鈍い頭のまま目を覚ました。目覚ましをつかみ取るようにして時間を確認する。午後三時。もう夕方だ。それでもまだ昨日の酒が体に残っているようで視界が揺らいだ。
 雨音が部屋の外から響いていた。俺はカーテンを開け、ギターを抱えると窓枠に腰を下ろした。そのまま雨音をかき消すようにギターをつま弾く。
 雨の日は嫌いだ。予定の無い日は特に、嫌なことばかり思い出すから。
 だからいつもは天気予報で雨のマークが出るたび滅茶苦茶に予定をいれるのに、今日だけはぽっかりとスケジュール帳が空いたままになっていた。
 ギターでかき消しきれない雨の音が耳を刺す。俺は頭を振ってギターの音に集中した。雨音が嫌でも昔のことを思い出させる。幼い日の、居場所なんかこれっぽっちも無かったころの俺を。
 俺には親がいない。施設で育った。
 だから急に雨が降り出した日なんかも誰も迎えに来てくれなかった。周りの子供たちは迎えに来た母親に手渡された傘に入って楽しそうに帰っていく。その間を俺は雨に濡れながら帰った。羨ましがるのはみじめだと分かっていた。だから俺はできるだけ嬉しそうにはしゃいで帰った。手を広げて雨を体中で受け、水たまりに両足を突っ込んだ。はしゃいでいれば傘の中の笑い声が聞こえない気がした。
 それでも一度だけ、近くの傘に声をかけたことがある。傘の中の風景があんまり楽しそうに見えて自分を止められなかった。
「僕も入れて」
 その子は俺と一番仲の良かった友達のはずだった。だけどその子の母親は顔をしかめて言った。
「ごめんね、あんまりうちの子と仲良くしないでほしいの」
 その時だけは雨で良かったと思った。こぼれた涙も雨にまぎれて見えなくなったから。俺はそれからも急な雨が降るたび一人でずぶぬれになりながらいくつもの傘を見送った。
 でも俺はもう子供じゃない。施設を出て路上で歌っているうちに運よく人の目に止まり、歌手としてデビューすることができた。今では自分の稼ぎで広いマンションに住み、マネージャーも数えきれないファンもいる。
 それなのに今でも俺は雨が降るたびこうして雨音をかき消している。

 俺は小さく歌を口ずさみながら見るともなしに窓の外を見た。ちょうど下校中の小学生たちがぱらぱらと傘を差しながら歩いていた。
 その中で目を引く子供がいた。やせっぽっちで、傘もささずにずぶ濡れになりながら歩いている。
 俺はいたたまれなくなってギターを置くと、玄関に置きっぱなしにしていた傘を手に部屋を飛び出した。階段を駆け下り、雨の中を子供のもとに向かって走る。傘を差すのを忘れていたせいで俺まであっという間にずぶ濡れになった。
 後ろから迫る足音に気づいたらしく、男の子が不思議そうに俺の方を振り返った。男の子の身なりはみすぼらしかった。ズボンの丈は短いし、シャツも黄ばんでいる。俺は息を整えると男の子に向かって傘を差しだした。
「坊主」
 男の子が首をかしげる。
「これ、使えよ」
 男の子が目を丸く見開く。それから小さな声で言った。
「でも、お兄ちゃんの傘は?」
 慌てて出てきたせいで一本しか傘を持ってきていなかった。俺は苦笑して、何か言い訳を考えようとした。だけどその前に男の子が言った。
「じゃあ、一緒に入ろうよ」
 俺は男の子に言われた通り二人で傘の中に入った。
「お兄ちゃん、なんで傘を持ってきてくれたの?」
「なんでもねえよ。気まぐれだ」
「お兄ちゃん」
「なんだよ?」
「ありがとね」
 男の子が俺の顔を見上げてにかっと笑った。その顔が幼い日の自分と重なって見えて、俺は鼻がツンと痛むのを感じた。俺はそんな情けない心がばれないように小さく歌を口ずさんだ。雨の日の歌だ。男の子もそれに合わせて楽しそうに歌う。
「あ、お兄ちゃん。雨があがってきたよ」
 雨が弱まって薄い雲の隙間から光が差した。道路脇の木の下に木漏れ日が降り注ぐ。俺と男の子は揃って太陽を見上げた。
 その瞬間、居場所のなかったころの俺はもういなくなった気がした。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい
  • オリジナルライセンス

入れない傘

髭チワワ様からコラボの提案をいただき、『入れない傘』をノベライズさせていただきました!
今後もPさんからコラボの提案があるととても嬉しいです。

雨が降るたび入れない傘を見送った
あの少年に会うまでは

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▼ノベライズ元の楽曲▼

『入れない傘』

YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OkveAGh3LMs

ニコニコ
https://www.nicovideo.jp/watch/sm36703306
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閲覧数:98

投稿日:2020/08/29 20:44:18

文字数:1,663文字

カテゴリ:小説

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