ドーン、と一際大きな音が空に響く。今までのよりも、はるかに大きかった。
それを最後に、長い長い、夢の時間が終わりを告げる。

最後の花火が打ちあがった後も、私たちは動かなかった。ずっと、同じ場所に立っていた。
私がふと気づいてみると、周りの観客たちは、もうあまりいない。「虹色の綺麗だったねー」とか「最後のはやばかったぜ」とか、思い思いにそんな言葉を口にしながら帰って行く。
10分か20分くらいたって、私たちはついに、二人きりになった。
ようやく、私はポシェットに入れた、小さなレジャーシートを取り出す。ホントなら、これに座って花火を見るつもりだった。

「すごかったね、花火」

私はシートを広げながら言う。それは紛れもなく本心だった。

「だな」

彼も笑いながらそう言った。
私たちは背中をくっつけるようにして座る。

「また来年も来ような」
「……うん」

わずかばかりのうなずき。私はそこでふと思う。

来年なんて、あるんだろうか。

本来なら、始音海人の人生は、今日ここで、終わるのだ。
ポシェットの中にはリボルバー「S&W M686」を忍ばせてある。サイレンサーまで取り付けて、用意は完璧だ。
そう、用意だけは完璧だったけれど…。私は最後の花火が消える瞬間まで、それに見入っていて、その存在さえ忘れていた。

長いようで短かった、この三か月。
彼とは色々な物語があった。たった三か月の間に、語り切れないような濃い時間があった。
そして、この花火大会も私にとっては色濃いものになった。初めて花火を見た、彼との時間。
そんな時間を、ここで終わらせていいのだろうか。私は再び、迷い始めていた。

一つ深呼吸をする。静まり返った広場は、しんと静まり返っていた。もともと人気のない場所だ。
花火大会のようなイベントごとでもない限りは、この場所に人が通ることなんてない。
だが私は念には念をいれ、もっと人気のない場所へと彼を誘い、そこで私は……彼を殺す。そういう手筈だった。この暗い中、ちょっとした茂みの中に入れば、もう誰にもわからないだろうから。

「ねぇ、話は変わるけどさ」
「ん?」
「一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」

お互い、星空を仰ぎ見ながら、会話をする。
天の星一つ一つが、微かに瞬いていた。

「海人、前に言ってたよね、どんな悪人でも殺すべきじゃないって。悪人でも誰かの大切な人かもしれないからって」
「ん、あぁ。その話か。うん」
「それから、こうも言ったでしょ。もし私が海人を殺す計画立てていても、海人は私を殺さないって」
「あぁ」
「その言葉、今も胸を張って言える?本当にそうなんだって、ちゃんと信念をもって言える?」
「言えるさ。当たり前だ」

その言葉を言ったあと、海人は押し黙った。多分、私の声から何かを感じ取ったのだろう。
一瞬の沈黙が訪れる。

「ま、もしそうだったら捕まえて、罪は償ってもらうけどな。殺すなんて馬鹿なことは、考えもしねえよ」
「……さすが」

海人の信念はどうやら本物のようだった。見た目だけのちゃらんぽらんな男ではないようだ。
これで少しでも気が変わっていたとしたなら、私はこの場で彼を殺してしまったかもしれない。いや、きっとそうしていた。
私はこの三か月間を通して、少しだけ、彼の考えを理解できた気がしていたのだ。
物事がうまくいかなくても、信じること。その気持ちが大切なのだということ。悪人でも、決して人は殺してはいけないということ。
もしこれが本当に彼のうわ言だったとしたら、私は気のころころ変わる男に惑わされていただけということになる。
うわ言だけの人間は私は嫌いだ。出来もしないくせに、心にも思っていないくせに、そんなことを口にするなと反発したくなる。私も最初は彼のことを軽蔑していた。
だがまんざら、この男は軽い人間でもないらしい。それは関わっていくうちにわかった。むしろ逆だ。
この男にはこの男なりの強い信念がある。そして、見た目だけの軽い人生を送ってきた人間じゃない。
その生きてきた様に、私も少し共感したのだと思う。彼を見る目は、最初とは違うものになっていた。

「最近言っただろ。俺の両親のこと」
「うん」

それは、本当につい最近聞いたことだった。
20代後半にして、海人にはすでに両親というものがない。
聞く限り、それには複雑な理由があった。彼の人生は、とても一言では語れないほど凄惨なものだった。
出来る限りかいつまんで説明すると、こうなる。

