3月6日。
PM6時10分

「305」と書かれたナンバープレートが、扉の脇の壁に貼りついている。
ナンバーの下には、黒いマジックで「弱音ハク様」と書かれていた。
その病室の患者の名前であり、中学の時からの友達の名前でもあった。

デルはその病室の扉を軽くノックすると、片手に持った分厚い雑誌の束を抱え直す。

「ど、どうぞー」

数秒待つと、中から少し緊張しているような声がした。
デルはスライド式のドアを開け、静かにその病室に入る。

「よっ、元気?」

雑誌を持っていない片方の手を上げ、軽く陽気に挨拶する。
病室の女性は、やはり少し緊張ぎみだったが、デルの姿を見るなり表情を柔らかくほころばせた。

「あ、デル~、久しぶり~」
「おう。ほれ、今日の見舞い品」

そう言って片手に持った分厚い雑誌をベッドの下の床に置く。

「うわ、なんだかいっぱいあるね。どうしてこんなに?」
「んー、まぁなんだ、ここんとこ二週間くらい来れなかったし、その分の埋め合わせ的なもんかな」

たくさんの雑誌の中には、漫画やら、小説やらが混ざっている。そのジャンルも滅茶苦茶だ。
SFだったり、ミステリーだったり、恋愛ものだったり、コメディだったり。

ハクはよく、暇つぶしとしてこのベッドで本を読んでいた。
ハク曰く、「暇つぶしになるのなら本の種類は何でもいい」らしく、どの本でも一度ページをめくると、読み終わるまで熱心に読みふけっていた。
知的好奇心が強いと言うよりは、おそらく本当にただの暇つぶしなのだろう。
たまにマニアックな本で覚えた事を俺に話す事もあって、この間なんかは太陽系の果ての果てにある、なんだか良く分からない小さな惑星の危険性について語っていた。

6000年後にはこの惑星が地球に衝突する。大昔に衝突した隕石のように、被害は甚大なものになる。まず硫酸の成分を含んだ分厚い雲が世界を覆いつくし、日光は届かず、農作物は枯れ果てて、死の雨が降り、やがては人類も消滅してしまう。
なんて、いかにもフィクションみたいな事を真剣な顔で言ってのけたのだった。

……まぁその仮説は、本当だとしたら恐ろしいものだとは思う、が。
仮にその話が本当だとしてもだ、6000年後には地球の人類はもうすでに絶滅しているんじゃなかろうか?
というか、地球が存在しているのかさえ分からない。

そう突っ込んだら、怒られた。

『そんなの、個人の考え方によるもん!!』

端から見ればハクは大人な美人と言えるほど整った顔立ちをしていて、振る舞いも大人っぽい。そのために、実年齢よりも年上に見られる事は多かった。
だが、こうやって一つの推論をムキになって反論しているハクは、両手を子供みたいに振り回して、無邪気で、清らかな純真さが感じられた。
怒った時のハクは本当に子供のようになる。それは昔から変わっていなかった。

『ポジティブに考えるかネガティブに考えるかで変わるんだから!』

そんな風に、頬を可愛らしく膨らませて、腕組みをして、俺に何度も何度も小さな惑星の危険性を訴えていた。



「こんなに読み切るかなぁ……」

ハクは、腕組みをして床にある雑誌の束を見つめる。
その雑誌やら漫画は15冊くらいはある。

「ハクなら、3日くらいで全部読み切るだろ?」

何しろ一日中病院にいるのだから。
普通の年頃の女の子みたいに、ファッションとか髪に気を遣う事も出来ないし、携帯ゲームとかやる事も出来ないのだ。
やることと言ったら、テレビを見るか本を読むか、それくらいのことしかない。
そして、ハクはテレビを見るより、断然本を読む方が好きだった。

「ううん、どうだろ。最近検査とか色々厳しくってさ。基礎代謝がどうのこうのとか……。
よく分からないけど、最低でも一日一時間は運動しないといけないんだ」
「運動って、どんな?」
「病院内を、ウォーキングするの。これがまたきついんだよ」
「そうか?ウォーキングくらい、どうってことないだろ?」
「あ、デル、今病人を軽視したー。
体力のない私にとってウォーキングという作業がどれくらいこたえるか知らないでしょう?」
「そ、そんな辛いのか?」

