母さんと私はそれから何度も打ち合わせをして、その上でレンに話をした。当然激しい反発が返ってきたけど、最終的にはなんとか、レンにこの話を納得させることができた。
ただレンの方も条件を出してきた。それは、リンちゃんに直接、この話をすること。でなければニューヨークへは行かないというのだ。私は困って、ハクちゃんに電話をかけた。
「弟さん、ニューヨークに行くんですか……」
「うん。ただ、リンちゃんに直接話をしたいって言うのよ。でないと嫌だって。レンの気持ちはわかるんだけどね……。こう言っちゃあなんだけど、ハクちゃんたちのお父さん、リンちゃんにろくでもないこと言いそうだし……」
「確かにうちのお父さんだと、リンに向かって『それ見たことか、あいつはお前を捨てて行ったぞ』ぐらい、言いそうですね……」
淡々とハクちゃんは言った。……すごく言いそう。
「……何とか電話で納得させられないかなって、考えてるところ」
ハクちゃんの携帯にスピーカー機能がついていれば、ドア越しでもぎりぎり会話が届くかもしれない。少なくとも、声を聞かせることはできる。本当言うと、ハクちゃんがお母さんと交渉できるともっと早いんだけど。話をしたいから一緒に部屋に閉じ込めてくれ、とハクちゃんが頼めば、お母さんの方なら承諾してくれるかもしれない。問題は、ハクちゃんがお母さんと話したがらないってことで。
「あの……先輩、そのことなんですけど」
「なに?」
「弟さんに勇気さえあれば、会わせることはできるかもしれません。ちょっと難しいですけど……」
ハクちゃんは、意外なことを言い出した。
「どういうこと?」
「忍び込んでもらおうかと思うんです」
「忍び込むって……ハクちゃんの家って、かなりのお屋敷なんでしょ。当然、セキュリティとか色々厳しいと思うんだけど」
逮捕された弟を引き取りに行くのはパスしたいところだ。あのお父さんが嬉々として、警察に事情を説明しているところが頭に浮かぶ。
「家に入ることはそんなに難しくないんです。いえ、何も知らない人には無理でしょうけど、先輩も知ってのとおり、あたしは深夜に出入りしているわけですし」
……言われてみればそうだった。ハクちゃんは現在、家族に隠れてこっそりマイコ先生のところでバイトしている。朝の早い時間に起きてこっそり抜け出し、深夜になってから帰宅しているのだ。……かなりハードだけどね。バイトが毎日じゃないからできる技だ。
「敷地内までなら、あたしの手引きがあれば入れるはずです。問題はリンの部屋の鍵の所在がわからないことですけど、窓からなら入れるんじゃないかと思うんです。もうちょっと詳しく調べてみますね」
「お願い」
かなり無茶をやることになりそうだけど、ここは頑張ってもらうしかないわね。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ってね。
次の日、ハクちゃんは家に来て、細かい話を詰めてくれた。レンがリンちゃんに指輪をあげたいというので、更に翌日に買いに行くことにする。レンだけじゃお店とかわからないだろうし、本格的なエンゲージリングは無理でも、少しでもいいものをあげたいだろうしね。ここのところ早退ばかりだけど、仕方がない。マイコ先生が理解のあるボスで助かった。この件が終わったら、しばらくサービス残業しよう。
予定を立て終えてから、私はふっとカイト君のことを思い出した。あ、そうだ。お礼に食事ご馳走してあげようって思ってたんだっけ。話だけでもしておこう。今なら電話しても大丈夫よね。
私はカイト君の携帯にかけた。しばらくして、向こうが出る。
「もしもし、メイコさん?」
「あ、カイト君。この前はありがとう。すごく助かったわ」
「役に立ったんなら良かったよ」
「だからね、お礼に私の奢りで食事でもどう?」
私がそう言うと、電話の向こうでカイト君は考え込んでしまった。うん? もしかして、私が奢るって言ったからプライドでも傷ついちゃった? でも一つだけとはいえ私の方が上だし、カイト君が学生なのに対し、私は社会人だ。それに今回はお礼という名目もある。むしろ奢って当然よね。
「あの……そのことだけど」
「何かしら?」
「僕……外に食事に行くより、メイコさんの手料理を食べてみたいな」
はい? 私はびっくりして携帯を持ったまま固まってしまった。私の手料理? 一体なんでまた?
一瞬、そんなに家庭の味に飢えているのかと思ったけど、カイト君は確か実家暮らしだったはずだ。だから家庭の味に飢えているってことはない。あそこのお母さん、専業主婦だって前、マイコ先生から聞いたし。
「なんだってまた手料理?」
「え……いや、その……マ、マイト兄さんが以前褒めてたから、そんなに美味しいのかなって……」
しどろもどろな口調になりながら、カイト君はそんな答えを返してきた。マイコ先生が私の料理を褒めてた? 確かに先生が寝込んだ時にお粥作ったりはしたわね。持ち寄りパーティーなんてのもあったし。弟のカイト君の前で、私の料理を褒めてたとは思わなかったけど。そんなに美味しいかなあ……? マイコ先生は料理も上手なので、先生に褒められたとなると嬉しいけどね。
カイト君のリクエストが「私の手料理を食べてみたい」ってのなら、作ってあげるのもいいか。あ……でも、まずい。今週末にはレンがニューヨークに行ってしまう。そうなると、私はこの家に一人だ。二人きりはまずい。かといって、実家暮らしのカイト君の家にお邪魔させて台所貸してもらうなんて嫌だし、マイコ先生のところを借りるのも図々しいし……。
……あ、そうだわ。
「カイト君、今週の金曜って空いてる?」
「え? ちょっと待って、予定確認する」
レンが出立してからは呼べないのなら、出立する前に呼べばいいんだわ。それだけの話。
「あ……うん。空いてるよ」
「じゃあ金曜でいい? 私の方、ちょっと色々都合があって」
「う、うん。わかったよ。楽しみにしてるね」
カイト君との電話を終えた私は、椅子に座って考え込んだ。とりあえず、明日はレンを連れて指輪を買いに行かないと。で、その次の日は、レンをリンちゃんの家に送り出さないといけない。ハクちゃんがうちに泊まることになるから、予備のお布団を用意しておかないと。で、金曜にはカイト君をうちに呼んで食事。母さんも一緒だけど、カイト君はマイコ先生の弟さんだし、今回相談に乗って貰ったし、別に問題ないはず。
……ないはず、よね……。なんで落ち着かないのかしら、私。
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