INTERMISSION2 L-Mix
翌日、レンが病室で目を覚ました時には、リンは既に居なくなってしまっていた。
普通に考えれば、単に大学に行ってしまっただけなのだろう。だが、レンにはどこか腑に落ちなかった。
リンは、基本的に学校の成績は良い方だ。だが、授業や講義への出席率はあまりかんばしくはない。
レンが入院している時期は特にだ。
(……もしかして、逆なのかな)
レンが改めて思い返してみると、入院している時期に特に出席率が悪い訳ではない。レンが入院している時期だけ、リンの出席率は悪くなるのだ。
学校に行かずにどこで何をしているのかと言えば、そのほとんどはレンの病室で自習と予習で、更にはレンが勉強内容にちゃんとついていけるように教えてくれる事もある。もちろん勉強ばかりしている訳ではないが、改めて考えてみると学校に行かずに勉強してまでレンの病室に居る、というのは少しばかり奇妙な話だ。
つまり、レンの入院している時期にたまたま学校を休んでいるのではない。本当はその逆で、レンが入院しているからこそリンは学校に行かないのではないだろうか。
それは恋人同士の様にも、いや、それ以上にも思える親密さだ。大学生にもなった姉弟の関係とは考えづらい程の。
まるで、リンがレンの事を好きになっているみたいだと彼は思った。色々と姉との過去を思い出せば思い出す程、それはだんだんと間違いない事のように思えてしまう。
(でも、そんな事あるわけないよなぁ……)
思わず独り顔を赤くしながらも、彼は未だに懐疑的だった。
確かに、今までの数々の行動だけを見ればそれは間違いないもののように思える。しかし、それでも二人は姉弟同士なのだ。
単なる姉弟として見れば、彼女の行動には違和感を覚える程のものが確かにある。
だが、それでもリンは姉で、レンは弟だ。あくまでも、ダメな弟の世話を焼かずにはいられない姉の筈なのだと、レンは思う。ただそれが、少しばかり過剰なだけなのだろう。いくら、あんな事を言われようとも。
「レン君は、お姉ちゃんに愛されてるわねぇ」
不意に、脳裏に昨日の看護師の台詞が蘇ってきて、余計に顔が火照ってしまう。
別に、それが嫌だとか思っている訳ではなかった。姉弟だからそう思ってはいけないと思うものの、それとは別に好意を向けられて悪い気はしない。義理の姉は、弟の目から見ても可愛いし、その性格もあいまって実際にかなりモテる。そんな彼女が世話を焼いてくれているという事に、ちょっとした優越感があるのも否定出来ない。
事実、リンから「誰々から告白されちゃった」だとかいう話を聞かされる度、レンは嫉妬めいた気持ちを少なからず抱いてしまっているのだ。リンとレンは常日頃一緒に居るため、そんな相手の大半はやはりレンも知っている相手だったのだが、正直に言って、告白してきた人の半数以上は、レンよりも男前だったと彼自身認めざるを得ないような人ばかりだった。そんな人達の告白を蹴ってレンの隣に居る事は、彼からして見れば、最早一種のミステリーに近いものがある。
そして、だからこそ彼には腑に落ちない。そこまでしてレンと一緒に居ようとしているリンが、昨日からレンとまともに話さないまま居なくなってしまっているという事に。
(はぁ。……なんなんだろ)
リンの普段とどこか違う行動に違和感を覚えたものの、だからといってどうにも出来なかった。これが入院していない時期の事であれば、レンもリンを追いかけられるが、入院していてはそれも無理な話だ。メールや電話でははぐらかされるに決まっている。そうなると、彼女がまたここに来てくれるのを待つしかない。
(リンは……僕の事、どう思ってるんだろう)
そう思う事は、それとは逆の問いから彼の意識が逸れてしまう結果となった。すなわち「レンはリンの事をどう思っているのか?」という問いから。
(一度、聞いてみようかな。どう思ってるのって)
だが恐らく、リンに軽くあしらわれてしまうだけだろう。笑いながら「何言ってるのよ。あたしの美貌に惚れちゃった?」とでも言ってからかってくるかもしれない。馬鹿にされるだけだと分かっている質問をする事程間抜けな話はない。
(にしても……昨日、寝てる間に何があったんだろう)
レンには、何一つとして理解が出来なかった。
昨日の夜、待合スペースのソファでミクと話をした。と言うよりも、レンの話をミクがずっと聞いてくれただけだったのだが。
だが、そもそも彼自身が話せる話題はそう多くはなかった。
自らの病気の事。
義理の姉の事。
彼が話せた事と言えば、その位だ。
それでも、ミクは彼の話を真剣に聞いてくれた。
彼女はやはり喉の包帯に隠された傷跡のせいか、声を出すことはなかった。だが、それでも彼にとってとても重要な事についての示唆を与えてくれた。
