恋をしている。こう言うとフィクションの物語に影響を受けすぎかと笑われそうだけど、ある日突然彼のことを異性として気にするようになってしまった。
 昔から同じことをやっていたくせに、たまたま触れた彼の手のひらが記憶にあるものよりもずっと大きくて男らしいなと感じて、そうなると腕まくりをしたときにうっすらと浮かぶ血管も、軽く頭を振った時に揺れる紫の長髪も、見慣れているはずの全てに翻弄された心臓は早鐘を打つことをやめない。
 ただの幼なじみで、友達より家族のような距離感がずっと続くと思っていたのに、まさか別の種類の『好き』を抱いてしまうなんて。俗に言う恋人のような関係になったとして、それに準ずる行動を取れるかは正直に言ってわからない。だけど例えば好きな本を読んでいて、隣で一緒に文字を追いかけたり、出かける時は手を繋いでみたり、なんて行為には憧れてしまう。その相手が彼だったら、と想像しては枕に顔を埋めて叫び出したい衝動に駆られるけど。
 隣に座っていても突然距離を取ってしまったり、目が合っても気が気でなくて目を逸らしてしまったり、急に態度が変わったはずの私に彼は何も言わない。少しは変だなって気にしてもいいんじゃないか。かと言って面と向かって指摘されたら戸惑うだろうけど。

 いつまでも私だけがドキドキするのは癪だ。私が今味わっている分の一割ほどでもいいから、逆にドキドキさせてやりたい。多少なりとも同じ感情を抱いてほしいと願うのは私のエゴだ。
 それでもきっと、私が何か決定的な行動をしない限り、彼はいつまでもただの幼なじみのまま。直接好きだと伝えたとして、何かと間違えて誤魔化されてしまうかも。
 うんうん唸りながら考えた結果、手紙を送ることにした。メッセージアプリで伝えるのは、いつまでもやり取りが文字として残されて見返す度に恥ずかしい。その点手紙なら、少なくとも私の手元には残らないので、一度渡してしまえば大丈夫。渡すまでが一方的に恥ずかしいだけで済む。
 が、唯一残る問題点、渡し方を考えたところで困ってしまった。郵送やポストに直接投函するのは、彼以外の家族に見られて注目を浴びる。彼の家族から私の家族へ話が伝わって、食卓で散々話題のネタにされるのは目に見えている。そんな公開処刑をされるわけにはいかないからこれは駄目だ。
 学校の下駄箱に入れるのも駄目だ。生徒一人ひとりに扉が付いているタイプの下駄箱ならまだしも、普通の棚に靴を置くだけのタイプの下駄箱は何を置いても一瞬で他の生徒に話題が広がる。ポストに投函するより大ごとになる。そうなっては生きていけない。恥ずかしさで死んでしまう。
 一番安全なのは、彼と一緒にいる時に渡すことだろう。幸い、彼の家にはよく遊びに行くし、逆に彼も私の家によく訪れる。二人きりで勉強をすることだって珍しくないから、彼が席を外した時に手紙を残して物陰から観察すれば反応が見られるだろう。よし、これしかない。
 そうして夜十時に机に向かって書き上げた人生初のラブレターは、便箋五枚と二時間とシャーペンの芯の三割程を犠牲にして完成した。きちんと内容を読み返すと燃やしてこの世から消し去ってしまいそうなので、誤字がないことだけを確認して封をした。俗に言う深夜に書いたラブレターである。私の頭は単純なので、ついさっき自分で書いた内容をもうすっかり忘れてしまったが、きちんと私の気持ちが伝わるように意識して書いたのは間違いない。

