あの時、実験が終わる頃にはすでにミクの体力は限界に近づいていた。そして戦闘が始まる頃には、ミクの脳波が異常な数値を示し全身に凄まじい負荷がかかっていた。応答にも答えず、ひたすら目前の敵を撃墜していくミクには、すでに意識が混濁し、ナノマシンの発する命令によって体を突き動かされていたらしい。あれから半日以上が過ぎたが、まだ僕らには何も伝えられていない。
多くの人物が想定できなかった戦術偵察機の奪取。テストパイロットと研究員に紛れたスパイの存在。そして、国籍不明機の躊躇ない発砲。
流石の大佐達にも混乱を醸したその多くの事実は隠蔽されることとなり、大佐の配慮によって例外的に帰宅を許されていたはずだった僕とミクも、最初の戦闘を見にした為に完全に基地から出られなくなった。
ただ、その代償として大佐が僕達に前より居心地の良い居住区を提供してくれた。草木の生い茂った静かな庭園のある、およそ軍事基地とは想像もつかない場所だった。
◆◇◆◇◆◇
正午の優しい日差しが降り注ぐ中、僕は庭園のベンチに腰掛け、傍らで微睡むミクの頭を撫でた。そして、これからなるのだろうかと、そんな事ばかり考えていた。
今なおミクの疲労はまだ癒えることはなく自力で立つことすらままならないが、外に出たいというミクのために、大佐が車椅子を用意してくれた。だが今回の件でランスと共に召集を受けたらしく忽然と姿を消し、僕達の処遇は幹部達に任せるという。
僕達は、家に帰ることができない。この基地中で無意味な時間を過ごしながら次の命令を待つだけだ。もはや軍に頼るほか僕らの道は無くなっている。
「あ・・・・・・。」
ミクが小さく声を上げて僅かに目を見開いた。目線の先には、木の葉を通して挿し込む光と穏やかに吹く風の中から現れた望月さんの姿があった。
「こんにちは。今お昼休みなんです。ミクさんも調子どうですか? 差し入れを持ってきました。」
「ああ、ありがとうございます。」
ストン、とミクの隣に腰を下ろし、望月さんはいそいそとお弁当を広げ始めた。その時、胸の中で小さく火が灯ったような熱さを覚えた。それは初めて味わう感覚だった。
「はい博貴さん。」
穏やかな空気と淡い木漏れ日の中で、優しい笑みを向けてくれる人が、手作りのお弁当を振舞ってくれる。まさかこんなところで感じるとは思わなかった、暖かな幸せだった。
「えっ、あ、ありがとうございます。望月さん・・・・・・。」
「聖でいいですよ。はい、ミクさんも。」
「ありがとう・・・・・・。」
壮麗かつ神秘的な輝きを持つ黒の瞳と、透き通る真紅の瞳が互いに笑を表す。まるで親子のようだ。そういえば、ミクにも親しい女性や友達が居れば楽しいかもしれない。ここのところは暗いことや悩み事ばかりだったけれど、聖さんが与えてくれたこの一時に、十分癒された気がした。
談笑も弾み、聖さんのお弁当も食べ終わる頃、突然ミクの視線がまた何かを捉えていた。
「あっ!」
その先を捉えるなり、聖さんが急いで立ち上がり、身を呈して僕らの前に立ちはだかった。
「ガンフォックス・・・・・・?」
聖さんが張り詰めた声で言った。だが僕は前方に立つその姿、白銀の鋼殻に包まれたスレンダーな体躯に、舞うように揺らぐ白髪の彼がただのガンフォックスではないこと、そして同時に敵意がないことも分かっていた。
「どうしてこんな所に・・・・・・暴走なら危険です。早く離れましょう。」
「聖さん待って。大丈夫だと思う。」
ミクがそういう言って聖さんを制すと、苦しそうな声を上げて立ち上がり、すると彼も、緩やかな足取りでミクに歩み寄っていった。
「どうかしたのか。」
彼は答えない。いや、ただ口を持たないだけで、無言でも二人は会話しているように見えた。
