一、ルカ

「カサブランカよ、『白い家』。見たままでしょう?」
ママがひとりで切り盛りしていた頃からずっとそう呼ばれているの。
あの頃はまだ小さな店で、テラス席もなかったから、席数は今の半分にもならなかった。でも、昔も今も、お腹をすかせた水夫さんたちの店であることに変わりはない。出すのはさほど珍しくもない家庭料理だけど、なにしろ、盛りは大きく作りたて!それがうちの法律だ。
「おすすめ?そうね、テキーラとライムでどう?」
カウンター席のお客さんに答えながら、手では並んだグラスにドリンクを準備しつつ、横目で店内を見渡した。満席のホールから消えていたメイコが、声を上げながら奥から小走りに出てくるところだ。
「オリバー!ミラーズに買い物行って来て、急いでるって言ってね。はい、これ持って」
……なにか切らしたのね。小さく買い足すと高くつくのよね。
お金のことをしているのは私だからつい気になってしまうけど、メイコの大雑把は大胆さの裏返し、そのくらいでないと女が店を回すには不都合もあるんだって、私だってわからないわけじゃない。
「……ええ?ダブルだけど、だってそのくらい飲むでしょう? そうよあれが姉さん、どこかで聞いていらしたの? 今日ね、いい牛テールが入ってるから、迷ってるならそれにするといいわ。ちょっと失礼、呼ばれてる」

 今夜も店は大忙しで、グラスを上げたり下げたり、注文を厨房に送ったり、まったく息つく暇もない。自分で言うのもおかしいけど、美人姉妹の店として少しは有名なの。ご機嫌取りのプレゼントが競い合って山と積まれたこともあったわ。うちはそういう店じゃないのと怒ったメイコが「チップ絶対禁止」をうちの法律に加えてからは、少しは平和になったけど。
「……はい、ええ、肉ならワニのフライもあるけど、内陸の人はお嫌いでしょう。魚のスープ、フィジョアーダのバナナ付き、ピクルス、ホワイトソースのチキンパイとか。デザートならライスプディングもあるわよ」
料理はもともとすべて母が、次には姉が作っていたけれど今はこの様子。さすがに手が回らなくなって厨房も人を雇っている。地元の大男で、うちじゃソングマンって呼んでるのだけど、それは彼が大変な無口で、鼻歌の他には一週間も喋らないほどだからだ。人柄は優しくて力があるから、大きい肉も扱えるようになったし、お客さんがもめた時にも頼りになる。なくてはならない仲間だ。さっき買い物に出された手伝いのオリバーはまだほんの少年だけれど、ここではソングマンより先輩で、たいていの仕事は心得ている。……本来は、働くような年齢ではないのだけれど、家庭に事情がある子どもはどこにだっているものだ。私たちはあの子が可愛いくて、してあげられることは限られているから……なるべく、子供扱いしないのだ。
「……はーい今!」


 注文の行き違いで浮いたソルティドッグを、手持ち無沙汰そうな別のお客さんに付けて戻るとふいにぽっかり時間が空いた。向こうでは、数年来の常連にハグを求められて応えたメイコがその太い腕を思い切りつねって野太い悲鳴を上げさせている。何があったかは想像するまでもない。
「……あんたね、友情に侮辱で報いようっての?」
喧騒で言葉は聞こえないが、きっとそのようなことを言っているのだろう。ああなった時、周りはたいていメイコの味方だから心配はない。

 運河の街で降りる船乗りたちは、地球の裏側ほども遠いところから、世界の全てと言ってもいいような様々な積荷といっしょにやってくる。ああして、毎日のように再会を祝うけれど、本当は、そのひとつひとつが奇跡みたいな偶然の賜物なのだ。
私とメイコは似ていない姉妹だ。
白い肌で青い目の私と、ナッツ色の肌をいつも日に焼いている黒い目のメイコと。運河通りのおきまりの通り、別々の船乗りの種なのだ。
パパたちは、わたしたちがまだほんの少女でママも元気だった頃は、いつやらの船に乗って突然現れては、抱っこしてくれたり、ガラスのアクセサリーやお人形をたくさん買ってくれたりしたものだけど、いつしかその足は途絶えて、もう十年も見かけていない。
……ふたりは、ママが死んだことも知らないのではないかしら。それともとっくに船乗り仲間から聞き知っていて、それで、来なくなってしまったのかしら。
メイコも私ももう子供ではないし、どんな約束があるわけでもない。それでも、ふとしたときに考えてしまう。

 ……あの入り口を、同じ船から降りた水夫たちにまぎれて入ってくる。
メイコはうっかりしているから、忙しさのあまり顔も見ずに適当に席を割り振るかもしれない。だからグラスから顔を上げて私が気づくんだわ。特に、黒髪の穏やかな目をしたメイコのパパは控えめだから、気がつかなかったら誰かも明かさず食事だけして帰ってしまうかもしれない。だからとても注意が必要よ。そして、左腕に大きな魚のタトゥーがあったら、それが私のパパ。ママが右腕に同じものを入れていたから、一目見たら絶対に間違わないんだけど!
私は、黙ってパパを奥の一番いい席に案内して、注文を受ける前に、お決まりの料理を出すでしょう。まずはロックでラム酒。オクラのスープとオイスター、ケイジャンチキンに魚の煮込み。アイスクリームにコーヒーまで。そして忙しい時間が過ぎたら、少しだけ、積もる話をするの。
料理の味は変わらないねって言ってくれるかしら、私たちが、大人になって見違えたっていうかしら。翌日は、ママのお墓に行く約束をして、それで…………、
なんてね。考えたって、詮無いことなのにね。

さあ!こんなことしている場合じゃないわ。
「テキーラ三つね、お持ちになってどうぞ!」


(続)

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ウェルカムカナルストリート(1/2)

運河の街でメイコとルカが食堂をしている小説です。
korby(畑中洋光)さんの曲とコラボしています。
【動画】http://www.nicovideo.jp/watch/sm33470731
【曲のみ】http://piapro.jp/t/1j52
【PDFブックレット】https://tmym.booth.pm/items/925564
合わせておたのしみいただけたら幸い。

閲覧数:514

投稿日:2018/07/07 19:19:03

文字数:2,349文字

カテゴリ:小説

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