…。

もともと、海人に親がいなかったわけではない。幼少のころまでは確かにいたのだ、父親も、母親も。
けれど海人が5歳の頃に、母親のほうが死んだ。どうやら殺されたらしい。一体誰に?相手はわかっている。
――彼の父親だ。

海人の父親は、それはひどい人間だったようだ。
仕事をしている時は熱心に働く優秀な会社員だったらしいが、彼はある日、会社の人員削減でリストラされた。
世の中は非情なもので、成績が優秀な彼でさえも、会社は切らざるを得なかったのだろう。
これは完全な憶測だが、彼やほかの社員を切らなければ、会社はその不況の中生き残ってはいけなかった。
会社だって、彼を切るのは断腸の思いだったに違いない。私はそう思う。
誰も悪くないのに、世の中の流れがそうさせる。その流れに、人間は抗うことができない。虚しいものだ。
かくして会社を辞めさせられた彼は、次の仕事を見つけようと躍起になっていたが、それもはじめだけのこと。
中途採用もままならない。当然といえば当然だ。不況の中、どこの企業も精一杯切り詰めて生きている。仕方のないこと、と言えばそれまでだ。
けれど彼にとっては理不尽極まりない仕打ちだったのだろう。失敗続きの毎日に、次第にアルコールに手を伸ばすようになっていった。
妻に暴力をふるうようにもなっていった。最初はほんの八つ当たりのつもりだった。それが次第に手が出るようになり、結果的に暴力へと変わっていったという。
ドメスティックバイオレンス。いわゆる家庭内暴力というやつだ。
正直その状況は、本当にひどいものだったらしい。
アルコールに溺れる父と、暴力の対象となった彼の妻。
妻は暴力を振られた結果、骨を折られ、体中にあざや腫れができていた。年がら年中そんな感じだったようで、海人の記憶では、まともな母を見たことがあまりないそうだ。
さすがに子供時代の海人にも、この惨状はヤバいと理解したのだろう。海人は警察に行こうと母に持ちかけた。
だが、彼の母はその提案に乗らなかった。なぜか?

「母さん、よく言ってた。あの人はホントはいい人だからって。警察にいくような問題じゃないって。いつかきっと、また私たちに優しくしてくれるからねって」

彼の妻は、夫を信じていた。
そして、仕事を失って駄目になる前の夫を知っていた。良いところもたくさん知っていた。
アルコール中毒で廃人と化してしまっても、妻は彼を愚直なほどに信じていた。
けれどその結果……殺された。死因は脳震とう。彼に、空のビール瓶で殴られたのが原因だったらしい。

「何考えてたんだろうな。母さんは」

もっと早く警察に行っていれば、そんな風になることはなかった。きっと今も生きていることができた。
けれど彼女は、亡くなってしまった。

「それほど……好きだったんだよ」

それは、私の推測にすぎないけれど。海人が言うには、信じる気持ちが愛につながるらしい。
逆に、愛している人を信じられなくなったら、もう終わりだということ。
多分海人の母親もそう思ったんじゃないだろうか。
だから、最後まで警察に相談しなかったんじゃないだろうか。

「だけど、俺はあいつのこと悪人だとしか思ってない。母さんを傷つけて、酒飲んで、途中からはろくに求職活動もしないで。あいつは父親失格だ。俺は、あいつを本気で殺そうかと思った」

海人に、黒い影が差す。
私は驚いた。彼に、そんな感情が芽生えたことがあったなんて。
まだ当時5歳じゃないか、彼は。
まだそんなに言葉も語彙もままならなくて、世間のことやマナーも全然知らない幼き子供が、父親に対する殺意を燃やし、憎悪に我を囚われている姿を想像できるだろうか?

「でも、母さんに止められた。『海人、あの人は、あなたにとっては悪い人かもしれないけどね。私にとっては、世界に一人だけの、大好きな人だからって。大好きな人がいなくなっちゃったら、私も悲しいから』ってさ。
そんなこと言われちゃったらさ……もう何も言えないじゃないか」

そう。結果的に彼は父親を殺さなかった。彼の母のおかげで、人を殺さないですんだ。
けど同時に、彼の母親は殺されてしまった。
彼の父親は逮捕され、監獄送り。そして間もなくその父親も、獄中で亡くなった。死因は、アルコール中毒による禁断症状によるもの。
酒の全く飲めない環境でそれが現れ、手足が震え、しまいには発狂し、壁に頭を打ち付けて、亡くなったらしい。
だから、海人が中学生になるころには、もう両親というものがなかった。