その示唆が一体どういう事なのか、彼にはまだ正確に理解出来ている訳ではない。しかし、それでも彼は病気について、姉について、そして生きる事について考え直さねばならないという事を実感していた。
ミクという少女の身に何がありああいった事が出来るのか、レンには全く分からなかった。ただ分かったのは、彼女には何か凄まじい過去があったのだろうという事だけだ。でなければ、あの様な事も、あんな表情もできる訳がないのだ。
その時の事を思い出して、ぞくりとレンは身体を震わせる。
(もしかして、だからこそ……なのかな。リンが泣いてたのは)
ミクと話をした後、レンはそのまま寝てしまっていた。リンの悲鳴で目が覚めたのだが、起き上がってみるとリン自身の姿はすでになく、ミクが呆然とナースステーションの方を見つめていた。何があったのか聞いてみてもミクは答えてくれなかった。だが、そんな彼女は泣いてまではいなかったものの、瞳に涙が溜まっているのが分かったし、その左頬には見間違えようの無い真っ赤な跡が付いていたのだ。
二人の少女達に何があったのか、どんな会話があったのかはレンには想像もつかなかったが、リンがミクに平手打ちをしたという事だけは明白だった。レンの知る限り、リンが誰かに平手打ちをした事なんて今まで一度も無かったというのに。しかも、リンとミクはほとんど初対面の筈だ。
その後、ミクと別れて部屋に戻ると、レンの病室にリンが居た。リンがミクを叩いたはずなのに、何故かリンの方が号泣していた。
何があったのかは分からない。だが、もしかするとあのミクの態度がリンの何かを揺さぶったのではないだろうか。それが何なのかは正確に分かりはしないが、それはありそうな事だと彼は思った。
(リンは……強気だけど、本当は傷付きやすいからなぁ)
リンの涙。
その涙を見たのは随分久しぶりだった。最後に見たのがどれくらい前の事だったのか、レンには思い出せなかった。つまり、それだけ昔の事だったのだ。
だからこそ、彼にはリンの涙がこと更衝撃的だった。
今日またリンが帰ってきたら、もしかしたら何事もなかったかのように振る舞うかもしれない。だが、もしそうだとしてもそれはリンの痩せ我慢で間違いないだろうとレンは思った。リンにはどうも、無理して明るいふりをしている時がある。それは本当に分かりづらいささいな変化ではあるが、レンには絶対に分かる自信があった。
今日またリンが帰ってきたら、何かご機嫌を取れるような事をした方がいいのかもしれない。例えば……そう。さっき考えたような、リンがからかってきやすいような台詞を言ってみたり。
(リンって僕の事好きだよねーって? ……それ、すっごい恥ずかしいな)
考えてみてから、自分には到底言えそうにない気がしてレンは頭をかく。
(……どうかしてるのかもな、僕)
でも。
それでも、リンが元気になると言うなら、それ位の事は何でもないと思った。
僕の言葉が、僕の心が、リンを暖かく照らす事が出来るのなら。彼女を支えられるのなら、それ位の恥ずかしさが何だというのだろう。
(恥ずかしいけど、リンの為なら――)
――何でも出来る。レンは確かに、そう思った。
(リン……早く帰って来ないかな)
そう思ったものの、まだ午前中である事を鑑みれば、リンはまだ当分やって来れはしないだろう。
何時間か後にするであろう彼女とのくだらない会話を想像して、彼の口元に自然と笑みが零れた。
結局彼は、夕方まで自室で時間を潰したあと、手持ち無沙汰になって病院の屋上に行った。
そこには何か意図があったわけではなかった。彼にしてみれば、たまたま普段あまり行かない所に行ったというだけの事だった。
彼はもちろん、知るよしもなかったのだ。
その選択が、悲劇を避ける最後のチャンスだったという事に。
彼は深く考えないまま、階段を上って屋上の扉を開く。
その一段一段が、その一歩一歩が、悲劇へのカウントダウンだとは知りもせずに。
その扉のきしむ音が、悲劇の始まりの音だとは知りもせずに――。
ReAct 9 ※2次創作
第九話
読んで下さっている方々がどんな印象を持たれているのかはわかりませんが、自分にとってレンの存在感はかなり空気に近いです(苦笑)
ミクとリンの立ち位置がだいたい決まっていたので、ReActにおける悲劇のキーパーソンになるはずなのですが……。そのためには優柔不断であって欲しくもあり、でもPVのイラストは結構しっかり者っぽい雰囲気があるような気がして悩んでいるうちに、こんなことに。
待合室でのミクとレンの会話は、当初は六話あたりで書こうと思っていました。ただ、そうすると六話が長くなりすぎるし、かといってそこで一話増やしても収まり悪いし……と考えた結果、しっかりとは書かない結果となりました。
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