「そうか・・・・・・。」
「なんて、言ってるんですか?」
聖さんが興味深そうに尋ねた。先程の警戒心はすでにない。
「楽しそうだから、見とれていたって。」
「どうして分かるんですか?」
「頭の中に聞こえる・・・・・・。」
「頭の中に頭の中に?」
聖さんは訝しげに首をかしげた。
「もしかしたら、体内のナノマシンで会話をしているんでしょう。そうでしょう。白朗さん。」
彼の首が微かなモーターの音を鳴らしながら静かに頷く。
「そうだと言っている。」
そう言って、ミク彼の鋭い指先に触れた。まるで触れ合うことでその意思をより深く感じ取ろうとするかのように。傍らでは聖さんが、その様子を不思議そうに、かつ輝いた目で観察していた。人間の少女としてのアンドロイドと、無機質な兵器としてのアンドロイドとの意思疎通とは、僕のような人間の理解には及ばないところなのかもしれない。
「あの、先程は失礼しました。ハクロウさん、でしたよね。よかったら一緒にお話しませんか?」
聖さんの言葉に白郎は微かに反応を見せた。
「いいや、ただ立ち寄っただけ、と言ってる。ひろきに何か言いたいことがあるって。」
「僕に?」
「わたしのことを…言ってる…。」
「ミクのことだって?」
僕は興味を引き寄せられ、彼の前に立ち上がった。
「・・・・・・この少女は私より幸せ・・・・・・私もこの少女と同じだが・・・・・・君のような存在はいなかった・・・・・・羨ましい・・・・・・。」
ミクが彼の言葉を読み上げていく。僕がその意味を理解出来ないまま呆然としていると、彼の顔面、光学センサーを覆うサンバイザーの部分が持ち上がった。その下には、鳶色の光を持つ眼差しが僕を見つめていた。ゴム製の瞼に埋め込まれたそれは、紛れもない人間の眼球だった。
「・・・・・・この体になってから何年も経った・・・・・・私はすでに身も心も機械となってしまったが・・・・・・この少女のことが人事とは思えない・・・・・・君達の姿を見たとき・・・・・・久しぶり癒しを覚えた。礼を言う・・・・・・。」
ミク越しに伝わる彼の言葉の重さと深さを前に、どう言葉を返せば良いのか迷っていると、聖さんも彼の手を握り、その瞳を見つめていた。
「貴方も立派な人間ですよ。白朗さん。こうして互いの気持ちが伝えられるんですもの。」
そう言う聖さんの瞳を希望と例えるなら、彼の目に映るものは、微かに漂う切なさと悲しさだった。
「そんなに悲しい顔をしないでください・・・・・ね?」
「ありがとうって、言ってるよ。」
ミクが言ったその時、施設に繋がる扉から一人の白衣の人間が現れ、荒々しく芝生の上に足を踏み入れた。彼はミクの改造にも参加していた科学者だった。
「白郎! こんなところで何をしている! さっさと調整室に戻れ!」
「待ってください・・・・・・そんな言い方しなくても。彼は偶然ここに立ち寄っただけなんですから。」
真っ先に、聖さんが科学者の前に反論した。
「兵器が命令意外で動くなど以ての外だ。」
「そんな! 白朗さんだって人なんですよ?! 兵器だなんてそんな冷たい言葉・・・・・・!」
聖さんが科学者に猛抗議して詰め寄ったその時、白郎は手をかざしてそれを制した。
「聖さん・・・・・ありがとう、だって。あと、ひろき。」
「なんだい?」
<<生きていれば、いずれまた出会うだろう・・・・・・せいぜい彼女を可愛がってやれ・・・・・・>>
「えっ?!」
僕の瞼の奥深くで、深みのある初老の男性の声が木霊し、僕は思わず目を見開いた。
次の瞬間、白郎の姿が上高く舞い上がり、陽光を纏った白銀の閃光と化していた。まるで獣のように身体を翻して方向転換すると、研究施設の方角へと消えていった。それを見た科学者は呆れたように肩をすくめると、また足早に庭園から出て行った。
