「ねえ、この世界にさよならしちゃおうか」



彼のリクエストであるホットケーキを焼いている時、テレビを見ていた彼がそんなことを言った。

あまりに突然のことだったからびっくりして、私は手元に注意が向かないまま彼へ言葉を投げる。



「急にどうしたの。今火を使ってるから、驚かせるのはやめてよね」

「ああ、それは悪かったよ。でもわかってほしいんだけど、これは常々思っていたことなんだ。聞いてくれる?」

「なんだって聞くわよ。ただし、驚いて手元がちょっとおぼつかないから、ホットケーキの出来栄えは期待しないでね」

「楽しみにしてる。なんてことない話なんだけどさ、毎日が単調で、退屈しちゃったんだよね」



彼の話を聞くこちらは少しだって退屈しないのに、彼はこちらの話を気にも留めていないのだろうか。

そうだとしたら、ひどく切ない。彼への言葉が全て一方通行の自己満足なんて、そんな恐ろしいことは考えたくもない。



「誤解しないでほしいんだけど、別に君の話がつまらないわけじゃないんだよ。勿論君と過ごすことに未来を見出せなくなったわけじゃない」

「私の心の内でも読んだのかと思った」

「そう?透視能力でもあるのかもね」

「そうしたらあなたは超能力者ね。話の続きを聞かせてくれる?」

「そうだった。…ただ、君とひとしきり笑った後、一人になってからがつらいんだ。君がいないと、どうしようもない喪失感だけが残る。空っぽの僕に何が残る?そうやって自分のことを考えたら…」

「何も無い自分に絶望したって?気持ちはなんとなくわかるよ。毎日を無意識にやり過ごして、ただ生きることがただのルーチンワークになってしまったことを自覚したら、私、今でも仄暗い気持ちに包まれるもの」

