UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」
その15「夕闇と盗聴と悪口」
テトの運転で桃を乗せた古いセダンは国道を東に走っていた。夕日が沈みかけて周囲はオレンジに染まっていた。
「上機嫌だね、モモちゃん?」
ハンドルを握り前しか見ていないにも拘らず、テトは桃の表情を把握しているような口振りで聞いた。
事実、桃の口元は先ほどから緩み放しだった。
「ええ? そうですか?」
桃は両手で両方の頬を押さえた。
少し真顔を作ってから、少しため息を吐くと、桃はテトから顔を背けるように窓の外を眺めた。
「前から聞きたかったんだけれど、…」
遠くの信号が黄色に変わって、テトはスピードを落とした。
信号の手前で車が止まって、テトは言葉を続けた。
「テッド君のことはいつから知ってるの?」
「え…と」
そう言ったきり、桃は口を閉ざした。
信号が青に変わって、車は動き出した。
「いや、言いたくないんなら、別にいいけどさ」
「いえ、そんなことはないです。ただ…」
「ただ?」
「もう少し、待ってもらえます? 上手くいったら、お話しします」
「ふーん」
車は、細い路地を左折して入った。
暫く一戸建ての並ぶ通りを走って視界が開けると、道路は小高い丘に続いていた。
丘の上にコンクリートを打ちっぱなしの壁面の建物がそびえ立っていた。
ほとんどの窓の灯りは消えていて、一階の入り口と三階の端の窓の灯りが点いていた。
「博士は、まだやってるみたいだね」
車は丘の頂上に着いた。道はまだ丘の向こう側に下っていたが、道路の右側には門があった。その門と塀に囲まれた敷地の中に研究所があった。
テトはハンドルを右に切って、門を真正面に捉えた。数メートル進んで門の手前1メートルで車を止めると、桃はセカンドバックからカードを取り出して翳した。
門は自動的に開いた。
車が中に入ると、門は静かに閉じた。
建物の入り口まで車を進め、テトは桃を下ろした。
「じゃ、また、明日」
「はい」
桃は車を降りかけて、足を止めた。
「テトさん、アパートに戻られます?」
「そうする。洗濯ものが溜まってるから」
それを聞いた桃の顔に安堵の色が浮かんだ。
「じゃあ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
桃がドアを閉めると、テトは軽く手を挙げ、車を走らせた。
「順調なのかなあ。まだ、二日目なんだが…」
テトは一人、呟いてみた。
バックミラーの奥に桃は映っていない。もう中に入ってしまったようだった。
門の前でテトは一時停止した。今度はカードを翳すことなく、門が開いた。
車は丘の向こうに下って、カーブを曲がり、研究所から見えなくなったところで止まった。
「やれやれ」
テトは車を降りると、ボンネットを開けた。
エンジンやラジエーターやバッテリーが鎮座している奥にテトは手を突っ込んだ。
ぶちっと千切れるような音がして、テトは手を引いた。手の中の小さな部品を見て、テトはぎゅっと握り潰した。
「まず、ひとつ目」
テトは車の中に戻って鍵を掛けた。
次にダッシュボードを開けてドライバーを取り出した。そのドライバーでルームランプのカバーを外すと、中の電球を外して、外に投げ捨てた。
「二つ目」
その次にハンドルの下を覗きこむと、黒いガムテープを剥がし、隠れていた小さな箱をガムテープと一緒に窓の外へ放り投げた。
「三つ目」
テトは少しの間耳を澄ませてから、車をスタートさせた。
〇
男が二人乗った車が夕闇に溶け込んでいた。
助手席の男はダッシュボードを大きな音を立てて叩いた。
「チクショウめ! あの『若づくり女』、車の中の盗聴器を全部、捨てやがった!」
その車は研究所に通じる道とは一本筋の違う隣の丘の上に止まっていた。
助手席の男はカナル式のヘッドホンを外すと忌々しそうに腕を組んで天井を仰いだ。
運転席の男もイヤホンを外すと、耳の穴を小指でほじりながら残念そうに頷いた。
「一筋縄では、いかないですねえ」
助手席の男はぶすっとした表情でリクライニングシートを倒した。
「しかも、話してる内容が、ただの女子トークでは、また怒られますね」
運転席の男は自嘲気味に口元を上げた。
「課長に、か…」
助手席の男は上半身を起こして、ヘッドホンを嵌め直した。
男はダッシュボードの上のノートパソコンを開いて、操作した。
運転席の男は首をかしげた。