ハクはジト目でこちらを見る。

「辛いよ。特に階段を上ったり下りたりする時なんかは。繰り返してるうちに、最後の方はもう足が痛くなっちゃうんだ」

そう言って、ハクは右の腿をさすった。

「そ、そか、悪い」
「ううん、別にいいよ。病人扱いされたらされたで、なんかムッと来ちゃうし」
「結局、どう扱えばいいんだよ」

デルは苦笑いしながら言う。
それにつられて、ハクも微笑した。

「てか、高校時代のハクが今のお前を見たら、バカにされちまうんじゃないか?」
「かもね」

もう2年近くも入退院を繰り返しているハクにとっては、病院という場所はあまりに狭く、あまり激しい運動も出来ない。
当然ながら、入院前にあったハクの体力は落ち、ほとんど筋肉のない身体となってしまった。
入院前のハクは、そこそこ体力も元気もあり、どちらかというと運動系の女子で、足が誰より速かったというのに。

「学校のマラソン大会じゃ、中学、高校と並んで、お前いっつも上位だったもんな」
「あぁ……確かそうだったね。中二の時は6位にまで上り詰めたんだっけ。で、中三の時が2位で……、――デルは分からないかもだけど、あの時って1位の人と接戦繰り広げてたんだよ?アレは惜しかったなぁ……」
「いや、俺から見たら2位もすげーと思うぞ?」
「そう?私、走る事しか取り柄がなかったから、マラソンくらいは一位になりたかったんだよね。それなりのプライドってものがあったから。なんか、こう思い出すと懐かしいなぁ……意地になってたあの頃っていうのがさ」

そう言って、ハクは窓の外を見つめる。
窓の外には、まるで星のように煌びやかに光を放つ街と、白く輝く三日月が見えた。

しばらくデルもハクにならって窓の外を眺めた。
街の建物一つ一つが蛍のように光を放っている。赤い光、青い光、白い光。店や建物によって、光の大きさ、色は様々だ。
カラフルに光輝く夜の街は、天上の月や星より光輝いている。
それを見ると、なんだか昔を思い出す。10年前に比べると、ここも随分変わったものだ。

不意にハクが言った。

「ねぇ、デル。話変わるけど、明日ってやっぱ晴れるかな?」
「え?多分晴れるんじゃないか?天気予報では『これから4月になっていくにつれて暖かい陽気が続いていくでしょう』なんて、今朝も言ってたし」
「ふぅん。去年と同じ事言うんだね、気象庁も。そんな事言ってまた大雨が街を直撃したら、気象庁の信頼が危ういのに」

ハクは微笑みながら言った。

「あぁ……、去年のアレみたいに?」

去年の春。大雨が東京を中心として、関東全域をゲリラ豪雨が襲いかかった。
まぁ一日二日の出来事ならまだいいのだが、驚いたのはそれが約1ヶ月間も続いた事だ。
断続的に雨が街を襲い、まるで関東全部が雨に飲み込まれてしまうかのようだった。

1か月たち、「もう雨は降らないだろう」と気象庁が決定づけた時には、コンクリートの道路は水溜りだらけ、土はぬかるみまくって、とても歩けたものではなかった。
突然の迷惑すぎる自然現象だった。まぁ当然ながらその時の印象もかなり強く残っているわけで。

ちなみに、その印象的な出来事は通称「春ゲリラ」なんて呼ばれている。
その理由は言うまでもなく、春の季節にゲリラ豪雨が降ったことによるからだ。
実に単純明快なネーミングセンスだとは思う。しかしそれ故に、去年の流行語大賞に輝いてしまったほどだった。

「あんな事が起こったら、もう外でねぇ。俺は雨雲なんかよりおてんとさんが見たいんだよ」

ぶっきらぼうに言うと、何が面白かったのかハクがくすくすと笑う。
そして切なげに、

「どうせなら、私は雪の方がみたいかも」

と言った。

「雪?なんでまた?」
「だって最近、冬になっても雪が全然降らないもん」

あ、そういえば。

ハクに言われて思い出したが、そういえばここのところ全く雪が降っていない。
どんなに気温が下がった日でも、雪は降る事がなかった。

最後に雪を見たのは、確か中1の頃だったような。

「もう10年は降ってないんじゃないかな。……多分、今年も降らないよ。せめて――」

窓の外の景色を眺めながらそこまで言いかけた時、ハクはハッとして口をつぐんだ。

「せめて……なんだ?」
「ううん、何でもない」

そう言ってハクは笑った。
何故か、その笑顔は取り繕っているように見えた。

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  • この作品を改変しないで下さい

三月の雪 1/9

今日は9分の3までうpします。徐々にアップしていくよ!

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投稿日:2011/04/04 12:18:47

文字数:3,551文字

カテゴリ:小説

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