をあてがわれ、大学卒業後も、しばらくはテッドの家に住んでいた。その後、テッドが大学に入ると、両親は海外に転勤し、テトは就職先の近くのアパートに引っ越した。

         〇

 翌日、テッドの家のドアホンが鳴らされたとき、応答がなかった。
 テトと桃は玄関の前で顔を見合わせた。
「ちょっと、ここで待っててくれる?」
 桃が頷いて、テトは庭に回った。
 リビングの大きな窓の前に立って、テトは床の上で大の字になって眠りこけているテッドを発見した。ほっとしたのも束の間、テトはリビングの違和感に気付いた。
 テトは慌てて玄関に戻った。
 玄関の前では桃が開くのを待っていた。
「どうでしたか」
「どうもこうもない。大の字になって床で寝てるよ」
 テトは、ドアホンのボタンを連打した。
「待つしかないのでは? テトさん」
「待つのは、好きじゃない」
 テトはボタンを連打し続けた。
 桃はテトの真剣な表情に何かを感じたが、テトのすることを見守ることにした。
 家の奥でチャイムが鳴っているのは分かった。それに対する反応はなかった。
 何度目かはわからないが、ドアの向こうで女の子の声が聞こえた。
「すみませ~~ん。今、開けま~~す」
 テトと桃は顔を見合わせた。
 ガチャと鍵を開ける音が聞こえた。
 テトはドアを手前に引いた。
 ドアの向こうには、二人のよく知っている顔の少女が立っていた。
「!」
 意表を突かれて桃の目は丸くなった。
 テトは棒立ちになった桃を、半ば突き飛ばすように玄関の中へ押し込んだ。
「きゃっ! テトさん?」
 中に入ったテトは後ろ手でドアを閉めた。
 テトは目の前の女の子を確認した。
「君、名前は?」
 我ながら馬鹿なことを聞いていると判っていながら、テトは聞かずにはいられなかった。
 少女は無表情ながら明るい声で応えた。
「初音ミクです」
 テトは靴を脱いで家の中に上がった。
 桃はミクをじっと見つめた。
 ミクの姿はこの家に持ち込んだ時のまま、変わってはいなかった。デフォルトのパッケージのイラストの通り、膝上まであるビニール・ブーツ、ミニスカート、ノースリーブ 、腕カバー、マイク付きヘッドフォン、そして、緑のツインテール。ただ、顔は無表情だった。
 桃はおそるおそるミクの顔の前で手を振ってみた。
 まばたきもせず、ミクの視線は微動だにしなかった。
 桃はそっと靴を脱いでテトの跡を追った。
 テトは、リビングの床で寝ているテッドの頬を軽く叩いた。
 テッドの口から思いもかけない言葉が出てきた。
「俺をどうする気だ?」
 テトは一瞬凍りついた。
 テッドは寝返りのように背中をテトに向けた。
 少し安心したテトは、いつものように命令した。
「お湯を沸かして」
 その声に反応してか、テッドはガバッと起き上がった。
「テト姉?」
 辺りを見渡し、テトを発見したテッドは安心したようにため息を吐いた。
「おはよう」
 片手を上げて挨拶するテトにテッドも手を上げて応えた。
「お、おはよう」
 テトは真顔で聞いた。
「大丈夫?」
「ああ、勿論」
 テトはもう一度辺りを見回した。
「成功、したんだね。おめでとう」
 その言葉にテッドはもう一度辺りを見渡した。
「あっ?!」
 やっとその事に気付いて、テッドは跳ねるように立ち上がった。
 そのまま脇目も振らず廊下に飛び出したところで、危うく桃と衝突しそうになった。
 実際には一ミリも接触していなかったが、視界を奪われるほど急接近して二人は声を上げた。
「きゃっ」
「うわっ! ごめん!」
 二人は同時に半歩下がった。
 体を引くのも、片足を着けるのも全く同時だった。
 床が同時に鳴って、二人は顔を見合わせた。
 一瞬二人は固まって、先に笑ったのは桃だった。
 テッドも呪縛から解放されたように笑顔になった。
「桃ちゃん、ちょっとごめん」
 テッドは桃の横を通り過ぎようとした。
 それを目で追いながら、桃は声をかけた。
「テッドさん、台所、お借りしていいですか?」
「ああ、いいよ」
 答えるテッドは、桃ではなく、玄関で立ち竦んでいるミクを見ていた。
 テッドは、状況を把握しようと頭を巡らせた。
〔昨日、足の大まかなプログラムを組んで簡単な動作をテストした。その後、紙コップを掴む動作と、物を拾う動作を組んだところまでは覚えてる〕
 テッドは腕を組んだ。
〔しかし、…〕
 玄関まで歩いて鍵を開けるという動作をプログラムした覚えはなかった。
 テッドは自分が作り出した「初音ミク」というシステムを思い返した。
 テッドにとっての「初音ミク」は秘書で、システム開発のサポート役だった。ヴォーカロイドとしては音声データの提供はあるが、テッドは作曲も演奏もしなかったので本来の用途から遠ざかっていた。
 最後に、眠りに落ちる前に、何をミクに命じたか、思い出してみた。
〔足のプログラムと、拾う動作のプログラムのデバッグを頼んだつもりだったが…〕
 どこかでその命令が拡大解釈された可能性があると、テッドは考えた。
「とりあえず…」
 テッドは玄関わきの押入れからドラム型の延長コードを用意した。
 自分の部屋に戻り、五十メートルのイーサネットケーブルを持ち出し、それをミクに差し、反対側は近くの空いたポートに差し込んだ。
 リビングにもどるとミクのACアダプタを拾い上げ、ミクのところへ戻った。
 ACアダプタを挿すと、ミクの目に光が戻った。
 スイッチを入れると、微かにミクの体が震えた。
