どうすればいいんだ。リリィに別れ話を切り出したとして、彼女にはなんて説明すればいい。
別れる理由なんて全くないのだから、説明のしようがない。
他に好きな人が出来たから、とか嘘をついて別れるのか?付き合ってまだ二ヶ月もたっていないのに?そんな理由、俺が女たらしに思われるに決まってる。
じゃあ、リリィの事を好きじゃなくなったから別れてほしい、とか?
……ダメだダメだ。一体何だその理由は。
俺はこの上なく、リリィの事が好きなのに。好きで好きでたまらないのに。そんなこと、嘘だとしても言えない。
だったら正直に言うべきか?生徒会長に脅されたから、別れるしか方法はないんだ、って?イヤ、それもダメだ。というかそれは絶対にダメだ。それこそ意味が分からない。
なら嘘を言うか?ミクに「付き合わないと殺す」って、ナイフを向けながら言われた、とか?いやいやいや、それも確かに立派な脅しだが大袈裟すぎるだろう。
そこまで病んでる奴ってこの現実世界にいるのだろうか。ドラマにしか出てこなさそうだが。
でもこの物騒なご時世だから、学校の中にも一人か二人くらいはそう言う奴がいてもおかしくはないか?
けれどそんな現実離れした嘘を言って、素直に信じてくれるだろうか。多分、いや、きっと信じてくれない。
リリィは基本的に、明るくて誰にでも愛想がよく「天然」という言葉がよく似合うイメージだが、決してバカではない。
なんでも鵜呑みにはしないだろう。ドラマ的なそんな嘘はすぐにばれるはずだ。
ばれたらばれたで面倒で、追及されたらもう何も答えられない。
なら一体どうすればいいんだ。一体、どうすれば……。
「神威?」
その声でハッと我に帰る。気が付くと、当の本人リリィが隣から自分の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの?そんな思いつめた顔して」
「あ、あぁ……いや、なんでもない」
ごまかすほかに、神威に答える術はなかった。
今、リリィに対する別れの方法を考えていた、だなんて、まさかそんなこと言えまい。
出来るだけ、リリィには知られぬように、穏やかに済ませたい。別れなくて済むのなら、別れたくない。
しかし、七月の下旬が始まるまでには別れないと、例の件を全てばらすとミクは言ったのだ。
漆黒の色をしたエゴイズムの塊を彼女は吐き出した。何の容赦もなくただ淡々と。
聞けば生徒会長のミクというのは、表向きでは沢山の生徒からかなり好感を集めているキャラらしい。その好感は主に男子からなのだが中には数割の女子も彼女の事を気に入っているようで、要するに人気者らしいのだ。
彼女の事をよく知らない生徒でさえ、そのキャラのことだけは大まかにだが分かっているらしい。
そして多分、リリィもミクの事を知っているのだろう。聞かなくても分かる。生徒の九割九分九厘は彼女の事を知っているらしいから。
その人気者が裏で俺を脅してきた、だなんてリリィに言ったってまず信じないはず。
だからこうして悩んでいる。彼女にあの時の状況をどう説明すればいい。どう説明すれば、分かってもらえるだろう。
神威は、ためしに聞いてみることにした。
「なぁ」
「んー?」
リリィは黒いまっすぐな瞳で、隣を歩く神威を見た。先程の屋台で買った綿あめを美味しそうに頬張りながら。
「学校にさ、生徒会長のミクっているじゃん。そいつのこと、リリィはどう思う?」
「え、どう思うって?んー、可愛くていい子そうだなーとは思うけど。でも話したことないから実際よく分かんない」
「そっか……」
そんなもんか、と神威は納得した。よっぽど熱烈なファンでもない限り、彼女に対するイメージは抽象的なのか?他の生徒も多分そんな感じだろうとは思う。
「なになに、もしかして神威、その子の事気に入ってるの?」
「まさか」
あんな裏表の激しい生徒会長なんて、こっちからゴメンだ。絶対に関わってはいけない。
つくづく思うが、なんであいつは俺の事を好きになったんだ。何でよりによって俺だったんだ。
「神威には私がいるじゃん。だから、浮気なんかしちゃダメだよ」
優しい口調で、リリィは彼の隣に寄りそった。
シャンプーなのか香水なのかは分からないが、いい匂いが鼻をくすぐる。
こうして二人で寄りそっていると、やはり彼女といる方が幸せだと実感する。それに対してあんな女、一緒にいるだけで鳥肌が立つ。
