その日の夜、俺は電話で兄と話をした。内容は当然、今日のことである。
「やれやれ……それは、気が滅入るな。自分より年下の義母か。そんなドラマみたいなことが起きるとは」
 電話口の向こうで、兄は呆れを含んだ声をあげている。
「滅入るなんてもんじゃない。お義父さんは、一体何を考えているんだか」
「あれだろ。畳と女房は新しい方がいいって奴だ。もっともお前は婿だから、そういうことは無理だろうがな」
 怒鳴りそうになったが、必死でこらえた。兄に怒鳴っても仕方がない。
「それよりガクト、お前、気をつけろよ」
 不意に、兄はそう言った。気をつける? 何を? ルカがこの話で気分を害して、義父なり再婚相手なりを刺したりしないかということだろうか。幾らなんでもそれは考えすぎだ。
「ルカのことなら大丈夫だ。今も落ち着いている」
「バカ、ルカさんのことじゃない。お前の話をしているんだ。いいか、会社の中で、できるだけ味方を増やしておけよ」
 兄は、妙な話を始めた。
「何のことだ?」
「お前、わからないのか? そのサトミさんとやらは、まだ二十代の前半。巡音のお父さんだってまだ五十代だ」
「で?」
 義父の年齢ぐらい憶えている。義兄は一体、何が言いたいのだろうか。
「つまり、お前の立場が危うくなりかけているってことだ。そのサトミさんとやらが、男の子を産むかもしれないってことだよ」
 ルカに、新しい兄弟ができる……? その可能性はあるだろうが……。
「それは考えすぎだろう。それに今から子供が生まれたとしても、成人するまで二十年以上ある」
「……俺もそう思いたいが、人間、親子の情が絡むと変な方向に行くことがあるからな。用心に越したことはない。できるだけ力をつけて、『お前が後継者』だと、周りに認められるようになっておけ。それが、お前のためだ」
 俺は複雑な気分になった。兄の言うことには、確かに一理ある。
「俺としては、別にお前が出戻ってきても構わないがな。ただルカさんからすれば、自分の夫が追い出されるようなことになるのは、嫌なんじゃないか? とにかく、ルカさんとミカちゃんのことを第一に考えろ。な?」
 結婚したのは俺の方が先だが、兄はどこまで行っても兄らしい。少々面白くない気分ではあったが、俺は礼を言って電話を切った。


