第二章 ルーシア遠征 パート7

 カイト皇帝がルーシア王国の攻撃意図に気付き始めたのはそれから五日程度が過ぎた頃であった。六月十七日を境にして、ルーシア王国からの攻撃回数は日を追う毎に増加していったのである。六月十八日は先陣の第五軍に対して二回。六月十九日は第五軍に三回、第三軍に一回、六月二十日は第五軍に四回、第三軍に二回、第六軍に一回、そして昨日、六月二十一日は第五軍に五回、第三軍に三回、第六軍に二回、更に本陣である第一軍に対しても一度の攻撃が加えられたのだ。その全てが竜騎士団による夜襲であった。兵数はどれも少人数で、最も多い部隊でも二百人に満たない兵数である。その夜襲に対して無論、帝国軍も無策であったわけではない。対策として野戦陣地に馬除けの柵を用意し、竜騎士団の攻撃を抑えるという案も実行された。だが、それでも竜騎士団は襲撃をかけ、柵の手前でマスケット銃をひとしきり撃ち鳴らすと撤退してゆく。闇夜のために視界が悪く、帝国兵に命中する弾丸は殆どなかったが、だがそのたびに兵が叩き起こされ、臨戦態勢を整える頃には竜騎士団がいずこへと立ち去っている、という繰り返しであった。
 それがどのような被害をもたらすか。人的被害ではない、深刻な被害を帝国軍は蒙りつつあったのである。即ち、兵の士気の低下であった。特にその傾向は先陣の第五軍に顕著に現れた。一晩に五度の攻撃を受けた第六軍はまともな睡眠を取ることなく進軍せざるを得ない状況に追い込まれたのである。ただでさえ荒野を切り開くという使命を課せられた第六軍は疲労している兵士が多く存在していた。その上に追い討ちをかけるような連日の夜襲である。無理をして睡眠を進めたとしても、現実にマスケット銃の音が響き渡る中でまともに睡眠できる神経を持つ人間は極少数しか存在していない。かといって貴重な日中の時間を兵士の休息に当ててしまえば、既に大幅に遅延している行軍が更に遅れることになる。これ以上進軍を遅らせるわけには行かない。だが、このままの行軍を続ければ兵の不満が高まり、行軍そのものが難航しかねない。
 「イングーシはどうやら、犠牲を払うことなく我々を撤退させる心積もりであるらしい。」
 カイト皇帝がルーシア国王イングーシの名を挙げながら、アクに対して苦々しくそう述べたのは六月二十二日、本陣に対する初めての襲撃が行われた翌朝のことであった。数字上の被害自体は他の軍団と同じく、気に留めるようなことではない。だが、これが毎夜続けばどうなるか。まだ王都ルーシアまでは二百キロ以上の距離が残されている。これまでのペースで行軍を続けたとしても、優に十日以上の日数が必要である距離であった。
 カイトとアクの二人は今、近衛兵と共に襲撃現場の視察を行っていた。普段どおりの小さな襲撃であったから、一見したところは普段と変わらぬ平穏とした状況のままであったが、数名の兵士が竜騎士団のマスケット銃の餌食となり、帰らぬ人となっている。その兵士たちに小さく手を合わせながら、アクはカイトに向かってこう訊ねた。
 「どうする?」
 アクのその言葉に、カイトは僅かに思考するように静かに頷いた。そして、こう答える。
 「どこかに、敵の本陣があるはずだ。」
 その説は一理あると言えた。何しろこの地点は毎夜夜襲をかけるには王都から離れすぎている。王都とは別の場所に、敵が隠れている本陣があることは間違いがなかった。これまでの襲撃の様子から、敵兵力は多くても一万名程度だろうと推測されていた。ルーシア王国は兵力の殆どが騎兵という、ミルドガルド帝国からすれば極めて特殊な国家であったから、仮に一万の騎兵隊が毎夜夜襲を掛けてきたとしてもおかしくはない。逆に言えば、前線に出張っている騎兵隊を打ち破ることができれば一気に王都ルーシアへの道が開けることになる。
 「敵の本陣を探る?」
 カイトの意を汲むような形で、アクはカイトに向かってそう訊ねた。
 「すぐに見つかればよいが。」
 カイトは広大に広がる大地を眺めながら、懸念するようにそう言った。確かに、これほどの広い大陸で一万程度の敵兵を捜し求めることは相当の困難が伴うだろう。だが、このまま行軍を続けることは帝国軍にとってリスクの高すぎる行為であると言えた。それならば、時間を掛けてでも敵軍のありかを探ったほうがいい。アクは手早くそのように結論を出すと、短くカイトに向かってこう告げた。
 「私が索敵に出る。カイトは進軍を続けて。」
 その言葉に、カイトは僅かに瞳を緩めた。そして、アクに向かってこう答える。
 「分かった、お前に一任する。」