「俺は結局あの人を殺せなかった。母さんの言ってたことを、俺は信じたから。悪人でも殺しちゃいけないってことをさ。実際問題、殺したらそれで終わりだろ?でも、更生させれば、またみんな幸せに暮らすことができる。俺はあの人を殺すんじゃなくて、更生させるべきだったんだ」

もう終わったことだから、いまさら何を言っても仕方がない。そう気づいた時にはもう遅すぎたんだ。
彼のその言葉は静かだった。星空を見つめて、少し悲しそうな顔だった。

「それに人間っていうのはさ、良いところも悪いところもある。嫌われるような悪い部分があったって、どこかに愛してくれる人がいる。だから、一様に殺すべきじゃないのさ。ちょっと話変わるけど、グミちゃんは、メビウスの輪って知ってるか?」

メビウスの輪ときいて、昔サンタ野郎から聞いた言葉を思い出す。
「悪」と「正義」は、お互いに一本の線でつながっているというあれだ。裏である「悪」がある限り、表の「正義」はいなくならないという理論。
彼もそのことを言おうとしたのだろうと思ったが、少し予想とずれていた。

「あれってさ、人間の真理みたいなもんだと思わないか?」
「どういうこと?」

つまりな、と前置いて、彼は語り始める。

「人間は、良い面を持っているだけじゃない。悪い面も持ってる。それで当然なんだ。ただの輪っかみたいに、それぞれ表と裏がそれぞれ独立してることなんてない。表と裏も、ちゃんと交差して繋がってる。それが人間なんだと、俺は思う。逆に言うとな、片方しかもってない奴は、人間じゃない」

なるほど。メビウスの輪の表と裏は、人間の良心と悪心というわけだ。で、輪そのものが、完全な人間の真理なのだと。そんな考え方もできるのか。私はそんなこと、思いつきもしなかった。

「生前の親父だって、根っから駄目だったわけじゃない。ちゃんとプラスの面も持ってた。思いやりとか信念とかな」

……確かに。海人の母もプラスの面を持った夫を好きになったんだ。
一生、そばにいたいと思ったから結婚したんだ。
確かに、彼はリストラされてからマイナス面しか見せなくなった。けれど、それでも信じていたのだろう。
仕事熱心だった、前の彼を。

「マイナス面に転向したのなら、またプラスに戻してやるだけの話だ。親父の時はそれができなかったけどさ。
何もかも手遅れになる前に、戻してやればいいだけの話なんだ」

そこで、私は考える。私の場合はどうなんだろう。
私にも、まだ救われる余地は残されているんだろうか。それとももう手遅れなんだろうか。

「だから、俺は警官になったんだ。人が道を踏み外さないように。踏み外しても、また元に戻してやれるように」

海人のその言葉に、ブレはなかった。ゆるぎない信念がそこにあった。

「……海人はさすがだね」
「そうか?ははは。でも、さすがにここまで出世するとは思わなかったけどな。俺は現場で人と接していたかったのにさ、今じゃデスクワークだよ」

母親を殺されたとき、彼は何を思ったのだろう。心の底から、父親を憎んだんじゃないだろうか。
今度こそ、殺してやろうと思ったのではないだろうか。
それは憶測だから、わからないけど。
それでも、彼は父親を殺さなかった。いや、監獄送りになって、単に殺すタイミングがつかめなかっただけなのかもしれない。
普通の人間なら、復讐心に燃えてしまいそうなところだ。
しかし彼はそれに視界を奪われることもなく、むしろ活力にして「負の感情を持った人間を正に戻そう」と信念を持ち始めた。
彼は、私が思うよりすごい人間なのかもしれない。私と同じくらい、壮絶な人生を歩んでいるのかもしれない。
人の人生なんて他の誰かと比べるべきじゃないのだけど、そこらの平凡な人間よりは、よっぽど意義があると思った。

「って……なんか重い空気になっちゃったな。誰だこんな空気にしたやつは!」

こつんと、軽く私の頭を小突く海人。重い空気を絶つように、彼は微笑んでいた。

「なぁ、ちょっと、あっち行かないか」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ラストバレット。2-3

閲覧数:59

投稿日:2014/08/13 00:04:53

文字数:5,406文字

カテゴリ:小説

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