「君にもそんな感情があったんだ。僕たち、お揃いだね」

「そうね。お揃い同士、折角だから、互いの願望を実現させてみましょうか。ほら、まずはあなたの願望からね」



不自然なほどにこにこと笑う彼の前に、不格好のホットケーキを運んだ。

焦げていてもおいしいよと笑う彼の顔は、何かが吹っ切れたように見えた。



その日から、私たちは終わるためのルールを決めた。

実行する日は一年後。その時は出来るだけ迷惑のかからないやり方を選ぶこと。

残り一年と決めておけば、最後に過ごす数々の行事も楽しくなるだろうという彼からの提案だった。

その案を私が受け入れたのは、この日に読みたかった本が発売するとか、この季節の旬の野菜が食べたいとか、ささやかな心残りがあったから。


それからの日々は、今までよりも輝いて見えた。

これが最後だと意識しながら特別ななにかを過ごすと、やっぱり少し気が楽になるのだ。

吹っ切れた人間はこんなにも心が軽くなるのか。



一つ何かを終わらせては、家の中の不必要になったものを片付ける。

いらないものが減れば、ごちゃごちゃと情報量の多すぎた棚の周りもすっきりする。

コルクボードから色褪せていく写真を剥がしとり、彼と一緒に見た映画の半券を取り付けていく。

今まで埃を被っていたデジタルカメラも、最後だからという理由で持ち出しては、彼との思い出を撮りためていった。

そうしてプリントされた彼の笑顔も、一年足らずで見られなくなると思うとちょっとだけ切なくなる。

この感情を、彼も感じていたらいいのに、なんて。

そんなこと、叶いっこないのにね。



桜が咲く頃には、彼もカメラの扱い方を心得てきた。

もう手ブレの心配はいらないねと笑い合ったのがつい最近のことのようだ。


競い合うように自転車を漕いだ夏も、自販機で買ったアイスクリームを一口含めば、暑さなんて忘れてしまえた。

一口頂戴、と互いに味見をするものだから、次に買う時は必ず違うフレーバーを選んでいた。

おかげで自販機のアイスクリームを全制覇しちゃって、二周目に入ることかどうか全力で話し合ったよね。


最後のアルバムが十冊目を超えた頃、眠る時間帯が寒くなり始めて、せっかくだからと一緒に眠るようになった。

彼の温もりと寝顔がたまらなく愛おしくなって、ああこれはとんでもないものを知っちゃったな、なんて他人事みたいに思ってたっけ。

逆に寝顔を撮られてたって気づいた時、絶対に忘れた頃にやり返そうと決めたんだよ。


私が眠る前に藤色の髪を触っているのが知られたのは、こたつでうたた寝をしていた時。

同棲してしばらく経つのに気づいてなかったの、とからかったのはごめん。

もしかしたら、本当はずっと前から知っていたんじゃないかって思い始めて、でもそれは口に出せないでいる。



そうやって彼との思い出の最後の一枚を綴じて、一年の記憶を本棚に仕舞う。

今日は最後の日。

全てを終わらせなければならない。



なんて言えばいいのか迷っている私を見て、彼が目を伏せる。

ああ。困らせているのかも。一年だけという提案を飲んだ私が、今引き止めようとしていることを、感づいているのかもしれない。



「ねえ、準備をしてきたから、もう少しだけ待っていてくれないかな」

「…うん。ごめんね。決めたのに、私が欲深いせいで」

「大丈夫。ちょっとだけ、目を瞑っていてほしい」

「わかった」



彼が終わらせてくれるのだろうか。

苦しく無いのがいいな、なんて考える私の思考は、左手に何かを着けられた感触で打ち切られる。


目を開ければ、線が細いシンプルな指輪が、薬指にはめられていた。


「この一年、君と暮らして思ったんだ。悔いのないようにと全力で毎日を楽しんでいたら、退屈な日なんか無くなっていくんだって。隣に君がいて、ずっと笑っていてくれるのが、僕の望みだったんだ」

「ちょっと待って、それって」

「そう。君と同じで、僕も欲張りみたいだ。だから、なんて言うんだろうな、その…最後の一日まで、ずっと僕と一緒にいてくれないかな」



彼はずっと、未来を生きてくれないのだと思っていた。

だけど、照れ臭そうに笑う彼の顔に、一年前のあの時のような不自然さは感じられない。

溢れそうな涙を隠すように彼の掌を取って、唇を触れさせる。



「今度は期限なんて決めないから、手を離さないでよね」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【がくルカ】夜明けの約束【ルカ誕】

ルカさん9周年おめでとう!

今年最初の投稿がこんな始まり方でごめんなさい。
ハッピーエンドって難しいですね!

閲覧数:326

投稿日:2018/01/30 01:48:53

文字数:2,594文字

カテゴリ:小説

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  • ayumin

    ayumin

    ご意見・ご感想

    あ り が と う ご ざ い ま す

    良いもの読ませていただきました…

    前回のカイメイの時眠すぎて感想あとで書こうと思ったらずるずるとなってしまったので今回は語彙力の無いまま感想を失礼します…!良いものを読ませていただきました(だから語彙力がない)
    季節のとこの何気ない移り変わりとかなんかもうゆるりーさんの何気ない日常描写めっっっちゃ好き〜!となります 何気ない日常描写から487310434046倍の尊さが伝わって…きます…
    アイスのとことこたつのとこめっちゃ尊みが深いです

    いいものを…ありがとうございます…not心中エンドなハッピーエンドでよかったです……

    2018/01/30 02:11:48

    • ゆるりー

      ゆるりー

      感想書く時に途端に語彙力が無くなる現象、なぜなんでしょうか。永遠の謎ですよね。

      何気ない日常の一コマはいつも頭を捻りながら書いております…!
      某自販機アイスのことを考えながら書いたので、尊みがあると感じていただけてヨッシャ!!!!となります。

      どうにかハッピーエンドにできてよかったです!
      嬉しさが爆発します!!!!

      2018/01/30 20:28:29

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