近頃記憶の欠如が激しいのです。ポツリと落ち行く椿のように。
え?ああ。花によって最後の言葉が違うのですよ。
大丈夫です、花が見えないのならば私が掘って貴方の手にそっと添えましょう。
見えない形もきっと見えるでしょう。・・・と言いたいところですが、いやはやm先ほど言った通りでして。
何を掘っていたか、どう掘っていたか、何を喋るべきか、そのようなものが突然欠如して、唖然としてしまいます。
思い出すこともあるのですが、思い出せないことがほとんどして、正直焦ったり、悲しくなったり、無力な自分が嫌になったりします。
欠如して戻らない記憶に嘆きながら作った私の作品は、決して良作とは言えないでしょう。
けれども私は、私の作品を待ってくださる人がいらっしゃるのでそれでも掘るのです。
・・・貴方は、いつもと違う事を見抜いてくださった。貴方は確かに答えてくれた。
それが何より嬉しいのに、愛しいのに、私は、私はそれすらも・・・・・・すみません。えっと、まあ、いつものことですので。それに、すぐ忘れますからね。ははっ。
・・・・・・「私は目が見えないから泣けばよい」と?面白い事を言いますね。
ごめんなさい、私は声を上げずに泣くことが出来ない。そしてその声を聴かれたくはない。
唇を重ねればいい、なんてことは駄目ですよ。それは愛であり哀である。
私を思ってくれるのならば、ただそばに居てくださるだけでよいのです。
私の作品に触れ、口籠ったりしなくてよいのです。思う事を言えばいい。私の作品が駄目になっているのは、私自身が一番感じておりますから。
ただ一度、許されるならば、貴方を掘りたい。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

抉る

事実は小説よりも奇なり。
もしもこれのどこかが事実に基づいているというのであれば、どこが脚色でどこが事実が見抜けるのだろうか。
して、事実を事実と理解出来るのだろうか。
一番奇なのは、人間かもしれない。

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投稿日:2016/10/18 01:33:24

文字数:688文字

カテゴリ:その他

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