 どこから手をつけるべきか。
 アクが手駒である五百騎の騎兵を引き連れて偵察業務を開始したのはそれから一時間程度が経過した時であった。目の前に広がるのは青々と茂る終わりの見えない草原ばかり。この草の海原を無造作に捜し求めるのは時間と労力を無駄に浪費するだけだ。ならば、どこから当たるか、とアクは考えて、事前にカイトから預かっていた一連の襲撃における報告書を馬上で丁寧に読み込み始めた。風に吹かれて、強い草の香りがアクの鼻腔をくすぐる。その香りを楽しむように微かに呼吸を整えたアクは、知性を集中させて全ての報告書を読み込んでいった。この中でも最も被害を受けている部隊は先陣を行く第五軍であった。そして第三軍、第六軍、第一軍と言う順に攻撃回数が少なくなっている。これはそのまま、行軍している順序と同一の並び方になる。
 となる、と。
アクはそこで思考するように何度か瞳を瞬かせた。敵の攻撃にはもう一つ分かり易いパターンが存在していた。どの攻撃も第一波は北の方角からの攻撃であったのである。その後、第二波以降はランダムな位地からの攻撃が加えられている。単純な思考と言えば確かにそうなるが、だが他に敵軍の位置を特定できそうな情報もない。アクは沿う考え、一団を率いて北方へと進路を取ったのである。
 帝国軍は現在、北東の進路を取り、ほぼ直線に王都ルーシアを目指していた。その隊列から離れ、アク率いる五百騎の部隊は真北へ向けてひたすらに馬を走らせる。仮にこの先に敵兵が隠れているとすれば、恐らく帝国軍から二十キロ程度離れた地点に拠点を構えているのではないだろうか、とアクは考えた。一晩で襲撃し、そして帰還するには二十キロ程度が限度であろう、と考えたのである。勿論、それよりも近い位置に拠点を構えているのならそれはそれで構わなかったが。
 「北に向かう。」
 アクは指揮下にある五百騎に短くそう告げると、自ら先頭に立って草原を駆け出した。陸上でも使えるように小型化された羅針盤だけを頼りにひたすら真北へと進む。しかし、行けども行けども、敵兵の姿は勿論、その景色そのものが変化することが無かった。それから日中の間、ひたすらに敵兵の姿を求めたアクではあったが、結局何の収穫もないままに本陣への帰還を余儀なくされたのである。
 カイト皇帝がとうとう根を上げる格好で緊急の軍議を開催したのは、それから三日が過ぎた六月二十五日のことであった。アクを始めとした騎兵隊による必死の索敵にも関わらず、敵兵の位置はおろか、敵兵の痕跡すら把握することが出来なかったのである。それだけではない。襲撃の回数は日を増すごとに増加していった。それだけではない。毎夜の襲撃を受けながらの行軍に、とうとう一部の兵士たちが逃亡を始めたのである。その数は第五軍を中心に、既に一千名になろうとしていた。
 「敵の位置をなんとしてでも把握しろ。」
 苛立った様子そう告げたカイト皇帝の言葉により始まった軍議であったが、結局のところ目立った対策が立てられることはなかった。結論として今までも指令している通り、夜襲への警戒を怠らぬ旨だけが確認されたに過ぎなかったのである。だが、その中で一人、アクは索敵における唯一の方策をその脳裏に描いていた。その手段が酷く危険な行為であることは理解していた。だが、誰かがやらなければミルドガルド帝国は何の戦らしい戦もしないままに敗北することになる。敗北という事実が、カイトをどれほどまでに傷つけるのか。アクだからこそ理解できたカイトのその心理ではあったが、アクはその作戦をカイトにだけは隠しておこうとも考えていた。カイトはああ見えても自分のことを何よりも大切に想ってくれている。いや、それは私の自意識かも知れない。だけど。
 余計な事で、心配をかけたくない。
 アクは最終的にそう判断したのである。

ライセンス

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ハーツストーリー 30

みのり「第三十弾です!」
満「もう三十回目か。長いな。」
みのり「まだ第二章だもんね。」
満「まだまだ長くなりそうだけど、気長に読んでいただければ幸いです。」
みのり「宜しくね!では次回も宜しくお願いします!」

閲覧数:108

投稿日:2011/04/01 20:17:57

文字数:3,499文字

カテゴリ:小説

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