「な、夏祭りィ!?」
「そ、夏祭り」

彼は軽快な口調で誘ってきた。
口調が軽快な割には、その内容が軽快なものではなかったので、私は声を大きくして聞き返してしまった。

「今度の夏さ、一緒に夏祭り行かないか?」

そういった彼の涼しげな顔ときたら、まるで軽い頼み事でもしているかのようだった。だから私は流れで「まぁ、別にいいけど」とうなずいでしまっていたけれど、よくよく考えてみたらつっこみどころが多すぎて、思わず聞き返してしまった次第である。

「まずどこからつっこんだらいいの、これは?」
「つっこむって?」

どうやら彼には事の事態がわかっていないらしい。ならば教えてやるしかない。

「まず、今日は何月何日?」
「4月18日」
「それで、夏祭りがあるのは何月何日?」
「7月20日から4日間だけど。それがどうかしたのかい?」

そうか。そう言われてもこの男は理解していないのか。だから、私は彼に向かってこう叫んだ。

「まだ三か月もあるしっ!!」と。

そんなに前から予約を取り付けてどうするのだ。私は深く疑問を抱いた。
それとも最近の男性はみんなこうなのか?
ゆとりを持って行動することが大事だとか教わってると思うんだけど、いくらなんでもこれはやりすぎではないか?

「約束を取り付けるのは早いほうがいいってね。女性の取り合いは、いつも早い者が勝つのさ」

何言ってるんだこいつ。女性の取り合い?早い者勝ち?

「っと、口が滑っちゃったかなぁ~。まっ、いいか」

なんかサラリと流してるし。この男のノリは、本当にわからない。
数々のターゲットを暗殺してきた中で、一番意味不明だ。
だから、私はどう返事を返していいかもわからずしばらく押し黙っていた。
そうしたら男のほうは、

「あれ、そこは突っ込まないのか?」

と半分冗談交じりに笑って、半分本気で聞いてくる。
彼は一人で笑いながらも、少し戸惑っているようだった。
今のって、何か突っ込むところだったんだろうか?

「何を」
「いや、何をって……。んん、まあいいか。君って不愛想でクールなとこあるけどさ、でもちょっと天然ていうか、そういうとこには鈍感なんだ。ま、それも立派な個性だね」

ははっ、と彼は笑った。いや、いったい何を話しているのか、意味が分からないんだが。
彼の言い方から察するに、今の会話にきっと何か返すべき返事があったのだろう。でも私は突っ込まなかった。
私の頭の中には疑問符が浮かんでくるばかりだが、考えたってどうせわからない。普通の人より私は馬鹿だし。

「それで、肝心の予定は空いてるかい?」
「三か月も先のことなんて、考えてるわけないでしょ」

まだ何の予定も入っていない。それは事実だった。
私はそこまで先の予定を立てるのは好きじゃない。

「じゃあ、返事はOKってことでOK?」
「なにその日本語。別にいいけど。好きにすれば」
「やった。俺の一人勝ちぃ」

彼は無邪気な顔で笑った。
いったい誰と何の勝負しているんだろう。
ふわふわと宙に浮ついたような雰囲気を断ち切るように、私はきり出した。

「でも、名前も何もわからない男なんかと祭りに行くなんてこと、私はしない」
「えー」
「いや、えー、じゃなくて」

当然だ。
今回は相手がターゲットである可能性もあるから、誘われたら断らない手はない。これは暗殺の機会にもつながる。
だが、相手は正真正銘の警察かもしれない。ここは慎重に行動に移すべきだ。

「てか、あれ、前に名刺渡さなかったっけ?」
「そんなの、どこかで拾っただけのものかもしれないでしょ。それに名前が分かったとして、私があなたを信用するとは限らないから」
「おー、気高いね。そういうとこはすっごくクールで素敵なんだけどね。ははっ」

