瞼が開かれると同時に、赤い水晶体は光を反射させ、生命の輝きと鼓動を取り戻し、暗い照明の下、闇に囲まれた世界で、新しい肉体を得た命が目覚めようとしていた。
瑞々しく潤い、真紅の瞳を持つ眼が、外の世界を確認しようと暫く右往左往した後、その視線がこちらに定まり、その綺麗な唇が微かに、何かを伝えようと動いた。
 「おはよう、ミク。」
 ミクの瞳が完全に僕の姿を捉えたとき、僕は静かに告げた。その瞬間、ミクの表情には一度眠りに付く前の、僕に見せてくれた笑顔が戻っていた。
 「ひろき、わたし・・・・・・?」
 「安心して。ちゃんと君に、手足をつけてあげることができたから。ほら・・・・・・。」
 僕は、まだミク自身その存在を知らない、完成したばかりのミクの手をそっと握った。完全にミクの体の一部と化したその腕は、ホワイトブラッドと呼ばれる人工血液の躍動と、最大で成人男性並の力を持つ人工筋肉、そして人の細胞から培養された皮膚の感触、そして温もり持ち、人間と寸分違わぬ、むしろ人間以上に美しく、人間らしい姿をしていた。精巧な芸術品とも、科学の結晶ともいえるその手をそっと握り、僕は先ず、ミクが自分の温度と感触を認識できることを確かめようとした。
 「感じる? 僕、ミクの手に触れているんだよ。」
 「あ、うん・・・・・・あたたかい。ひろき。」
 そのか細い指先に僕の指を絡めると、ミクの指も僕の手を握り返すようにして、微かに痙攣を始めた。人間と違い、ミクであれば今すぐにでも新しい器官を自分の物に出来るはずだ。
 「動かせる? そうだ、僕の手を握ってみてよ。」
 「ああ、やってみる・・・・・・。」
 僕はミクの右手に両手を添え、少しずつ、ミクの命令に従おうとしている手を補助した。人間と桁違いの反応速度を持つ光信号によって人工筋肉が伸縮し、徐々に僕の手を強く握り返していく。
 「よし。いいよ、よくできたね。もう片手と足の方は?」
 「うん・・・・・・うごかしてみる・・・・・・。」
 四肢を得たミクの体が、微かに、僅かに、しかし着実に自らの力を注いで、何かを始めようとしている。
 「まってて・・・・・・ひろき、いまいくから。」
 「え?」
 まだ完全には扱いきれないはずの両手両足を無理やり奮い立たせ、ミクは、自らの力で作業台の上から直立しようとしているとしか思えなかった。 
 「ああ、無理しなくてもいいよ。まだ初めてなんだから。」
 「だめ、まって!」
 ミクが語調強く言ったその時、震えながら持ち上がったその体が僕の胸元に飛び込んできた。同時にミクの両腕が僕の背中を痛いほど固く握りしめて、僕を放そうとしない。
 「やった・・・・・・!」
 初めて自分の両手で僕を抱きしめたミクが、僕の胸元でそう呟いていた。
 「・・・・・・そうだね。おめでとうミク。僕も君から抱きしめられて嬉しいよ。」
 そう、ミクが始めて自分から僕に触れてくれた。今までは、僕が一方的にミクを愛して、一方的な関係を持っていた。でも今からは違う。まずは、この両腕が、ミクの願いを叶えた。ミク自身の力によって。
 「まってて、ひろき。このまま、このままはなさないで・・・・・・!」
 「うん・・・・・・。」
 ミク僕とは体を固く繋ぎ止めたまま、今度は足を震わせて作業台から立ち上がろうとした。生まれたばかりの仔牛は、すぐに自らの力で立ち上がり、母乳を求める。今のミクにも、それが出来るはずだ。