 それからまた数ヶ月して、兄の懸念は現実になった。サトミさんが男の子を産んだのだ。生まれた時期を計算すると、挨拶に来た時には、彼女のお腹には義父の子がいたことになる。
 ……二度続けてデキ婚か。ルカの父親を悪く言いたくはないが、どうにも下半身に問題を抱えているとしか思えない。一方義父は上機嫌だった。息子を見に来いと言われたが、出産直後はむしろ迷惑でしょうと、丁重に断った。
 というか、どういう表情をして会えばいいのだろうか。俺にはさっぱりわからないし、ルカだってそうだろう。
 義父に対する苛立ちを抱えていたある日、俺は義父に誘われて飲みに付き合った。義父は酒は弱い方ですぐ酔うのだが、飲むこと自体は好きだったりする。その日もウィスキー一杯で酔いが回った義父は、機嫌良く歌など歌いだした。酔っ払いの歌は、聞くのが苦痛だ。
「……やっぱり男の子を作っていた方がいいぞ。ルカにも、次は男を産めと言っておけ」
 義父は歌うのをやめると、突然そんなことを言ってきた。酔っ払いに理屈は通じない。頭ではわかっているが、それでも面白くなかった。
「子供は天からの授かり物です。元気に生まれてくれるのが一番ですよ」
 ちなみにミカはこの前初めてちゃんと喋ったのだが、ちょうど俺があやしていた時だったせいか、最初の言葉は「とーたん」だった。俺がどれだけ感激したか、筆舌に尽くしがたい。こんな可愛い娘が将来成長して嫁に行くのかと思うと、それだけで複雑な気分になってくる。いっそミカに婿を取ってもらおうか。
「大体、男女の産み分けなんてどうやってするんです」
「そんなの知るか……ルミもショウコも娘ばかり産みやがって……」
 突然聞きなれない名前が出てきたので、俺は混乱した。ルミというのは、ルカの実母だ。だがショウコというのは、誰のことだ? 義母の名はカエだったはずだ。
「ショウコとは誰なんですか?」
「ショウコか? あいつは本当に最悪だった……俺の子を妊娠したというから結婚してやったんだが、娘ばかり産んだ上に、男を作りやがった……」
 義父は焦点のあわない目で、吐き捨てるように言うと、また酒を煽った。一方、俺は聞かされた話で混乱していた。妊娠したから結婚ということはデキ婚だ。ルカは長女で、姉はいない。ということは……。
「じゃあ、カエさんの産んだ子はリンちゃんだけ……?」
「カエは石女だ。お前はそんなことも知らんのか」
 知っているわけがない。それに、石女というのは差別用語ではなかったのか。酒が入っているとはいえ、そういう言葉を口に出すのはどうかと思う。
 いや問題はそこではない。今の話を総合すると、義父は三度結婚していて、ハクさんもリンちゃんも義母が産んだ子ではないということになる。
 ここで、俺はずっと勘違いをしていたことに気がついた。リンちゃんが生まれた時期とルカの実母が亡くなった時期は一緒だ。リンちゃんが義母の子でないのなら、義母がルカの母の死を知っているはずがない。
 胃の辺りが冷たくなったような感覚に襲われる。俺は、義母に対して失礼なことをしてしまった。……これはまずい。謝らないと。
「全くカエときたら、子供も産めないくせに口出しばかりしおって……」
 義父はその後、くだくだとよくわからない説教をしていたが、俺はそれを聞き流しながら、これからどうしたらいいかを考えていた。