彼はまた笑った。いったい何が面白くて笑っているんだ。

「んじゃあ……ほらこれ」

彼はスーツのポケットから財布を取り出し、その中から一枚のカードを取り出す。
免許証だった。

『氏名:始音海人 平成元年12月14日生 
住所:東京都港区×××…
交付:平成20年7月2日……』

「そんで、これも」

もう一つ、今度はズボンのポケットから何かを取り出して、私に渡す。
二つ折りの、定期入れのようなもの。開いてみて、私はハッとした。

『警視正:始音海人』

そこには、彼の顔写真と、役職の名前が書かれていた。
疑う余地もない。これは警察手帳だ。しかもこれは、本物だ。
手帳が偽物かどうか、私は入念にチェックしたが、まぎれもなく本物だと確信した。
本物の警察手帳には、身分証明記載枠と名前の間にホログラムのシールが貼られている。
この手帳には……シールがちゃんと貼ってあった。顔写真には、目の前と同じ男がここに写っている。

「……」

絶句した。もはや彼をターゲットと断定せざるを得ない。
ここまで見せられて、逆にどう疑えというのだ。
免許証と手帳は、彼が本当に始音海人という男で、警察官であるということを証明している。

「家に帰れば保険証とかもあるけど、それも見せなきゃダメか?」
「……いい。もう十分」
「信じてもらえたかい?なら、今度は君の名前を聞かせてよ。俺だけ名乗っておいて、君は名乗らないなんて不公平だからな」
「……」

私はどう答えるべきか迷った。名乗らないというのは不審に見られるかもしれない、でもこんな男に名前を教えてもいいのだろうか。
相手が本物の警察であることを知ってしまった以上、行動は普通のターゲットよりも慎重にしなければいけない。
私は考え込むあまり、さっきよりも黙り込んでしまう。

「……グミ。私の名前」

少し考えてから、私はそう答える。グミというのはもちろん偽名だ。
私はいつもこの名前で仕事をしてきた。余談ではあるが、長年そう名乗っているうちに、本名のように思えてきてしまったから不思議である。
本名なんて、名乗ったこともない。だから私の本名は、誰も知らない。誰も。あの悪趣味なサンタの彼女さえも。
知らない、といういい方には少し語弊があるかもしれないが、今は深く触れないでおこう。
私にはまだ、普通の人には明かせない秘密がある。
普通の人が当たり前のように持っているものを、私は持っていない。
だから、私は一生、普通の人と同じ生活をおくることなんてできないのだ。
サンタの監視と、その欠けた部分があるせいで。

「へぇ、変わった名前だね。グミちゃんっていうのか」

彼は珍しそうに、呟く。物珍しそうにしているものの、それっきり、名前について何も深く追及してはこなかった。
だから私も、「まぁね」と適当にうなずいておく。ちゃん付けされることに関しては、少し反論したくもなったが、めんどくさいので黙っておく。

「あ」

彼は、ふっと時計を見ると、何かを思い出したように席を立った。そして、注文したコーヒーをぐいと飲み干す。
それが、今日の別れの合図だった。

「ごめん、俺はもう戻るね。仕事がまだ残ってるんだ」

彼は背広を羽織り、少し苦笑いした。
上下に黒いスーツをまとった彼は、いかにも社会人という感じだ。
一見するとチャラくてふらふらと世間を渡り歩いていそうな感じなのに、背広をまとった瞬間、その印象はガラッと入れ替わる。
まるで社会人みたいだ。あぁ、いや、実際社会人なのか。

「最近あんまり寝れないんだよね。仕事ばっかりで」
「それはどうもご苦労なことで。でもその分、優遇された身なんでしょ?高給取りさんはいいね」

皮肉っぽくいってみる。
そうすると彼は、ちょっとムッとなった。

「やだなぁ、そんな大したもんじゃないって」
「でも警視正でしょ?」
「はは……まぁな」

警視正。それは警察内部の中でも選ばれた、優秀な存在。
警視庁のトップは警視総監、次が警視監、その次が警視長。そしてその次にくるのが、警視正だ。
警視庁の中でもナンバー4といわれる存在。完全なる幹部職。
上に立って多くの人材を動かす、警察の主要人物の一人。そんなのが大したことないって?ふざけてる。
この男は自分の立場というものを理解していないのではないか?

