むかしむかし、あるところに。




<造花の薔薇.エピローグ>




さああ、と言う涼しげな音と共に、冷たい水が薔薇の花を濡らす。

黄の国のかつての王宮の庭。
今や本来の主を失った花園で、一人の男が薔薇の花壇に水をやっていた。

「ご苦労様」

横から掛けられた声に男は振り向き、破顔する。そこにいたのが彼の敬愛する女性だったからだ。

「レオンのおかげでこの庭も綺麗なままなのよね。この薔薇見たさにここに来る人も多い様だし、本来にありがとう」
「いや、メイコさん。俺は元からここで仕事してましたから、まあ普通といった所ですよ。愛着もあるから世話もしてやりたいってだけでね」
「そうよね。ここまで変えてしまわなくて良かったわ」

初夏の青空と、その下を彩る華やかな薔薇達。様々な色が入り交じり、花開ける喜びが庭に満ち溢れているかのようだ。

二人は無言で庭を見渡す。
やがて、男はぽつりと口を開いた。

「カイトさんもついに青の国の王様になったようで。嬉しいですが、大変でしょうね」
「そうね。たまに泣き付きに来るわ」
「泣き…ははっ、それはまたカイトさんらしい」


そこで、男は少し遠い目をした。
ここにいない誰かを見詰めるような、淋しげで懐かしそうな瞳だ。



「…レン坊はどうしたかねえ…」
「レン坊?」



聞き慣れない名前に女性は少し首を傾げる。
男は苦笑しながら、手元の薔薇を一輪切り取った。

「いや、王女付きの召使でね。いつも俺が薔薇を渡してやってた子なんです。あの革命が起きる前に俺やネルが王宮を出て…でも、レンは残った。あいつは何故か王女の事を慕ってましたからね、もしかしたらもう生きてないかもしれないとも思うんですよ」
「…じゃあ今まで連絡はないのね?」
「ないですねえ…」


女性も僅かに目を細めた。
それは男と同じ、今は無き何かを偲ぶ表情だ。


「…そう…」




薔薇の花が風にそよぐ。
色とりどりの波が優しくうねり、世界に彩りを添える。
それはとても美しく、とても静かで―――どこか淋しい風景だった。




「…生きていたら嬉しいわ」



風に紛れそうな程、小さな声。
それを拾った男は、傍らに立つ女性を見た。
彼女は、ただ薔薇の波を見つめている。



「そのレン君が生きていたら、私も嬉しいわ」



ざあ、と風が吹く。
それに負けた花弁が数枚空を舞い、青い空を彩った。

「…そうですか」

暫く女性を見詰めてから、男はまた苦笑した。
先程よりも僅かに優しい、柔らかな笑顔で。

「そう言って貰えるなら、レン坊も喜ぶと思います」

花は黙して語らない。
ただ過ぎていく風にその身を委ねて揺れているだけだ。
それでも時に人はそこに何かを感じる。
声無き声も、誰かに届く。
―――或は、そういうことなのかもしれない。

















「愛することが出来れば愛されることも出来る」
「何かそれ逆じゃないかしら」
「いや、どちらも正しいのでござるよ」
「そういうもの?」
「と、拙者は思っているのでござるが」

チェス盤を挟んで、一組の男女が言葉を交わしていた。
語り合いながらも、互いにその目は真剣そのもので盤上を睨んでいる。恐らく実力が伯仲しているのだろう。

「だからあなたは気付いたのね、あれが弟さんだと」
「可能性は否定し切れなくてな。それにあれは見る人が見れば少年の骨格だと気付くでござる。さすがにごまかすにもぎりぎり、といった年齢でござったからな…と!る、ルカ殿!」

クイーンを動かし、女性は満足そうな笑顔を浮かべた。逆に青年は焦った顔で盤を見渡す。

「お喋りに気を取られるなんて甘いわね。チェックメイトよ」
「…くうっ、詰んでるでござるな…会話で気を逸らすとは、ルカ殿恐るべし」
「次は気をつけなさいね」

にっこりと笑った女性に、青年は不満と感服が半々といった表情を向けた。流石に自分の不注意だったと分かっているのだろう。年齢に似合わず子供っぽい表情に、女性はチェス盤の乗ったテーブルに肘を載せて腕を組んだ。

「王…いえ、あの娘は今どうしているかしらね」
「どうであろう。元気だと良いのでござるが」

青年には結局革命の後にも会うことはなく去っていった、あのまだ年若い少女。
妹や女性からあの時点の無事は聞いていたけれど、彼としてはまさに箱入りのあの少女がその後きちんと生きて行けたのか一抹の不安があ
るのだ。