「聞き直してどうするんです?」
「課長に言われてたんだ。あの『若づくり女』が、どんな手段で我々の盗聴を妨害するのかだけでも確認できれば…」
今度は運転席の男がシートを倒して、大きく伸びをした。
「先輩、真面目ですねえ」
その言葉を顧みることなく、助手席の男はパソコンを操作していた。
男はUSBメモリースティックをパソコンに挿すとファイルをいくつかコピーした。それが完了すると、ただちにUSBメモリースティックを抜き、それを運転席の男に渡した。
「ん、なんですか?」
「念のため、持ってろ。あとで分析班に回せ」
受け取った男は、それをジーンズのポケットに入れた。
その時、窓ガラスがノックされた。
運転席の男が外に目をやると婦警が立っていた。周囲は夕闇が夜に変わっていて、そう見えたというのが正解だろう。
運転席の男は怪しまれないよう、窓を開けて応対した。
「はい。なんですか?」
「困りますねえ」
若い女の声に、意外そうな顔を浮かべたが、運転席の男はサイドブレーキを外して車が動けるようにした。
「はあ、すぐに動かしますから」
「いや、そうじゃあなくて」
運転席の男は目の前の女性が婦警ではないことに気付いた。
「誰だ、おまえ?」
助手席の男は、運転席の男の脇を突いて、すぐに発車するよう合図を送った。
「はっ」
女性の声が不機嫌な色に変わった。
「人のことを散々、いきおくれの、干からびた、『若づくり女』とか言ってたくせに!」
開いた窓からテトが顔を突っ込んだ。
運転席の男は動揺し、助手席の男は顔を強ばらせた。
「この顔を忘れたとは、言わせないわよ!」
動揺した男はアクセルを踏んで急発進しようとした。
その瞬間、クラッチを繋ぎ損ねたように、車がガクンと揺れてエンジンが止まった。
運転席の男はエンジンを始動させようとキーをひねった。
セルモーターの回る音はするが、エンジンは息を吹き返さなかった。
運転席の男は少し涙目になって、助手席の男を振り返った。
「何の用だ?」
助手席の男は殺気をこめた視線をテトに送った。
「あら、また、会ったわね」
テトは、軽く右手を上げて、懐かしそうに笑顔を作った。
男は舌打ちしてきた口を開いた。
「だから、なんだ?」
ふふんと、勝ち誇ったようにテトは鼻を鳴らした。
「盗聴なんて、いい加減、やめたら?」
「なんのことか、わからん」
「そのパソコンにデータが入ってるんでしょ?」
男は不機嫌そうに鼻を鳴らし、ダッシュボードの上に乗ったパソコンを持ち上げ、テトに差し出そうとした。
「日中、ずっと車内に起きっぱなしにしたら、データが全部消えてしまった。見てみるか?」
「ふーん」
テトは、無表情になって、男たちを交互に見つめた。
「まあ、いいわ」
テトは静かに窓から離れた。
テトは何かを思い出したようにぱっと明るい顔になった。
「あ、そうだ。知ってる?」
「なんだ?」
男の声はテトを追い払おうとしていた。
「テラバイトクラスのハードディスクを一瞬で消去する技術は、うちの博士の特許なんだよ」
その言葉を残して、テトが闇の中に溶けて消えた。
「何が言いたいんだ、あの女?」
助手席の男は再びリクライニングを倒すと、腹の上にパソコンを起き、背伸びをした。
「先輩、あれが現代の妖怪ですか?」
運転席の男は少し青ざめた顔に笑顔を浮かべて助手席を振り返った。
ふっと男の口から笑みが漏れた。
「そうだな」
男は上半身を起こしてパソコンをダッシュボードに戻した。またすぐに体を倒した。
「これからどうします?」
「エンジン、かけてみろよ」
「え?」
運転席の男は半信半疑でキーを回した。セルモーターの回る音とともに、車が震動し、エンジンがノイズを出し始めた。
「かかった…」
「やはりな」
「知ってたんですか?」
「いや。そんな気がしただけだ」
「ああ、よかった。JAFか保険会社に電話しないといけないのかと…」
「どうせ、あの、『いき遅れて干からびた若作り女』の仕業だろう」
「ぷっ。酷いですよ、先輩」
「現代の妖怪と言ったのは、おまえだ。それに…」
男はペットボトルの水を一口飲んで、話し続けた。
「『いきおくれ』と『干からびた』は、あの女が言い出したことだ」
「え、そうでしたっけ?」
男は前を指さした。
「まあ、いい。帰るぞ」
「はい」
男たちの車は静かに動き始めた。
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