 数日後、わからない宿題を手伝ってほしいという名目で彼の部屋にお邪魔することになった。勿論鞄には、曲がらないようにクリアファイルにしまった手紙が入っている。これをタイミングを見て置こう。
「それで、この問題はね……」
 向かい側に座る彼の手が、私のノートへ文字を刻んでいく。彼の字は国語の担当教師よりもずっときれいで読みやすい。これで得意科目が数学なのは勿体ないと思う一方で、きれいな筆跡の持ち主に対して丸文字の手紙を完成させた自分を殴りたくなった。なんで、いや本当になんで気がつかなかったのか。直圧の告白よりもずっと恥ずかしいだろう。文面でいくら品性を整えても、筆跡で個性は隠せない。パソコンで打ち込んで印刷すればいいかといえばそんな問題でもない。結局、私の気持ち一つの問題なのだ。
「ルカ、大丈夫? 聞いている?」
「え? ……うん、大丈夫! なんでもないよ!」
「そう?」
「それより、そんなにじっと見つめなくてもいいんじゃない? 照れちゃうよ」
「君はわからない問題の前ではすぐにサボろうとするからね。きちんと解くまで見ておかないと、また白紙のまま提出して先生に大目玉をくらうでしょ」
「いや、そういう意味じゃなくてさ? 見つめられると解ける問題も解けないというか、緊張するというか」
「へえ、解ける問題が解けない? そういうのは数学が毎回赤点寸前の人が言うことじゃないよね。俺に一回でも点数で勝ってから言ってごらん」
 そういう意味じゃない。このわからずや! そう言いたくなる気持ちをぐっと飲み込んで、私はペンをぐっと握り直した。
 テーブルを挟んだ向こう側で、にこにこと人の気も知らずに笑う幼なじみは、きっと私にどう思われているかなんて考えたことがないんだろうな。最近恋を自覚したばかりなのに、その感情の向け先である人から自分の一挙一動をじっと見られるのはちょっと耐えられない。これでは、彼が一度も席を外すことなく勉強会は終わるだろう。反応を見るとか余裕を考える暇はない。
 お開きになって、彼の視線が外れた僅か数秒で、机の下に手紙を置いた。これなら立ち上がっても彼の目には映らない。私の座布団に置くのも考えたけど、忘れ物だと指摘される可能性が高い。私が帰った後、座布団を片付ける時にでも気づいてもらえればいい。

 自室に戻って一息ついていると、チャイムが鳴る音がした。今家には誰もいない。さっき帰ってきたばかりなのにいったい誰だろう、と玄関まで戻って扉を開けると、さっきお別れを言ったばかりの彼が立っていた。
「がっくん? どうしたの、私、忘れ物でもしていた?」
「これ」
 彼が目の前に差し出したのは見慣れた私の丸文字。心当たりしかない、先程置いてきた手紙だった。ちょっと待って、なんで差し出した本人に実物を見せるの? あと見るの早くない? 彼と別れてから五分くらいしか経っていないのに、その僅かな時間で彼が机の下の手紙に気がついて中身に目を通したことになる。
「ルカはずるいよね。こんな言い逃げみたいなことをして、俺が次会った時にどんな反応をすればいいか戸惑ったの、知らないでしょう」
「いや、秒で会いに来たくせに何言ってるのって思ってるけど」
「へえ、言うね。それで、俺の返事を聞く気はある?」
「げ、玄関ではちょっと恥ずかしい! それに、もうすぐみんな帰ってくるから……」
「それもそうか。じゃあ、こうしよう。俺もきちんと返事を書くから、もらってくれる?」
「も、勿論」
「よし。じゃあ、覚悟しておいてね。君はずいぶん俺の字が好きみたいだし、より俺の気持ちが伝わるように思いを込めて書くから」
 じゃあね、とウインクをして去っていた彼を見送って、私もさっと自室へ駆け戻る。あんな態度では、返事を待つまでもない。彼が私を拒むなら、こんなにすぐに会いに来ておいて、改めて手紙に思いを込めるなんて、思わせぶりなことは言わない。これで返事がOKではないのなら、とんだ人たらしだ。だけど、彼が私一人のためにくれる手紙の内容を想像するのも、焦ったいのに悪くはないなと思った。
 ああ、早く返事が来ますように。

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【がくルカ】拝啓、となりの君へ

5/23はラブレターの日らしいので、ラブレターの話を書きました。
自分で書いた手紙って読み返すの恥ずかしいですよね。

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投稿日:2021/05/23 23:09:16

文字数:3,145文字

カテゴリ:小説

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