 「大丈夫・・・・・・君なら出来る。でも、慌てないで・・・・・・。」
 まるでミクにも、そして僕自身にも言い聞かせるようにして、僕はミクの体を抱き止めつつ、白い柔肌の輝く大腿に触れた。脛の方へと手の平をなぞらせると、その感触を得た部分から、ドクン、と血流が加速し、震えていた筋肉が引き締まり、まさに、命が吹き込まれたかのような反応を示した。
 「ひろき・・・・・・たてる。わたし、たてるよ。」 
 なめらかな動きで、鉄の床にミクの爪先が降り立たつ。
 生きている。そう感じた。肌、筋肉、骨格、ミクの脳から送られる信号を受け取り、今や心と一つになった肉体が、一つの生物だと主張しているかのようだった。
 踵が床につき、膝が伸ばされる。同時に僕の手がミクから離れ、その両足が、完全に自らの力で体を支えていた。
 「すごい・・・・・・たてた・・・・・・! ひろき!!」
 歓喜の声が上がった次の瞬間には、またもやミクが僕の胸元に飛び込んでいた。もう既に、ミクは自らそんな事まで出来るらしい。
 「ああ、すごいよ! ミク!」
 僕とミクがひしと抱き合い、その喜びを分かち合っていると、ふと、背後から足音がした。
 「あの、網走博士・・・・・・。」
 振り向くと、そこには白衣を纏った細身の女性が、手に衣類を持っていた。この人は知っている。確か僕が元居たクリプトン・フューチャー・ホームズの新人でその優秀さから、今回ミクの開発を見学することを許された、望月聖さんだ。
 「とりあえず、ミクちゃんに服を着せてあげませんか? その・・・・・・私の私服なんですが。」
 彼女は今にも火を吹きそうなほど頬を耳まで紅潮させて、かつ笑顔を湛えながら、黒いワンピースを差し出した。確かに、今のミクは一糸纏わぬ姿であったのだから、僕とミクの遣り取りは、喜ばしいと共に、傍から見れば相当恥ずかしいものだったかも知れない。しかも若い女性に一部始終を見られていたのかと思うと、こちらまで顔面が熱くなってしまった。
 早速、望月さんから頂いたワンピースを、ミクの美しい肢体に着せ、赤と黒のリボンで髪を結んだ。本当にミクには黒い服が似合う。
 「ありがとう・・・・・・。」
 「わざわざ、ありがとうございます。望月さん。」
 僕とミクは二人揃って、望月さんに頭を下げた。
 「いいえ、お礼なんて構いません。ミクさんが完成するというのに、技術者の方々は足早に去ってしまいましたし、私だけでも網走博士と、ミクさんの完成を祝いたかったんです。」
 「あ、ありがとうございます・・・・・・。」
 その時、何故か、不穏な思考が僕と望月さんに共通していることを察知した。
 ミクが手足を手に入れ、生まれ変わったことは喜ばしいことだ。でも、これから生まれ変わったミクがどのような運命にあるのかを想像すると、その先は、闇だ。理解はできるのだが、魂の根の部分で、僕は結論を出すことを戸惑っていた。
 「あの・・・・・・。」
 望月さんが何か言葉を濁らせたその時、部屋の自動扉が開かれた。案の定、光の先から紺の服を纏った幹部らしき者達が現れた。
 「・・・・・・お呼びですか。」
 「そうです。ウォーヘッド様と世刻大佐がVR実験場でお待ちです。」
 