 窓系のOSの特徴で、電池の残量が残り少なくなると省電力モードに移り、さらに少なくなると待機モードに変わる。待機モードでは、すべてが一時停止したような状態になる。逆に言うと、電源が回復すれば、動作を再開することになる。
 ミクが無表情な顔をテッドに向けた。
 テッドは一瞬たじろいだ。
〔お。ちょっと、びっくり〕
「マスター」
 その声は少し籠っていた。
〔サウンドボードも搭載した方がいいのかなあ〕
 ミクが腕を上げて人差し指指でテッドを指差した。
「顔が怖いです」
 テッドは慌てて顔を叩き笑顔を作った。
「ごめん。ちょっと、自分の愚かさを自戒してたんだ」
 ミクが小首を傾げた。
 その仕種はある意味可愛らしかったが、自分の今の言葉がミクのデータベースに無いらしいと、テッドは悟った。
「つまり」
 テッドは言葉を探した。
「ミクが、パソコンの中の時と同じように、体を自由に動かせるようになるには、もっと沢山調整しないといけなかったのに、俺は楽をしようとしたんだ」
「判ります」
 ミクは背筋を伸ばした。
「マスターに、もっとプログラムを作ってもらわないといけないんですね?」
「そういうこと」
「分かりました。リビングに戻ります」
 ミクはゆっくりと体をひねり、腰を回しながら足をリビングに踏み出した。
〔何だろう。バランスの取り方が悪いんだろうか?〕
 ミクは一センチほどの高さに足を上げ、水平に滑らせた。一呼吸置いて足が床を捕らえた。
〔センサーが床の障害物を感知してから足を下ろしているのか〕
 ミクがゆっくりと床を踏みしめた時、床がミシッと鳴った。
〔体重二百キロか〕
 その歩き方は氷った池の上を歩いているように見えた。
〔センサーの精度は落としてもいいのかな。それとも、ロジック自体見直す方が早いか〕
 テッドはミクの足元ばかりを見ていたため、料理を運んでいる桃に気付かなかった。
 ミクとともにリビングに入ったとき、テーブルの上にルームサービスのような朝食が整っていて、テッドは一瞬たじろいだ。
 桃はごく自然な仕種で、カップに紅茶を注いでいた。
 テトは美味しそうにスープにパンを浸けてかぶりついていた。
 リビングに現れたテッドにテトは手招きをした。
「おいで。モモちゃんの手料理、美味しいよ」
 テーブルの上に三人分のトレイがあり、それらは大皿を囲んでいた。
 大皿にはポテトサラダを中心に、卵焼、ミニハンバーグ、ソーセージ、魚のフライが囲むように並べられていた。
 トレイの上には取り皿とスープの入ったカップと小倉トーストが載っていた。
 よく見るとテトのトレイにはフランスパンが載っていて、桃のトレイの上にはジャムを塗ったトーストが載っていた。
〔意外に質素だな。料理に不慣れな女の子が作るとこんな感じか〕
 小倉トーストはトーストの上に小豆餡を塗った愛知県地方の食べ方だった。
 テッドはちらっとテトを見た。
〔テト姉が彼女に教えたのか〕
 均一にトーストに塗られた小豆餡を見て、
〔できれば自分で塗りたかったなあ〕
と、テッドはこころの中で呟いた。
 一口かじってテッドの舌に覚えのある甘さがやって来た。
〔これは、『呉座参』の大判焼きに使ってるつぶ餡か?〕
 「呉座参」(ござさん)は老舗の甘味処のチェーン店で、主にデパ地下で大判焼きを焼いて売っていた。
 テトの言う通り、桃の料理は美味しかった。
 とりあえず素材がよかった。イチゴジャムやマーガリンは一言で言って、新鮮だった。余分な調味料や添加物が入っていない素の味がした。
 ポテトサラダには、味のアクセントにキャビアが入っていた。
 魚のフライは衣がしっかりと付いているのに、箸で簡単に分けることができた。
 ミニハンバーグは、肉汁が逃げないように薄く揚げてから焼き目が付いているようだった。
 最初は不慣れな料理に見えたが、実は手の込んだ料理であることに、テッドはようやく気づいた。
「ごめん」
 テッドの口から出た言葉はそれだったが、すかさずテトがテッドの脇をつついた。
 テッドが動かした視線の先で、テトが「言い直せ」というような目をしていた。
「はい?」
 桃は自分のティーカップにお湯を注ぐ手を停めテッドの方を見た。
「これ、すごく、美味しいよ。どうやって作ったの?」
「え…」
 少し困ったような顔を彼女がした。
 テッドは自分が小倉トーストを手に持っていることに気付いて、あわててハンバーグを指差した。
「こ、このハンバーグ」
「それは…」
 桃はうれしそうに料理の解説を始めた。
 その間、ミクはリビングの一人がけソファーに腰を下ろし、三人が食事する様をじっと見つめていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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UV-WARS・ミク編#016「ミクが動いた日」

構想だけは壮大な小説(もどき)の投稿を開始しました。
 シリーズ名を『UV-WARS』と言います。
 これは、「初音ミク」の物語。

 他に、「重音テト」「紫苑ヨワ」「歌幡メイジ」の物語があります。

閲覧数:78

投稿日:2018/02/22 22:45:49

文字数:4,747文字

カテゴリ:小説

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