ただ、その懸念を口にすると居候のこの女性はいつもきっぱりと不安を否定する。

彼女が死んでしまうはずがない、と。


「私達が、国民が憎んだのは…何だったのかしら。彼女だったはずだった。いや、きっと彼女だった。だって権力者ってそういうもの
でしょう」
「そういうもの、とは」
「何かあったときの憎まれ役」
「…むう、大体合ってるでござる」


盤上の駒を丁寧に箱にしまいながら、女性は前に落ちて来た髪を掻き上げた。
あの日から伸ばした髪は、元が長かった分随分な長さになっている。


今やあの悪の娘の治世は過去の物だ。
傷痕は残っていても人々の記憶の中から彼女の存在は薄れつつあり、消えてしまう日もそう遠くはないだろう。
でも、その日が来たとしても、その主人公達に直接関わった彼等は手放しでは喜べない事だろう。

それは僅かな、それでも確かな空虚として彼等の心を満たすに違いない。




「兄ちゃーん、ルカさーん、ご飯できたよ―!」


しばし静寂に満ちたその場に、明るい声が響く。
その声に二人は顔を見合わせ、笑った。

「生きましょうか」
「そうでござるな」

いずれにしろ先の話だ。













ねえ知っていた?
薔薇というのは元々雑草みたいな物だったのよ。
それに人の手が加えられることで、あんなに豪華で美しい花になったの。

だから、本質は皆同じ。
素朴で地味で、強い花。


私は、波に揺られる小瓶をじっと眺めた。
少しずつ少しずつ、遠ざかっていく。

私の願いが届くのならば、どうか伝えてください。
遠くにいる私の弟に、この海に託す涙と少しの後悔と…





……溢れる程の。







そっと呟く。







「もしも生まれ変わるなら」






「その時は、また―――…」









この声がレンに届きますように。
















ありがとう。
ありがとう。

ありがとう。




造花の薔薇は砕けて消えた。
その破片の下から新しい生が芽吹くなんて―――誰が考えただろう。

私は薔薇。
やがて朽ちゆく、野に咲く命。
それは素朴で無数に咲いているから一つ一つの花には目を引くところはそんなに無い。
でも私はこの世に二つとない薔薇の花。
大切な人に生きて欲しいと望まれたから今なお咲いていられる、きっとこの世で一番幸せな命の一つ。



きっと今度こそ、この命を誇って生きていける。







今なら言える。


あなたに、感謝の言葉を。








あの時私を生かしてくれて、ありがとう。











「…あのね、レン。私、ブリオッシュが焼けるようになったのよ」


まだレン程上手くないけど、焼けるようになったのよ。










FIN.

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

造花の薔薇.エピローグ

ひたすら「ありがとう」を言わせたくてエピローグを付けました。
私的にリグレットの歌詞はこんな感じです。



ここまでこのシリーズを見てくださった方、ありがとうございました!

閲覧数:613

投稿日:2010/07/08 14:50:27

文字数:3,022文字

カテゴリ:小説

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  • ありす

    ありす

    ご意見・ご感想

    はじめまして!
    いきなりですが、執筆お疲れ様でした。

    今更かよ、と自分でも思いますが←
    ピアプロの悪ノ小説のなかで、一番好きです!!

    ユーザーブクマさせていただきました。これからも頑張ってください!

    乱文・なんかありきたりな文失礼しました;;

    2010/08/13 15:37:39

    • 翔破

      翔破

      はじめまして!
      ユーザーブクマ!ありがとうございます。
      今更とか乱文とか…いえいえいえ、そんなことないです!
      思っていた以上に長くなってしまったシリーズですが、好きになって頂けたのなら嬉しいです。

      2010/08/13 19:34:35

  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    楽しませていただきました!野に還ったリンが、顔を上げて生きていて、最終回は読んでいて気持ちよかったです。
    現実の世界も守るべき人と正しい考え方の間で板ばさみになることも多い中、苦しんで堕ちて振り回され続けて、それでも最後に光を見ることが出来たリンの足跡が、まるで闇の中を歩く自分に寄り添ってくれるような気がしました。勇気をありがとうございます。そして、執筆お疲れ様でした!

    2010/07/10 22:04:46

    • 翔破

      翔破

      wanitaさん、最後まで読んでくださってありがとうございました!
      何度もコメントして頂けて、その度にとても励みになりました。
      ここまで書けたのも、読んでくださった人がいたからだと思います。
      今後もマイペースに更新していきますので、暇があったらちらっと見て行って下さると嬉しいです。

      2010/07/10 23:31:17

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