 ◆◇◆◇◆◇

 生まれ変わった彼女、ミクと言う名の少女には、ある種の学習プログラムが納められていた。次々と追加される「行動」のデータ。彼女が見たことも聞いたことも、勿論触れたこともないことに対して、瞬間的な学習を促すためのものだ。リアルタイムで更新される行動データを何処まで素早く処理、いや、理解し、実行に移せるかが、今回の実験で我々が測るべきことだ。
 次々と目の前に差し出される「課題」は、初期の彼女では理解すらできない。だが、行動データとそれを認識、読み込むための学習機能があれば、即座に対応することが可能だ。理論的には・・・・・・。
 「世刻大佐。」 
 背後から網走博士の声がかかった。心なしか落ち着きのない様子であることは、言うまでもないことだ。
 「おや、網走博士。今回はよくがんばってくださいました。貴方のおかげで、我々のプロジェクトも大きな飛躍を遂げることができました。本当に感謝いたしますよ。プロジェクトの全課程が修了した際には、今後も貴方を優遇いたしましょう。」
 「そんなことはいいんです。今から、ミクに一体何をさせるんですか?」
 博士の表情は、一刻も早く私の回答を聞きたいという焦燥が隠せてはない。まだあどけない顔つきが、余計に彼の心境を表すのかもしれない。
 「少々、我々のデータ採集に付き合って頂きます。彼女は極めて優秀な個体です。ここまで完成度の高いアンドロイドから生み出される力の計測をすべく、今回は彼女に基本的な行動データを記憶させ、実行させます。」
 「ミクは今何処に?」
 「兵器保管庫で、今回の実験に必要な装置や装備類の着用をしております。すぐに、現れることでしょう。」
 必要なことを告げ、私は一度、観測室のウィンドウ越しに望める広大なドーム状の実験場へと視線を逸らした。観測室をさりげなく見回すと研究員達が観測用のモニターやコンソールの前で、実験の準備を進めている。
 「大佐・・・・・・一つお聞きしたいことがあります。」
 「はい。なんでしょうか。」 
 「ミクは兵器ではありませんよね?」
 「兵器ではありませんが、研究用の実験機ではあります。」
 「・・・・・・。」
 「心配ありませんよ。全てが終了次第、ミクさんはお返しいたしますから。」
 無機質に答えたのち、少しの間をおいて、静かに告げた。
 ≪ま、実験の過程で何処までやってもらうかは解らないぜ?≫
 突然、スピーカーからランスの声が響くと同時に、網走博士の顔が恐怖とも怒りともつかない表情に歪んでいた。
 「ランス? 盗み聞きと横から口を入れるのは良くないですよ。今何処に?」
 ≪彼女の目の前だ。今機器のチェックをしてる。しかし、こりゃ久しぶりにワクワクするね。世紀の瞬間ってやつじゃないか。こっちの観客席には結構なオーディエンス来ていらっしゃるし、ここで好成績と景気のいいパフォーマンスが出来れば、最高のセールスになる。楽しみだ。もうすぐ最高のパーティが始まる。≫
 スピーカー越しでも、彼が、この実験の開始に待ち焦がれ胸を馳せているのが感じ取れた。
 結構なオーディエンスとは、この基地に居た防衛省の人間や陸、海軍の幹部達ではなく、海外から訪れた軍需企業やPMCの関係者だろう。この実験が、世界に認められ、賞賛される結果となれば、彼女の技術は世界中に取っての大ブームとなる。
 次第に、観測室が実験開始に向けて慌しくなってくる。正しく未来を切り開く新技術が、真に輝ける瞬間が、訪れようとしていた。
 「仮想システム起動、システム安定、神経接続完了、電圧正常、精神同期安定、空間形成、VRFT、作動開始。」
 「各種兵装、搭載電子機器は正常に作動。ナノマシンリンクは完全に同期。実験の開始に問題なし。」
 「ゲート解放。実験機の入場を許可する。」
 実験場奥にある、物々しい鋼鉄のゲートが地鳴りを響かせてシャッターを引き上げると、そこには、漆黒に輝く金属製の外骨格に身を包んだ、一人の、いや、一体の兵器の姿があった。
 ≪始めろ。≫
 スピーカーから、感情を殺したランスの声が響き渡る。
 「了解、VRFT開始。コードネーム、FA-1起動。」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Eye with you第二十五話「新生の未来」

そういえば、これが書き終わったら第一作の大幅な修正をするつもりです。
存在が抹消されるキャラもおります。ご了承ください。

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投稿日:2010/10/28 21:24:02

文字数:4,513文字

カテゴリ:小説

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