「じゃあもしさ、俺がそいつに『付き合わないと殺す』とか言われたらどうする?」
「え!神威、そんな事言われたの?」
「た、例えだって」
「だよねぇ~。初音ちゃんってそんな事するキャラじゃないもん」
リリィは当然のように断言する。
「なんで分かるんだよ。話したことないんだろ?」
「ないけど、初音ちゃんって皆に優しい人らしいから。クラスの男子は皆言ってるよ。その初音ちゃんが、まさかねぇ」
なるほど、自分自身のエゴで人を脅す輩などとは露にも思われていないのか。
これはある種のマインドコントロールというやつか。
「でも、もしそんなこと言われたとしても、神威なら平気で断るよね。私、信じてるもん。神威は何言われたって絶対にOKって言わない。何があっても、私の事をずっと愛してくれる人だって、そう信じてるんだ」
そう言う彼女の瞳には明るい光が宿っていた。まるで太陽のように輝いていた。
眩しくて瑞々しい思いが、その瞳にはあった。
神威は言葉を失った。自分の秘密をばらされたくなくて、苦し紛れに「わかった」と返事してしまった自分が、改めて酷く憎く思えた。
本来の自分なら確かに断っただろうが、あの時の自分は異常だった。過去の秘密に怯えて、手も出せない自分が憎かった。
ミクに弱みを握られただけで、返事をしてしまった自分を殴ってやりたかった。
けれど、あの秘密は彼女と同じくらいに大切だという事も事実だ。
ばらされたらどのみち彼女には嫌われてしまう。それだけは絶対に避けたかった。
絶対にばらされるわけにはいかなかった。
「ねぇねぇ、それよりせっかく浅草に来たんだから、もっと何か見ていこうよー。雷門とか」
リリィは神威の手を引っ張って、先に先にと進もうとする。
その隣を、神威は気分の乗らないまま歩いていた。
「あ、あぁ」
神威の力ない返事に、彼女は何かしら察知したようだった。振り向いて、少し怪訝そうになる。
その瞬間に神威は、しまったと思った。
「どうしたの?今日の神威、なんだか元気ないよ。具合悪いの?」
そう言って、リリィは神威の頭に手を伸ばす。小さな彼女の手が、額に触れた。
「おかしいな、熱はないみたいだけど」
リリィは不思議そうに顔を近づけるが、神威は何故だか恥ずかしくなった。
より深く覗き込んだリリィと目が合って、思わずそらす。
彼女の黒い瞳で間近で見つめられると、何もかもを見透かされているような気分になる。
目を合わせてしまったら、心の中のこの気持ちが一瞬で彼女に伝わってしまうんじゃないかと思った。
「いや、なんでもない。そっか、雷門はまだ見てなかったもんな」
慌てて顔を離して笑顔を取り繕うが、多分それは即興で作られた安物のハリボテにしかならなかったのだろう。
彼女は納得のいかない様子だったが、「ふうん」と言うとまた綿飴を頬張りだした。
せっかくデートをしているのに、彼女を楽しませるどころか、不機嫌にさせてしまったり不安にさせてしまいそうで怖かった。
そして何より、彼女には申し訳なかった。
おそらく今のやりとりで、彼女には何かを悟られてしまったかもしれない。言ったとおり、彼女はバカじゃないのだから。
……そうだ、だから早めに結論を出さなくてはならない。
別に別れなくとも、ミクの見えない所で隠れて付き合い続ければいいじゃないか、という考えも一応頭の中にはあった。
そう、確かにそれが一番いいのだ。リリィには隠密に、そして事は穏和に済ませたいのだから。
しかしそれは無理そうだということも、分かっていた。生徒会長のミクには、多数の情報網があるらしいのだ。
その情報源の一つ一つは、彼女についている“見張り”からのものだと説明した。
見張りというのが何かについてはにミクは深く述べなかったが、要するに監視役がいるという事だろう。
だから余計な行動は一切しないほうがいい、と彼女は警告した。
ミクは七月二十日までには彼女と別れろと言ったが、もしその期限を越えても付き合っている所を見つけられ、その情報がミクに伝われば即、例の件はばらすと言った。
結局、その日に結論は出なかった。出口のない迷路をグルグルと彷徨し続けているようなもので、もうどうしたらいいのか分からなかった。
結局その日のデートは、楽しめずに終わってしまった。
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