「またいずれ、か・・・・・・。」
僕は、彼の残した言葉を反芻した。それはまるで傷跡のように僕の胸の中に悲痛な熱さを残し、二度と消えないように刻み込まれた言葉だった。もしかすれば、ミクと彼が同じ運命を辿るという意味だろうか。それは、ミクもまた同じ兵器であり、また戦いの中で再会することだった。
そうか・・・・・・・だからこそ、ミクを大切にと・・・・・・。
「素敵な人。機械の体でも、なんだかとても人らしい方だと思いました。」
「そうですね・・・・・・。」
呟くように答えた時、いつの間にか僕は、力を込めてミクの手を握っていた。「またいずれ。」短いその言葉の重みに、僕は臆していたのだろうか。
「博貴さん。」
「えっ。」
不意に聖さんに呼びかけられ、僕は我に帰った。
「大丈夫ですよ。貴方とミクさんなら。きっと。」
まるで僕の考えていたことを読み取ったかのように、聖さんは告げた。まるで見るもの全てを見透かすような澄み切ったその瞳も、僕を励ましてくれている。
「ええ。この先何があっても、ミクは僕が護りますから。」
そう答えると、彼女は、小さく微笑んだ。
◆◇◆◇◆◇
<<一秒でも惜しい。次の君の配役と例の科学者と試作アンドロイドの処遇を簡潔に伝える。>>
いつもこのざらつくような感触の合成音声を聞くたび鼓膜にむず痒さを覚える。私としては一秒でも早くこの会話を終えたいところだ。
「少々大胆でしたが、事の次第は順調なんでしょう。何をそう急ぐんです」
<<君は急遽空軍基地の司令官になってもらう必要がある>>
かなり唾をまき散らしていそうな語調に不快感を覚え、私は気を紛らわすかのようにブラインドをへこませ、その向こう側から挿し込む光をぼんやりと眺めた。微かに響く航空機のエンジン音の方が、余程心地よい。
「当初の予定とはえらく違いますね。こんな一参謀に随分と大仕事をお任せするとは。」
<<計画を知る者が、現場の全権を握る必要が懸念され始めた。君が一介の査察官や調査員のままでは、思うように事が進まない。>>
「では、伝えることはそれだけですね。あとはメールで手短にお伝え下さいよ。私は必要もないのに合成音声の醜い声を聞くのは嫌いです。」
<<英田はすでに興国に発ち、ウォーヘッドは他の施設に飛ばした。予備の慶摩、和出、威月、黒沼は揃ってクリプトンを離れられん。この任務には、君しかいない。この言葉の意味がわかるか>>
「私がヘマをするとでも。」
一言先を見通した言葉を放つと、しばらく合成音声が口を噤んだ。
<<それほどの余裕を持っていれば、あとは心配することもない。いいか、明日には迎えを向かわせる。 それまでに機密文書に目を通し、例の二人にも伝えておけ。以上だ>>
最後まで不快な音を鳴らして、回線が途切れた。一つため息を付き、放り投げるようにして PDAをポケットにしまうと、改めて、まるで廃墟のようになった部屋を見回した。
もう、そんな時間か。今の時刻を思ったのではなく、この何もなくなった部屋から時間の経過を知った。そしてこれから、あらゆるものが始動する。
世紀の大イベントに中核として参加できるお前が羨ましい。彼はそう言い残し、実験の数時間後にはすでに私の前から消えていた。その前には、彼女が。クリプトンの「駒」達が、本番に向けてすでに動き始めていた。
◆◇◆◇◆◇
「FOX2、また面会人だ。」
Eye with you第三十一話「カウントダウン」
昔は一日に一投稿とかあたりまえだったんですが、最近はまるでダメですね。
いい加減気分転換しないとダメなんでしょうか。
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