私は、会社のビルから飛び降りた。
理由を探せばいくらでも出てくるが、
それすらも疲れてしまった。
私が最後に願ったのは、
“あの頃に戻ってやり直したい”だった。
真っ暗闇の空間には私しかいない。
とても温かく、眠気がやってくる。
そして、徐々に意識が遠のいていく。
あぁ、これが終わりというやつか。
………
聞き慣れないアラームの音で目を覚ます。
「ここは…」
普段より体が軽い気がする。
そう思いながら、自分の両手を見下ろす。
「小さい」
辺りを見回すと、懐かしい風景が広がっている。
私はここを知っている。
私が小学生の頃まで住んでいた家だ。
そして、今いる場所が私の部屋。
私は、過去に戻ってきた。
どうやってタイムスリップしたのかは不明だが、
このまま何もしない訳にはいかないので、
布団から起き上がり、リビングの方へ向かう。
ここは夢の中なのかとも思ったが、
ちゃんと自分の体をコントロール出来るし、
五感全てが正常に働いている為、
普段見る夢とは少し違うのだろうと考えた。
両親は共働きの為、既に家を出ている。
カレンダーを確認すると、今の私が小学六年生だということが直ぐに分かった。
とりあえず、身支度を済ませて学校に行こう。
あまり気乗りしないけど、時計を見る限り、
走らなくてもなんとか間に合いそうだ。
「起立、礼」
「おはようございます」
朝の会が終わり、早速一時限目が始まる。
一時限目は、道徳の授業だ。
道徳の授業と言っても、心のノートを朗読したり、先生の話を聞いたりするくらいで、
私にとっては退屈な時間だった。
昼休みになっても、クラスメイト達が校庭や図書室へ向かう中、私は教室で一人遊びをしていた。
私が学校で孤立したのは完全に自業自得だった。
だから、碌に人間関係も築けないし、
困った時に助けを求めることができなかった。
やり直したい…か。
これじゃ、前と変わらないな。
「もう放課後か」
時間はあっという間に過ぎ、
気づけば、教室にいるのは私一人だけだった。
さて、これからどうしようか?
「雲雀(ひばり)さん?」
名前を呼ばれて、慌てて顔を上げる。
そこには、不思議そうに私を見る担任の先生がいた。
「何書いてたの?」
先生はそう言いながら、
私の手の下にあるノートを指さす。
何でもないと私は言うが、
どうしても見せて欲しいと懇願されてしまった。
私は渋々ノートを開く。
ノートには、短編の物語が汚い字で載っている。
朝からずっと書いていたものだ。
まだ書き途中だが、そろそろ創作に飽きてきた。
出来の悪い話だ。
自分でこれを読んでも、
つまらない以外の感想は出てこない。
「凄い!これ、雲雀さんが書いたの!?」
先生は、予想外のリアクションを見せる。
多分、お世辞だ。
私が小説を書き始めたのは、中学二年生の頃からだ。
自信満々に家族や知人に見せたら、
散々笑われ、馬鹿にされた。
それからというもの、書いてはみるが、
それを誰かに見せたりしなくなった。
他人からの評価を貰うのが久しぶりすぎて、
逆に私の方が驚いてしまった。
それから私は、先生と他愛もない話をした。
事実を知られたくなかった為、
私の事は殆ど話さなかったが、
先生のプライベートについてあれこれ話した。
先生は、四十手間の既婚女性だ。
私と同い年くらいの娘さんが二人いて、
二人ともヤンチャで手が付けられないという。
子育ての大変さは、経験したことが無い私でも分かる。
生涯独身のまま人生を投げ出してしまった私だが、同僚の話を散々聞かされていたので、
養育の知識だけは豊富にある。
ガラガラ…
先生としばらく談笑していると、
教室の後ろ側の扉がゆっくりと開いた。
そこには、私が立っている。
おそらく同じ事を思ったのだろう。
向こうも、驚いた表情で私を見つめている。
なんでもう一人の私が居るんだと、
異星人にでも遭遇したかのような顔だ。
あちらが、この時代の私なのだろう。
じゃ、今まで向こうの私は何をしていた?
それを聞こうとしたが、この時代の私は、
私が喋ろうとするタイミングで、
何処かへ走って逃げてしまった。
「これは、どういう事?」
先生が、困惑した表情で私に言う。
ずっと黙っていようかと思っていたが、
バレてしまったので、先生に事の顛末を一から話した。
先生は、隠していた事を怒る訳でもなく、
かと言って、私に対して恐怖を抱く訳でもなく、
ただ黙って私の話に耳を傾けていた。
全て話し終わると、自然と涙が流れてきた。
ようやく呪縛から解放されたからなのか、
小さな子供のように声を出して泣いてしまった。
お気に入りのカーディガンも、
塩っぱい涙でびしょ濡れだ。
これからどうしようか?
先生にちゃんと謝って、
ここを出て、この夢が終わるまで待とうか?
「今ならまだ間に合う。ちゃんと話してきな」
先生のその言葉に、私は直ぐに立ち上がって、
荷物も持たずに教室を飛び出した。
「見つけた!」
三丁目の団地の五階。
家の真ん前に、この時代の私はいた。
「逃げないで。君に話したい事があるの」
「貴女は…」
私は、もう一人の私に未来から来た事を話した。
どうやら、自分を襲いに来たドッペルゲンガーだと勘違いしたらしく、誤解は直ぐに解けた。
「それで、貴女はこの後どうするの?」
「分からない。けど、君と会うのはこれで最後」
「そっか」
私は、これから旅をしようと思う。
宛もなく、所持金すら足りないから、
どこまで行けるか分からないけど、
今までの私としてではなく、
今の私として生きよう。
私は彼女に、小さい鈴のキーホルダーが付いた黒のUSBメモリを差し出した。
このUSBには、今まで書いた作品や、
私の生きた証が全て詰まっている。
それを過去の自分に、
大切に持っておいて欲しいと思った。
「ありがとう、私」
「それじゃ、またね」
その瞬間、急に視界が暗転する。
激しい耳鳴りと共にまた意識が遠のいていく。
嗚呼、やっぱり夢だったか。
結局、戻っても駄目なのか。
悔しいな。

ライセンス

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  • この作品を改変しないで下さい

旅人書房と名無しの本(通信簿)

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投稿日:2023/09/15 23:18:44

文字数:2,501文字

カテゴリ:小説

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