「俺は金より自由な時間が欲しいな。君が俺の立場に立ったら、多分びっくりするぜ?最近は徹夜も多いし、ろくに家にも帰れやしない」

ふああ、とあくびをする彼。本当に眠そうだった。

「そんなに大変なの」
「結構きついね。ちょっとした事件を、一課の人たちに調べさせてるんだ。でも、やっばいね、何にもわからない。お手上げだよね」

彼はこまったように頭をかく。
そうしながら、「もーやっばいね、詰んでるよねこれは」と、苦笑いした。
やばいのはあんたの言葉遣いだろうと思ったが、彼はそんなこと気にした様子もなく、再びあくびをした。

「そんな軽いノリじゃ捕まえられるわけがないでしょ」
「やだな。こんな態度、仕事中とらないよ。俺は本気だ」

すっと目を細めて、海人は私の目を見る。表情が一瞬で真面目なものに変わったものを見て、私はその雰囲気に少し押されそうになった。

「どうして、人は人を殺しちゃうんだろうな」

彼は……――、海人は、静かにそう言った。すこし憂いを帯びた目つきで。

「同じ人間じゃないか。言葉でコミュニケーションだってとれるじゃないか。そんなことできる神経が、俺には分からねえよ」

私は何も言えなかった。私は、人を殺している人間なのだから。
憂いを帯びながらも、彼の真剣に光る目は、この場所ではないどこかを見つめているようだった。

「確かに嫌いな人間は排除したくもなるだろうさ。でも、だから殺すなんて、そんなのは間違ってる。
誰かにとっては嫌われた存在だとしても、悪人だとしても、誰かにとっては大切な存在かもしれないじゃないか」

誰かにとっては嫌われていても、誰かにとっては大切な存在?
私も、そうなんだろうか。世間から忌み嫌われた私でも、大切に思ってくれる人がいるんだろうか?
彼は言葉を続ける。

「世界中の人間全員に嫌われていても、君にとって大切な人が殺されたら、どう思う?」
「私には……わかんない。それほど大切な人なんていないから」
「じゃあ、物でもいいよ。君が昔から大切にしてるもの、それを誰かに壊されたら、どう思う?」
「それは……確かに嫌かも」
「だろ?」

本当は、大切にしている物さえない。面倒だったから、適当に受け流しただけだ。

「人に当てはめても同じさ。殺していい人間なんてこの世にはいないんだ。それが善人にしろ、悪人にしろ、ね。仮に、グミちゃんがどんな悪人だったって、俺は君を殺そうなんて思わない」

またでた、彼の綺麗事。そう思いながら、私は言葉を述べる。嘲笑めいたような笑みで。

「じゃあ聞くけど。もし、私があなたを殺そうって計画を立てていたとして、あなたがそれを知ってしまっても、そんなことが言える?命が狙われていても?」
「あぁ、もちろんさ。殺すか殺さないかで言われたら、答えはもちろん否だ」

半分冗談で、あざけるように言ったつもりだったのに、彼は迷いなく断言する。
そんな馬鹿な。殺すか殺さないかで言われたら、きっと殺すに決まってる。私だったらそうしてしまう。

彼の言葉に、私は若干動揺した。

きっとこの海人という男も同じような意見だと思ったのに。
人間は自分の命が脅かされたら、いつだってエゴイストになれるのに。
私が殺した人間の中には、命を媚びる者が多かったと思う。実際、殺すときは眠っているからわからないんだけど。
少なくとも、人生を投げやりに生きたり、ないがしろにするような人間はいなかった。
そんな人間なら、普通は媚びるだろう。それが当然の反応だ。
多分意識があるとしたら、なんとしてでも生き残ろうとするだろう。
それこそ、他人を盾として犠牲に差し出してでも。

なのにこの男はなんだ?冗談半分で言った言葉なのに、こんなに真摯に受け止めて。
たとえ自分が殺されるとしても、殺すべきじゃない?
どうしてこんなにも私の目を見据えて、自信を持って言えるの?
殺される人間にとっては悪役でも、大切に思ってくれる誰かがいるはずって?

「――っと、やばい」

彼は、再び腕の時計を見やる。

「いい加減戻らないと課員たちに怒られちゃうな。じゃ、またね、グミちゃん。夏祭りの件よろしく」

そう言い残すと、彼は私の前から立ち去る。私は、動揺が隠せないまま、彼の背中を見つめていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ラストバレット。1-5

閲覧数:97

投稿日:2014/08/12 23:56:28

文字数:5,133文字

カテゴリ:小説

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