 きちんと話をしよう。だけどどうやって? 電話でするには複雑すぎる話だ。やはり、直接会っての方がいいだろう。
 俺は電話でアポイントを取ろうとしたが、いざかけようとすると、言葉が出てこなかった。……情けない。
 結局俺は、休日に義母の家まで出かけてしまうことにした。ミカも連れて行くことにする。ルカには本当のことは言えないので、「今日は一日、父親の日にする」と、適当な嘘をついてしまった。ルカはとくに疑いもせず「いってらっしゃい」と送り出してくれた。
 以前教えてもらった住所を確認し、車で義母の家に向かう。後部座席に置いたチャイルドシートに座らせたミカは、幸い泣き叫びもせず、いい子にしていてくれた。
 義母の家から一番近いコインパーキングに車を停めると、俺はミカを抱き上げて義母の家に向かった。……来るのは初めてだ。義母が義父と離婚してからというもの、交流はほぼ途絶えたような状態になっていた。ルカは義母に会いたがらなかったし、それは俺も同じだった。
 目の前の家は、ごくごく普通に見える。俺は深く息を吸い込むと、インターホンを押した。程なくして。
「どなた……え、ガクトさん?」
 義母の驚いた声が聞こえて来た。すぐにドアが開き、義母が顔を覗かせる。
「一体どうしたんですか?」
「すいません急に訪ねてきて。話したいことがあるんです。ほら、ミカ。おばあちゃんだぞ」
 俺が差し出したミカを、義母は笑顔で抱き取った。
「ミカちゃん、大きくなったわね。立ち話も何ですから、あがってください」
 薦められるままに、俺は家の中に入った。そのまま、居間とおぼしき部屋に通される。
「とりあえずかけてください。飲むものを用意しますね。ミカちゃん、ミルクとオレンジジュース、どっちがいい?」
「じゃあ、ミルクを」
 義母はミカを俺に返すと、台所に行ってしまった。俺は落ち着かない気分で、居間を見回す。どちらかというと落ち着いた内装だ。やや雑然としているが、いきなり尋ねてきたのだから仕方がないだろう。壁に額に入った写真が何枚かかけてある。見ると、半分以上がルカやリンちゃんが映ったものだった。
「お待たせしました」
 義母が戻ってきた。俺の前に紅茶のカップを、ミカの前にはミルクの入ったコップを置く。
「ミカちゃんは、もう一人で飲めるかしら?」
「ええ、こぼしてばかりいますが」
「なら、これを使いましょうね」
 義母がガーゼをミカの首の周りに器用に巻きつけてくれた。
「どうぞ抱いていてください。ミカもおばあちゃんがいいよな?」
 俺がそう言ったので、義母はミカを自分の膝に乗せて、ミルクのコップを持たせた。
「それでガクトさん、話というのは?」
「ああ、ええと、その……」
 俺は頭をかいた。謝ろうと思って来たのだが、何と言えばいい? ルカの実母を追い出した泥棒猫と間違えてすみませんでした、と言うのは、さすがに抵抗がある。
 まずは、前提から話した方がいいだろうか。
「実は……もう大分前になるのですが、義父が突然再婚したんです」
 義母は唖然とした表情になった。どうやら、義母のところには連絡は行ってなかったらしい。ハクさんとリンちゃんごと、縁を切ったというのは本気だったようだ。
「再婚って……どこの、どんな人と」
「サトミという女性なんですが、何をしていた人なのかまでは訊けませんでした。で、そのサトミさんなんですが……リンちゃんと同じぐらいの年齢なんです」
 義母はますます呆気に取られた表情になった。元夫が自分の娘ぐらいの女性と一緒になったのだから、驚くのは仕方がないだろう。
「しかもその女性が妊娠中というおまけつきで、先日、男の子を出産しました」
 義母はもう言葉も出てこないみたいだった。それから、気遣わしげな手つきでミカの髪を撫でる。
「それで……まさかとは思いますけど、ガクトさん、あなたに出て行けと言い出したのでしょうか?」
 兄と同じようなことを、義母は訊いてきた。それは違うと、義母の問いに答える。
「ルカはどうしています?」
「……義父が離婚と再婚を繰り返すのはいつものことだから、もう慣れたと」
 俺の答えを聞いた義母は、複雑そうな表情になった。
「で、俺としては、その……お義母さんに謝りたくて……」
 義母が怪訝そうな表情でこちらを見る。俺は義母に向かって頭を下げた。
「誤解していたんです。ルカの実母を追い出したのはあなただと」
「追い出したって……?」
 俺はあったことを説明した。ルカを実母に会わせてやりたくて、母親の実家を探したこと。そしてたどり着いたルカの伯母のスミさんに、何が起きたのかを聞いたことを。
 話を聞き終えた義母は、驚愕の表情で絶句してしまった。どうやら、義父は義母には何も話していなかったらしい。
「義父はハクさんとリンちゃんはお義母さんが連れて行ったようなことを言っていたので、二人ともお義母さんの子供なのだと思ったんです。ルカは離婚したと聞いても、全くショックを受けていませんでしたし……本当にすみませんでした、妙なことを言ってしまって」
 俺はもう一度頭を下げた。義母はというと、難しい表情で考え込んでいる。……どんな人だって、不快な気持ちになるだろう。
「……ガクトさん、その話、まだルカにはしていないんですね?」
 義母の口調に、責めるような響きはなく、確認するような感じだった。俺は頷いた。ルカには、まだ何も言っていない。実母が亡くなっていることも、離婚した理由も。
「そうですか……でしたら、お願いします。あの人とショウコさんが不倫して、それが原因でルミさんと離婚したということを、誰にも話さないでほしいんです。もちろん、ルカにも」
 俺は驚いて義母を見た。義父の前妻とのことは、義母とは関係ないことなのではないか?
「一体どうして……?」
 義母は視線を伏せた。
「ハクとリンにその話を知らせたくないんです。お願いです、黙っていてください」
 頭を下げられてしまった。俺ははっとなった。俺は今までルカのことで頭がいっぱいで、ハクさんやリンちゃんの気持ちまで考えられなかった。二人にとって、ショウコさんという人は実の母親だ。実の母が異母姉の母を追い出したなんてことを知ったら、二人ともショックを受けるだろう。
「わかりました……この話は誰にもしません。ですから、頭をあげてください」
 義母は顔を上げた。ほっとした表情をしている。その時、ドアが開く音がした。
「カエさん、ただいま」
 入ってきたのは、ルカより少し年下ぐらいに見える女性だった。ただいま、と言ったところをみると……。
「ハク、お帰りなさい。ガクトさんがいらしているの」
 やはりそうか。ルカの妹のハクさんは、驚いて立ちつくした。
「あ……えーと、初めまして。ハクです」
 緊張した表情で、ハクさんは俺に挨拶した。ルカと結婚してもう三年だが、ハクさんに会うのが初めてというのも奇異な話だ。俺はとりあえず、「初めまして」と挨拶した。
「で、この子がミカちゃん。ルカの娘。だから、ハクの姪になるのね」
「こんにちは、ミカちゃん」
 ぎこちない様子でハクさんはミカに挨拶をすると、「あたし、部屋で復習するから」と、居間を出て行ってしまった。
「……ハクさんは、身体の方はもういいんですか?」
 確かずっと療養中で、それで俺とルカの結婚式にも出られなかったはずだ。だが、ついさっき会った彼女は、病弱そうには見えない。
「え? あ……ええ、もうすっかり。今は遅れている勉強を取り戻しているところです」
 そうか、それなら良かった。そう言えば、リンちゃんはどうしているのだろう。
「リンちゃんは?」
「リンは外国で勉強しています」
 リンちゃんは留学したのか。俺が知らない間に、色々あったようだ。


 俺は午後いっぱいを義母の家に過ごして、それから帰った。義母は別れ際に「またいつでもいらして。今度は、ルカも一緒だと嬉しいわ」と言ってくれた。俺の方からも、いつでも来ていいと告げておく。
 家への帰路の途中、俺はルカに話をしようかどうか考えた。……義母のところに行った話をすると、何をしに行ったのか、何故ルカを置いて行ったのかを説明しなければならなくなる。
 俺は結局、今日のことは伏せておくことにした。ルカにはもともと何も話していないのだ。ルカの実両親の離婚の理由も、義父の二度目の結婚の内情も、俺が義母についてひどい勘違いをしていたことも、黙っていよう。世の中には、知らない方がいいこともあるのだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その三十六【知らなくてもいいこと】後編

 ルカさん関連の外伝ですが、いくつかに分けることにします。
 なんか妙に親バカになったな、がっくん。

 そろそろオリンピックが始まりますね(ある意味ではもう始まっている)
 普段見られないようなマイナーな競技を見れるチャンスなので、大いに活用したいところです。字書きのレベルを上げるのに、スポーツ観戦というのは非常に有効です。ただしぼけ~っと観戦するのは駄目です。「考えながら観戦する」これがポイント。

閲覧数:1,243

投稿日:2012/07/26 18:36:10

文字数:5,876文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    お父さん何か差別的ですね。なんというか……。何とも言えないです。
    がっくんならば味方も沢山付くはず!多分ですけど。育児にも励みながらコツコツやっていきそうな感じです。
    ルカとがっくんの子なら絶対可愛いでしょう……!

    スポーツ観戦ですか!今年のオリンピックは見られるかわからないので残念です。

    2012/07/27 02:24:57

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       お父さんが差別的なのは前からですから……でもこういう考え方の人、未だにごろごろしてますよ。ネット見ると嫌ってくらい目につきます。
       ちなみに本来、子供というのは子供であるというだけで、両親から愛してもらえるはずなんです。可愛いとか、いい子であるとか、できがいいとかは関係なしに。それを念頭に置くと、またちょっと違ったものが見えてくると思います。

       ありゃ、オリンピック観戦不可ですか。それは残念ですね。ただ水瀬さんへのレスにも書いたことですが、色んな方向を育ててくれるので、どれか一つお気に入りのスポーツを作っておくといいですよ。もっとも私はフィギュアスケートなんですが(汗)

      2012/07/27 18:49:47

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